コラム 八ケ岳縄文人(長野県 茅野市 八ヶ岳山ろく自然の恵みと知恵)  

 


 

                         八ヶ岳縄文人のコラム

 

長野県八ヶ岳山ろく茅野市の、大自然に恵まれた環境の中で、縄文人より引き継がれ生まれ育った 太田清人(縄文人)の、なんでもコラムです。


                                        オータ住環境(株) 代表取締役 太田清人

 

                       思う事   時世について  想いで  お役目 父、母  趣味・・・・他

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 2023/12/6「 侍精神をとりもどせ 」

 強者に挑み、弱者に優しく、善悪には正義をもって「切腹」覚悟で行動し責任を取る  日本の誇る「侍精神」はどこへ 

 今の日本不景気は、経済成長の低下、円安、増税、少子高齢化、格差拡大・・の原因は「政権腐敗」からでは。 

 過去30年の不況は、政治能力不足「政策改革の失敗」で、世界経済成長から遅れをとってしまいました。 それ故に優秀なベンチャー企業や若い人材は、「日本では、やりがいなく、低い評価」になってしまうため海外を主流活動拠点に移動し始めています。このままでは、日本は衰退し続けてしまい経済成長は期待できません。

 日本国での最大の課題は、弱体化している日本国を本気で改革することです。それには、政治家も行政も市民も明治維新の立て役者ような新たな「武士道、侍精神」を持った政治家を育て、羅針盤を持たせ託すしかありません。正義感を持った新たな若き元気な政治家に「泥沼に浸かっている、悪しき日本政治」を、改革してもらわないと変われないと思います。 重要なことは、有権者が「優秀な若者(民、官、政治家・・)を育て」、日本国内で活躍してもらうことです。

 今の政治家の選出は「小選挙区制度」の弊害で、選ばれた世襲世代(基盤継承とお金持ち)ばかりで、新しき優秀な若き政治家の参入を阻む構造になっています。真の志を持った若者が活躍しにくい環境だと思います。 

 こうした課題等は、以下の問題を解決していかなければなりません。政治問題全般を精査、大派閥一強政治の解体、選挙制度や政治活動費の改革、優秀な人材育成と確保、政策の適性化、税金徴収の適正化、利権と裏金疑惑、企業の癒着拡大と戦略低下、少子高齢化、カルト集団の洗脳、メデイア社会の崩壊・・・。こうしうた課題はこの30年間で改革出来ていません。 逆に悪くなっています。自己保全のための悪しき金集主義が強くなったのです。残念ながら日大問題も同様で、悪しき旧構図で幹部関係組織の「ガバナンス」が機能していないと思います。(H理事長を見ていると可愛そうに見えてしまいます。) 改革のしにくい悪しき構造は、これから日本を背負っていく若者が、あまりにも可愛そうです。

 昨今の諸問題発覚も同じ流れです。「ジャニー」「統一教会」「宝塚」「ビッグモーター」「詐欺」・・・。  利権期待の「札幌オリンピック開催」はなくなりましたが。「万博、IR」はどうなるのでしょうか?(開催全体の予算1250億円程で承認され始まりましたが、現在では4000億以上掛かってしまう)と、いうように「後出しジャンケン」で、どんどん開催費用を上げています。開催関係者は最初から承知していて国民をだましていたのです。国民の税金負担が増えるだけです。舵取り修正は、まだ間に合いますが・・・?。  その先のIRを実現するための流れは見え見えです。

 今の政治家や大企業・・は「利益を生む(得る)利権構築や自己保身」が、あまりにも最優先しすぎです。政治家は我々の声も聞かず、好き放題に税金を搾取した上で、大切なお金や血税を「裏金づくりや悪しき使途」に使いたい放だいです。 繰り返しますが、大企業も政治家と癒着(献金・・)して「自社のに有利な利益」を得るために、悪しき行動(政治家を利用)をしてはいけません。

 有権者(国民は)特定な企業に税金を払っているわけではありません。お金を回せば「経済発展」と言いながら、利権絡みの「自己利益確保」は許せません。政治家を企業も、原点に戻り「豊かな国民生活=経済発展」の為に尽力しすることが使命だと思います。

  利権優先社会精神は、日本国民の為に行動する正義感を重んじる日本人の誇れる精神文化「侍精神」の欠如です。

 日本で誇れる侍精神の教えは、「正義が最優先」でした。反社会的なことをしたら「切腹」の覚悟があったのです。こうした日本特徴な文化精神は世界からも評価されていたはずです。今は、いったいどこに行ってしまったのか?。 

 今の政治(自公連立)政権を、国民の皆さんは「本気で信頼している」のでしょうか。 もし、あまり考えもせず「選択」しているのであれば、将来を託す若者に対して、有権者はあまりにも無責任といえます。

 長期政権や独裁者(一強)は、やはり良くありません。年月とともに「国民の為でなく、自己保身」になり、私利私欲が当たり前になり、悪政「権力闘争と金権力」ばかりが優先し、鈍感(まひ)で危機感欠如の政治に変わっていきます。

  我々有権者は、選んだ政治家に対し「お金(利権)」で動くよう人でなく、我々国民の発展と幸福を真剣に考えてくれる代表者(政治家)を選出する責任があることを自覚しましょう。 政治や官僚、民間企業、個人も、最終的には「全て自己責任」の自覚が必要です。政治家だけの責任 にもできません。選んだ政治家には我々国民のために責任をもって働いていただきましょう。悪事や疑問点がある政治家を見て見ぬふりした時は、有権者も「同意=同罪」していることになります。

 有権者は自身の立ち位置をよく理解して、それぞれの立場において責任を取とらなければいけないのです。 全ては因果関係の結果で自業自得です。 日本を、少しでも良く(幸せ)に、したい(将来も考え)と考えているのであれば、我々も、政治家も「侍精神」を少しでも意識し日本の将来を一緒に描きながら、腹をくくる覚悟で声を上げ行動しなければなりません。 

 政治家や官僚主導ルールもとで生きている我々は「現代社会の現状」に対して、もっと「自己責任」を意識して生きていく心がけが求められます。 最終的には、自分の人生を真剣に考え「悪者」で終わるか「善者」で終わるかを、自分自身に問い続けながら、日本人としての誇りと責任を意識しながら生きていきましょう。有権者主導の責任を持ちましょう。

 選出した政治家は我々「有権者」の代表です。今問題になっている「パー券」「勉強会」・・の中からの裏金工作疑惑は犯罪です。政党交付金として国民から315億円も税収しているのに。 さらに、不足として権力増強をはかり「企業や各種団体・・」からの献金集めは、過ぎて不透明すぎます。悪しきお金を更に「マネーロンダリング」して悪用使途しているようではこまります。 なにより、法を作っている政治家本人が「政治資金規制法」を守れていな現状が理解できません。暴力団の資金集めではありません。利権=権力闘争=癒着=忖度=集金ばかりしていると、悪しきお金ばかり流れ、日本全体を良くすることは出来ません。政治家を、きちんと「監査できる機関(国民側)」を、速急に作る必要があります。

 汚れた水(金)では泥沼(手抜で欠陥)が出来るだけです。 また、汚いお金で作られた泥船はいつか沈みます。

 政治家(国民代表)が先頭に立ち、美しい沈まぬ丈夫な船を作り、国民を乗せ、魅力ある未来に向け誘導してもらわなければなりません。きれいな水や風・・を地球や日本全土に流し続けながら、全人類や日本国民を豊かにしなければなりません。そのためにも、汚れた「金」「人材」「事業」「水」「空気」・・・は一日でも早く浄化させましょう。 元A総理が言っていました「美しい日本を作る・・?」、真逆で言ったとしか思えません。 

 本気で国民皆で一緒に築き上げていきましょう。 真の志「侍精神」を持った政治家を選出し、送り出しましょう。

「腐敗政治」「乗り遅れている経済発展」「少子高齢化対策」「税金使途と収支の透明化」「汚れたお金を作らせない」「不透明なお金の流れを無くす」「大企業は目を覚まし、保身でなく世界の最先端を命がけで研究」「メデイアは忖度なく正直な情報発信」「国民は信頼できる政治家を選ぶ責任」・・・等の意識を、浄化強化して、透明(清)で豊かな強い日本を作り上げていきましょう。 全てにおいて、利権的な変な「貸し借り」ができると、自浄努力が出来なくなります。

 思い切って 、今の政権を一時的にでも野党に転落してもらい、新たな新政権を作り直し「反省、修正、磨き」を繰り返しながら「有権者が主導で、未来を託せる政治政権」を、作り上げていくが肝要で早道かと思います。

 元気ある人生の諸先輩方々は、受け継ぎ培った「知恵とお金」を、未来を託す若者の育成のために、真剣考え応援していきましょう。我が子も大事ですが、子孫の暮らす日本全土の未来発展の為にも、許す限り投資して行きましょう。

 若者より先に旅立つ「人生の豊富経験者」の務めでもあるように思います。(間違っても「老害」とならないように)

  政治家は、侍精神の覚悟で努めてほしい。悪事を繰り返していけば「反社会的犯罪組織」と同じと判断されます。

  正義のために「腹をくく」る覚悟で仕事をして、成果指標の結果で「成長か切腹」の 二者選択の覚悟が欲しいです。

  石破さんが「政治家は勇気と真心をもって、真実、を語り行動出来なければやめた方がいい」と。言ってましたが? 

 

    今の汚れきった水を浄化して、透明でエネルギーある水に戻して、日本国土中に流し続けて行きましょう。 

 

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 2023/4/24「 自由で孤独なヒーロー」 大谷翔平選手 

人間は、生まれながらにして、全ての人が「孤独なヒーロー」なのです。 自身の置かれている立場や環境は、皆それぞれ違いますが「あきらめずに」孤独の中で夢を追いかけ続けることで、夢や希望を実現可能にすることができるのです。 誰しもがヒーローになることができるのです。

ダイリーガー、いや世界中で話題を集めている、二刀流で活躍している大谷翔平選手を見てください。 子供からの夢を「あきらめない」で夢中で追い求め続けた「一心」の結果(孤独でもある自分と戦い続け)成長し続け成功しているのでしょう。 長年の無心での努力「野球をうまくなりたい」思いで、今の姿「二刀流」を、トップレベルで築き上げる事ができたのです。 人生の中で「一番好きなこと」野球バカなのでしょう。

 まだまだ現在進行形中です。 今後も限りなく、妥協することなく夢を追い続け、更に極めて行くことでしょう。 とても楽しみです。

 大谷選手は、今まさしく世界中から魅力あるヒーロー像となって認められています。 「技術的」な評価だけでなく、「人柄的」にも、野球界を超えて全世界の人々から注目を集め愛されています。 驚いたことに、野球、スポーツ界だけでなく、人間像(社会人、企業、評価、・・・)等のあらゆる分野から、大きく評価され連日のよう報道されています。 
 見習うべきは、「プロ意識をしっかり持っている」ということです。 「もっと上手になりたい、試合には絶対に勝ちたい・・・・の信念が強い反面、お金には無頓着」、こうした「次元を超えたプロ意識」を明確に持っており、公の場で自分の思いをはっきり発言しています。 一個人の発言として、あらゆる分野で共通する課題「成長させるヒント」の根源を、ストレートに訴えているのです。  信じられないほどの影響力に驚くばかりです。

 磨き上げ続けられた野球技術は、運もよく周りの愛情、応援に恵まれた中で、また自分自身の恵まれた潜在能力を引き出す努力を無心に「好きで情熱をもって」追及できた環境もあったからでしょう。 両親から恵まれ与えられた才能や環境は拒めません。しかし、それ以上に「本人の、意識しない無心の努力向上心(なにようりも好き)」は、間違いなく「目指した夢」を、着実に実現させて行ったのです。

 野球に対する姿勢 「好き(楽しみ)」「情熱」「いとわぬ努力(向上心)」「信念」「結果」「更なる貪欲な向心」

  生まれてきた人間は、「それぞれ皆、違う潜在能力を必ず持っている」と言われています。 この潜在能力を、生かすも、殺すも、眠らせいるも、本人の心がけ次第「引き出す才能」なのです。 引き出すには、「努力」や「きっかけ」が、必要かと思います。 特に子供のころは、いろいろな機会を親や他大人がつくってやることです。そうした中で「好きになった」ことは、無心に極め続けることができ、将来の宝となるのでしょう。
 大谷選手のお父さんは、社会人野球をしていたこともあり、父として、野球のコーチとしても大きな影響力があったようです。

基礎練習は3つだけ

一生懸命に「大きな声をだす」「走る」「キャッチボール」。 間違っても「細かな指導や叱咤」は、あまりしなかったようです。
練習後は、その日の反省として「良かったこと、悪かったこと」・・等をノートに記して、父親と意見交換をしていたそうです。 父親は「自主性を大切にして指導」していたと、言っておりました。 
大谷選手は今でも試合中ベンチに戻った時に、いま実践したばかりのバッテイングスタイルや、投球フォームを、スマホなどを見てチェックしたり、手帳に何かを記しています。その姿がよく映し出されいました。 練習中でなく、本番中にチェックしている選手はなかなかいません。 本当に「野球が好き(野球バカ)」なのです。 一般社会での仕事も同じ事がいえます、何気ない気が付いた「こと」や「ヒント」は、すぐにメモらないと、忘れてしまいます。
同じように、意識せず同じように「仕事バカ」になれたら、本当意味でに必要とされる「会社、社会、地域・・」の中で魅力ある「価値ある人材」となることができるのではないでしょうか。 

  「大好きなこと」野球に対する無限の向上心(情熱)などは、単純に真似できるものではありませんが、真剣に向き合うことが出来れば誰しも可能だと思います。 
 大谷選手は幸いなことに、小さいころからの夢であった「ダイリーグに行って活躍したい」という目標を持ち続け、日々好きな野球を「苦労、努力」など感じないで、楽しみながら無心に追及してきたのです。 (好きこそ 才能がのびる)のです。
  今後もし、好きで楽しく追及し続けている野球人生の中で、どこかで失敗(挫折)するようなことがあっても、間違っても「後悔はしない」でしょう。後悔どころか「やり遂げた満足感」を感じるかと思います。「やりきった」と思えるでしょう。   言い過ぎかもしれませんが「歴史的人物の英雄」の、模範者のような存在感に思えてしまいます。このまま活躍していれば、間違いなく「歴史的人物」として残るでしょう。 

 魅力と言えば、野球の技術だけではありません。素晴らしいことに、人としての本質的に謙虚ある人柄は、全世界の人々から認められ魅了され愛されています。すばらしいことに「品格」が備わっているのでしょうか。 嬉しいことに我々日本人としても誇らしく思ってしまいます。 まさしく「日本人の誇りの存在」です。 本物のサムライジャパン・・・。

 謙虚で礼儀正しく、決して自慢したり他人の悪口などを言わないし、それ以上に「愛嬌」ある親しみが、いたるところに、にじみ出ています。それ故に誰とでもフレンドリーに接することができ、嫌われることなく好かれているのです。 よくある「嫉妬」「妬み」とも無縁のようです。   現代人として出来過ぎた人柄です。誰からも好かれ愛される「天邪鬼(おまのじゃく)のような茶目っ気が、自然と備わっています。

  アメリカのよな「実力評価主義社会=弱肉強食(相手を蹴落してでも自分をアピール)」の世界では、考えられない謙虚さに写る人柄なのでしょう。 ましてや、今では絶対に出来ない(お金を稼げない)とされていた「二刀流」を、本場のアメリカで成功させたのです。子供のころからの「夢」をアメリカの本場で成功させ認められたのです。  日本やアメリカを超えて世界中が大騒ぎです。 個人的に、言い過ぎかもしれませんが、今年の世界中での「MVP」(世界中の人々に多大な好影響力を与えてくれた人)として、表彰してあげたいです。

 改めて大谷選手は、人として自然体で感謝と人を敬う気持ちを持ち合わせた、子供心のように純粋な心の持ち主と言えるのです。
 こうした人柄で、夢中になって好きでたまらない野球と向き合い遊んびながら、もっと、もっと上手になりたいと、時間を惜しんで追及しいたからこそ、成長し続けているのでしょう。
 更には、瞬く間に通り過ぎていく時間を、大切に考え有効的に使っている姿がは、本当に印象的です。(時は金なり) 我々も理屈では解っているのですが、通り過ぎた時間は二度と戻っては来ないことに、あまり気づいていないのです。 ただ、ただ、無駄な時間を安易に使ってしまい、後で後悔しながら歳を重ねていくだけになってしまいます 悲しいことです

   少しは私も「孤独のヒーロー」となり、頑張ってみたいと思っています。   もう64歳(まだ)ですが。 

 

 「孤独なヒーロー」の心がけ   大谷選手は全てを持ち合わせている

「笑顔を忘れない」   (謙虚で感謝の気持ちを忘れずに人と接する    素直で元気で明るい) 

「信念を追いつづける」 (ぶれずに、夢、目標、に向かって追い続ける   ねばり強い信念とカリスマ性) 

「前を向き続ける」   (後ろ向き、愚痴なし、全て前を向く   前進するのみ  言い訳しない) 

「嫉妬、悪口は恥」   (人間はみな個性的な人「悪、良、普通・?」である  相手をよく理解し対応する)

 「好きこそ成長」   (好き、楽しみ、喜びで、無心で極める   好なことは無心で頑張り続け成長できる)

「健康管理」      (規則正しい生活習慣   時間、飲食、睡眠、運動、対人、社会・ 人生の根幹)      

   「孤独なヒーロー」(好きでたまらない欲望追及か、自制心との戦いか)

 残された人生を、どこまで充実させ、より楽しくできるでしょうか。 上記のことを少しでも心がけて行動して行ければ、今のままよりはるかに、満足できる人生を送れることができることでしょう。

  誰かの助けを求めるだけではなく、自分自身の心がけで、「孤独なヒーロー」となって、自分自身と戦って(苦労でなく楽しみながら)、楽しく喜び味わいながら、充実した人生を過ごして行ければ幸せかと思います。


   この地球上の舞台の上で 奇跡的に今一緒に生きている皆さん 共に楽しく頑張ろうではありませんか。

 

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2021/4月/4
 還暦を過ぎても 前進するのみ 

 還暦を過ぎたころから、周りから「そろそろ・・・引退だな」などという言葉を聞くことが増えた気がする。確かに、体力的な衰えは、相応の自覚を認めざるを得ません。しかし、精神的な力は、「これからが勝負」だ、と、まだまだ考えています。

 ここまで生きてきて「やっと気づけたこと」が沢山あります。 これが良く言えば「年の功」でしょうか。 しかし、歳とともに気を付けなければいけないことも自覚しています。「飲み過ぎ」「頑固=短気(理屈っぽい)」「おせっかい」「運動不足=酸欠(心身」・・等は、特に自覚し注意しようと思ってはいます。
 自営業、ストレス、一人暮らし・・・。子供3人は東京で就職、愛犬2匹(ビーグル、チワワ)は、昨年亡くなってしまいました)・・・・と、「少々」寂しい中、自制心が利きにくい環境で、暮らしている感じです。 ついつい飲み過ぎてしまいす(ストレス、嬉しいとき、仲間が来てくれた時・・・は特に増えました)。 また、「言わなくてもいいことを、ついつい言ってしまう(嫌味もいれて)」ことも増えてきたように思います。(これって、老害の一つ?)脳が少しづつ硬化しはじめて、頑固になりつつあるのでしょう。 あ〜いやだ、少しでも老害と言われないよう、頑張るぞ。
 60歳を過ぎたのですから「それ相応の第二の人生を送りたい」と思って、心身の健康に気を付け、それ相応に「生活習慣に気を付けながら」仕事、役目、お付き合い・・を考えているつもりではありますが、思うようには行きません。 特に飲酒(前回のコラムのようにはいきません)。

 今おし進めていること 仕事とは別に考えています。

  1. 「御頭郷総代」の自覚  来年(2022)の「おんばしら祭」に向け、役員、工程・・区の全責任者です。
  2. 里村づくり「大泉の里村」の統括責任者の自覚。一軒一軒の対応(これまた、大変です)。 「村づくり」「景観保存」「安全・安心」「伝統行事の推進」「福祉」「子供の増加と育成」「 コミュニテイーの確率」・・・。
  3. 区制に対する、事業実行、要望書検討推進・・・等の委員会設置。この委員会設置は区民の安全健康、区役員の負担軽減の為にも、是非とも実現させたいです。
  4. 「若者の会」の育成。  歳のこうとして出来るだけ若者を育て、援助していきたいです。
  5. 他地区「区外等」からの相談事であっても、積極的に参加し協力していきたいです。

     しかし、何事もそうですが「どんなに良いことでも、10人いれば「1〜3人からは」性質、妬み、性格・・で、反対されるものです。これは、世の中の摂理みたいなもので、しょうがないかと思います。大きな声で反対する人もいますが、声には出さないが、賛同してくれる方のほうが多いように思います。
     ここで、諦めてはいけないのです。大きな声を出して反対するひとは「どこか自分勝手で、相手のやろうとしていることに、・・・で反対」したいのです。ある人は、こうした人を「チンピラ」と同じだとも言っています。「大きな声を出して、自分の存在感を示すが、何の責任も持たない」とも言っています。これが事実ならば、一番付き合いにくい人たちなのでしょうか。
     大きな声に対応するには「聞こえないふり」をすることでしょうか。 たまに、政治家で似たような対応をしている方がいます。聞こえているのに、都合の悪いことは「耳を傾けて、???」、これは、一つの対応方法だと思います。 とにかく「出来るだけ反応しない(無視)」することです。それか、少しでも離れることです。
     
     反対者がいるなかで、10人いて7割以上の賛同が得られることなら、それが「区の為」「地域の為」「子供、人々の為」・・になるのなら、勇気をもって、推し進めるべきだと思います。簡単に諦めては行きません。
     こうしたことができる人と、出来にくいひと、それぞれですが、良くなることでしたら、みんなで勇気をもって行動を起こし実現していくことが、大切かと思います。
     でも、その人の性質、DNAは生まれ持った性格もあり、簡単には変えられないかと思いますが、少しは勇気をもって地域、子孫の為にも行動してほしいと願います。

 また、今までの経験上、客観的に見て「良い」と思いつつも「私は、今一つ納得できない・・・」、と、思う方もおります。それはそれで、個人的な考えであり、仕方がないかと思います。 しかし、「個人」より、「団体」「地域」としての、広い意味での立場や、対応が、柔軟に求められることもあります。 この時の判断は、個人的な考えは尊重出来ますが、それ以上に「地域全体の為の判断」として、そこを、乗り越えていただければありがたいとも思います。
 何事も「良くしたい(提案、改革、要望・・)」という事柄であれば、個人を超えて、仲間、地域住人・・・と協力しあえる仲間、環境づくりができれば、一番望ましいことかとは思います。
 間違っても、私も含め「独りよがりで、孤独」になってはいけません。 その先は、知らず知らず個人的な壁を高く作って行ってしまい、自身にも相手にでも高く作ってしまい、どこか隔離され離れて行ってしまいます。コミュニテイーが無くなってしまいます。それでは楽しく暮らせません。
 そうではなく皆、同じ地域で、助け合い楽しい仲間であって、豊かに暮らせる地域にしてほしいと願います。
 
 私は今後、どこまでできるか解りませんが、「良くなることでしたら」出来るだけのことを元気なうちに、行動を起こし実現していきたいと思いながら、老体にむち打って、愛着をもって地域の中で暮らしているつもりです。

 かっこよく言えば「生まれ育った、暮らしているこの地域を大切にしているからです」。 「愛している」などとガラにもないことは、大きな声で言えません。が、ご先祖様に感謝しながら、頑張りたいです。

    しかしながら、とかく、人間は皆「正しいと思っても、わづらわしいことからは、避けたい」ものです。

 私の人生はあと、10年ほどでしょうか?。 出来ることなら「地域の為に良くなること」でしたら、少々は「憎まれ口、憎まれ役」になったとしても、「区、地域発展・・・等の環境良好の為」になることでしたら、提案し進めていきたいと思っています。 私が居なくなったとしても、若い世代につなげる努力をして、この自分たちの暮らしている地域がいつまでも元気で美しい里村で存続し守られ続けて行けることを望みたいです。 こうしたことが、我々が今の子供ら、子孫にしていかなければならない責務かと思います。

 お迎えが来る時に、後悔だけは、絶対にしたくありません。嫌われてもいいのです。 お墓に入った時に「先祖」が喜んでくれたら嬉しいじゃないですか。 (逆に怒られるかもしれませんが?。 おまえは、少々やり過ぎ・・・)

 元気なご老人は、今の子供らの将来の為にも「暮らしている地域を少しでも魅力的に作り守る」ことに、出来る範囲で力を頂きたいと思います。そうなれば、大きくなった子供たちは、生まれ育った地域に愛着を持つことができ、「間違いなく生まれ育った魅力ある地元に戻ってくる」ことでしょう。


  このような諺がありました。私にも、少しはこのような才能があれば嬉しいのですが。

  ※ 「成功者や前進しづけらる人は=それが自体が才能である」(志、努力、忍耐を自然に出来る人) 

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2020/10月/14 「 減酒の意識改革 」

 昨今、周りから「最近酒の量が増えてきているように見える」、と指摘されたことはありませんか。 私がその一人です。 子供が3人とも東京に出てしまい、一人暮らしになったせいか、日々のアルコール摂取量が昔に比べ増えています。 きっと、一人だけの生活での「喜怒哀楽」を、アルコールで紛らわしているかのようです。皆さんはどうでしょうか。個人差はあると思いますが。

 私は、平日で「ビール350CCを3〜4本」。休日は「ビール350ccを4〜6本」多いときで8本を超える時もあります。休肝日は2カ月に1日ほど。 さすがに8本超えると、翌日は2酔いの症状が残る時があります。2日酔いするほど飲まなければよいのですが、誰しも「飲んでいるときはとても「気持ちが良く、ハイテンションになって、ブレーキがききにくくなってしまう」からでしょう。若いころは特にそうです。明日のことはお構いなしで、朝方まで飲んで騒いで盛り上がってしまうのです。 一種の「麻薬中毒効果」と同じでしょか。
 また、一人暮らしでいると、どこか自制心が弱くなってしまうのは仕方がありません。 誰かいれば自制心も少しは意識してブレーキがかかるかと思いますが。
 ストレスや、嬉しい時などは「一本、二本と余計に」飲みたくなってしまうものです。適量で飲むのはよいのですが「飲み過ぎ」が問題なのです。 どこか私も、間違いなく孤独で寂しがりやなので、気分転換でついつい過ぎてしまう時があると思います。

 私は、3カ月に一度は、総合病院に行き「血液検査」をしています。2年前に22年ぶりに「ドック」に入ってからです。 検査結果は自業自得で「肝機能の数値に若干問題があります。 もう2年もこうした数値の状態が続いています。 そのせいか、自覚症状を少し感じるような気がします。 と言うのは毎日が少し「疲れやすい、だるい・・・・よって、集中力、注意力が若干、弱くなってきているように感る昨今です」。
  歳のせいもあるかと思いますが。お酒を飲みすぎたり、歳を重ねると、自然にそうなると言われています。年配の人が自分のことを「最近少しボケてきた・・・」と、言う人がいますが。 いやいやまだまだ、そんなこと言っててはいけません。諦めないで頑張らなけばなりません。 ほっておくと、本当にボケて行ってしまいます。と言い返しています。

 お酒の飲み過ぎが要因で、亡くなったり、体を壊した方々は身近でたくさん知っています。亡くなった私の父親もそのくちかもしれません。 仕事は誰にも負けないほど一生懸命でした。動いた分お酒も毎日けっこう飲んでいました。 体は頑健でしたが、お酒を飲むために胃薬を「けっこう」飲み続けていたのが要因で、いきなり末期がんを宣告されてしまった感じです。 安易な薬の飲み過ぎも絶対によくないと思います。その点、私は出来るだけ気を付けています。 最近、親族から「医者嫌い、薬嫌いだ」と言われています。
 
 芸能界等、派手さがある業界では、お酒に加えプラス薬物で、命を落したり、薬物犯罪で失敗しているかたが、後を絶ちません。改めて派手で本当に怖い業界世界だと思います。一般人の私したちと違い「誘惑の機会や、お金の感覚」が全然違う環境の中に浸かっているからだと思います。
 人間は基本的に精神意識が弱い動物かと思います。周りの誘惑や影響に左右され、知らず知らず、魅惑の世界に巻き込まれてしまうのも無理ないように思います。
今問題の、詐欺被害が、なかなか減りません。人の心理の弱さに付け込まれてしまうのです。 基本的に、詐欺師は「自分に自信が持てない弱くて卑怯な人間です」。 また、よくゆわれる自制心が強い「本当に強い人間」など、少ないと思います。 お酒の飲みすぎも同じような心理かもしれません。

 そこで、この2020年10月1日から、思い切って減酒する決意をしました。

 この決意は、自身と子供、仲間、お客様との約束です。何より仕事への影響も考えて。そうです、地域やお客様のためにも、心身共に健康に最善を尽くし、もっと頑張って最善の仕事や行いをしなければならないのです。このままでは衰退化し悪くなるだけで、改善するはずがありません。改善に向け自制心と戦い続け乗り越えないと、絶対に望むような有意義な人生は描けないと思います。
この決意は、私自身の人生の大きな岐路での、約束であり大きな決断の時なのです。

 アルコール摂取の目標は
平日「ビール350を2本」、休日「ビール4本」までとする。 それと週一日は休肝日、もしくは月に2日連続以上の休肝日を設ける。(理想は4日連続)

 今日は10月14日です。この約束をしてから14日が過ぎました。約束を守れたのは半分だけです。やはり、目標を立てるのは簡単ですが、実行するのは簡単ではありません。

 昔タバコを吸っていましたが、その時は数か月でやめることができました。
 
 今年中には、目標を80パーセント達成したいと自分自身に誓っています。このコラムを見ている方々は、きっと「難しいだろう」と、思われることでしょう。 自制心で、自分との闘いであり、皆さんとの約束を出来るだけ意識して頑張ります。 自分に負けないでやり遂げたいです。

 最近あるかたに、心に響く言葉をいただきました。
「体(心身)の中に毒を極力に入れてはいけない」 「行動を起こす時は、毒か薬になるか、意識してみてください」 「そうすることで、命への感謝の気持ちが自然に生まれてくる」。

と、言われたことを思い出します。 この言葉には、とても新鮮で神秘的な気持ちになることができました。生活習慣や仕事にも共通することです。 普段でも、なかなか「心にしみる言葉」は聞くことができません。それも、お客さんからでした。ありがたい言葉をいただきました。無駄にしないよう心にとめておき、たまにはこの言葉に自分を重ね振り返る必要があります。

 私の場合、言うまでもなく「お酒の量が毒」なのです。自覚が足ら過ぎるのです。「感謝」と簡単に言っていますが、口先だけで、きちんと自覚が出来ていないのです。
こうして、決意を公にしているのですから、これからは、もっと真剣に意識する必要があると反省しなければなりません。

 アルコールを抜いた分、心身を動かしたほうがいいのです。 今までは間違いなく、脳みそも、体も酸欠と運動不足(血行不足、体力不足)です。今までのような生活習慣をしていると、どんどん老化現象が加速して行って、寿命を短くしてしまうでしょう。

 このままでは、親不孝、子不幸、仲間不幸、地域不幸、さらには「お客さん不幸」になって行ってしまいます。 自分の人生に悔いを残してしまいます。

 残る人生、関わる人々には、不幸から、幸福感へ。 また感謝の気持をもって、有意義に接っしていきたいと思います 。お迎えが来るまでは、元気に生きていたいです。


 これからは、アルコールの摂取量を減らしていき、健康、感謝依存症(人生充実依存症)の方向に切り替えていく覚悟です。

今は、人生の岐路です。 現実に真剣に向き合って、自覚し変えないと人生の「大きく大切な」分かれ道の岐路に立っているのです。 

      変わらなければ、「衰退への道を歩み続け、短命で後悔の人生」。

      変えれば、    「元気への道を歩み続け、長寿で満足の人生」。

  ここでの岐路の選択が、今後の人生を決めて行くことでしょう。

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2020/4月/9  新型コロナウイルスは 悪魔のプレゼント 

 この新型ロナウイルスはどこから来たのでしょうか。

 この世の中に「神様」「悪魔」・・が本当に存在するとしたら、今、世界中を汚染し人類を苦しめている「新型コロナウイルス」は、神様のなんらかの警告か、悪魔からの送りものか。 それとも・・・。

今回のウイルス原因は、間違いなく人間の悪しき行為の結果で生まれ拡散していったものだと思われます。 
それは、けっして手を出してはいけない悪魔の領域に、自分勝手な欲深い人間が誘惑され手を出してしまったのです。悪魔しかコントロールができない、新種の危険なウイルスに人間が安易に手を出してしまったのです。 
ワクチンもない新型ウイルスが世界中に拡大してしまっているのです。神様の忠告に耳もかさない愚かな人間に対し、悪魔の思うつぼになって全世界に拡大し恐怖となってしまったのです。 悪魔の微笑みウイルスなのです。

このウイルスは、自然界のコロナ菌を持っていると言われるコウモリなどから、自然に感染したものではなく、「人間の誰かが、手を出してはいけない、悪魔の領域に入り込み、コロナ菌を人工的に取り出し、コロナウイルスを人間に感染させてしまった」、と私は推測できるかと思います。

一番の原因の元と言われている中国武漢の市場と言われていますが。 ここでは、コロナ菌の原子と言われている、コウモリの生肉は表向きでは売っていなかったようです。では、だれが、どこで?。

ましてや、こうもりの肉は中国だけでなく、近くの国々でも昔から売られて、食されてきた長い食文化の歴史があります。ここにきて、急に、こうもりの生肉を扱ったり買ってきて、たまたま扱い食べたのが原因で新型コロナウイルスが人に感染したとは、とうてい考えられません。いくら温暖化の気候変動や、不衛生の中で経済が急速に近代化したとしても。

中国の長い長い5000年もの歴史が証明してくれていると思います。

では、今回のコロナウイルス感染の誕生は、どうやって生まれたのでしょうか 。あくまでも推測で考えてみます。 
それは、「開けてはいけない、悪魔の箱を欲深い人間が開けてしまった」可能性が大きいかと推理したいと思います。

中国武漢内や近くにある、いくつかの「ウイルス研究所」では、発生原因と言われている、コロナ菌をもっているコウモリを、何百匹も捕まえてきてコロナウイルスを注出しながら、ウイルスを研究していたようです。 
 驚いたことに研究所で使用された肉などが、闇で武漢市場へ持ち込まれていたのです。持ち込んだ容疑者が逮捕されています。コウモリだけでなく、豚や牛・・・他の動物も。これが原因かもしれません。こうした事実からも「中国産の食材は、信用が足りません」。

 研究はいったい何のためか?。
戦争で使う「生物兵器開発」か、良く言えば「将来に向けた最先端のウイルス予防対策」のどちらかでしょう。

しかし今回は間違いなく前者だと思われます。 中国の国家戦略で、ウイルス兵器(生物兵器)の開発途中で起きた、「事故」だと思います。

 事故とは、まだ研究途上であったコロナウイルスが、間違って、研究室から何らかの原因で飛び出してしまい、人類の中に「新型コロナウイルス」として放たれたれてしまった、と考えられます。
 事故例1、研究室から何らかの原因で外に漏れ感染。事故例2、研究所で使用した肉類等が、闇で武漢市場で扱われていた。・・・・・。

 研究段階でしたので、ここまで強いウイルスの認識も少なく、感染力も?、どれほど強く影響をあたえる・・・・、など予測できないなかでの「事故」だと推測します。
故に、抑えるワクチンも出来ていなかったでしょう。通常、生物科学兵器を作る時は当然にワクチンも一緒に作られるのですが、研究途中の事故でしたのでワクチンをつくる段階まですすんでいなかったのが、最悪の結果を招いたと思われます。

 仮設の推測。  もしかして、もしかしたら、中国の計算された戦略として、ある程度ウイルスが拡大することまで予測しておいて「すでにワクチンは作られていた」かもしれません。 貿易戦争をしている中国の宿敵ともいえる欧州やアメリカへの贈り物かもしれません。また、老人などに金がかかりすぎるから「致死率の高い老人を犠牲にする、計算された恐ろしい戦略の生物兵器」だったのかもしれません。
 しかし中国の力でここまで計算され尽くしつくった生物兵器だとは信じられません。 核爆弾を最初に作ったアメリカなら、あり得るかもしれませんが?。

いま世界中で拡散している中で、発祥震源地と言われている中国は終息状態に向かっていると言ってアピールしています。感染者数、死亡者数などは信じられません。数字が一桁以上違う」のではないかと言われています。
 実際に中国内の医療関係者は全てを暴露しています。こうした不都合な情報がネット上にのると、中国では、すぐに削除されてしまいます。中国の共産国では、日本では信じられないような隠蔽国なのです。 日本でもありますが。

 自国の武漢が終息に向かうと?、「ウイルス発症地との汚名返上」か、今度は中国の影響力や親切をアピール拡大して、世界中に援助を呼び掛けています。アメリカは、いまだに「中国ウイルス」を言っていますが。
中国にコロナ菌が拡大しているときに、アメリカは支援しよとしましたが、中国は断りました。 こうしたところが、お互いに何らかの駆け引きがあるのでしょう。  なんだかSF映画のようなストーリーになってきました。

一番怖いのは、治療薬がないことです。それと、若者など元気な人は感染しにくいうえ、もし感染し陽性になっても症状が出にくいだけに「陽性でありながら無症状で、人混みに入り、周りの人々にどんどんコロナ菌を感染させてしまう」危険性が大きいことです。特に「密室」「密集」「密接」接触において。

お年寄りや基礎疾患とうの持病がある人などは、免疫力や治癒力が低いので、感染しやすく重症化して死に至りやすい傾向なのです。 また、重症化してからの死にいたる速さが特徴とも言われています。感染の症状は個人差はありますが、せき、発熱の継続、頭痛、下痢、息苦しさ、倦怠感、・・・・・他にも「臭覚や味覚が極端に落ちる」と言われています。

悪魔のささやき(人間滅亡)か、それとも神様のささやき(警告)か。それとも、「地球環境のバランス維持、それとも、老人や、体力的に弱い人の命を奪い、地球上の人口を制御整理」しようとしているのでしょうか。そうはとは思いたくありません。

もしかしたら、人類の勝手な行いに怒り、我慢できなくなり「自分勝手な人間を地球上から滅亡させてしまおう」と考え、コロナウイルスをまん延させたのかもしれません。 本当に恐ろしいウイルスが、「神様の警告として」もしくは「悪魔の贈り物として」地球上に放たれてしまったのかもしれません。

繰り返しますが、人間は地球上で間違いなく「一番危険な生物」なのです。宇宙環境、地球環境、自然界の生物環境において悪影響を作り出し続けています。 神様でも制御できない、悪魔の仕業の誘惑に、人間は安易にのってはいけないのです。人間は知能生物であるだけに、一歩間違えると最も危険な生き物なのです。人間のほうが、コロナウイルスよりはるかに危険な存在なのです。

神様が人間を誕生させたのは、それなりの理由ががあるのです。宇宙、地球、生命・・・他の保存維持・・と地球を守る、それなりの役割と期待をもたせ作り出したことでしょう。その期待に反して、逆に自然界の秩序を壊してはいけないのです。

神様は、人間に警告し続けているのです。 将来の良好な地球環境を考えた時、今のままの自分勝手な人間であれば「人間だけ絶滅させたほうがよい」のかもしれないと判断されても仕方がありません。

神様と悪魔は「人間の中に常に共存している」のでしょう。
自己中的な欲望などに負ければ「悪魔の勝利」として人類は滅んでいく。  正義と無欲で愛があれば「神様の勝利」となり、宇宙環境の秩序がたもたれ人類や地球環境は継続していくことでしょう。 こうなれば悪魔は休眠状態になります。しかし決して滅亡はしません。また、今の人間のように自然界の秩序を乱す生物が現れたら、いつでも現れることでしょう。 その時の自分の出番を待っているのです。

神様を信じることはいいのででしょうが、けっして悪魔の誘惑や方程式を安易にのったり解いてしまったりして、悪魔の領域に間違っても入り込んではいけないのです。人間の一番大切な危惧課題だと思います。

  神様は  愛しき純粋な心に 潜んでいる     人類の、反省、幸福と繁栄へと

  悪魔は  悪しき貪欲な心に 潜んでいる     人類の、増悪、減少と滅亡へと

  仏様は  愛しき悪しき心に  潜んでいる     人類の、感謝、反省と存続へと

コロナウイルスは神様からの人間への警告か、それとも悪魔からの人間破滅への贈り物か、それとも仏様の教えか。 それとも「3者様かの送り物」かもしれません。この事実を、人類全員が真剣に意識しなければならないと思います。

このウイルスが拡大していくなかで、この危機にいまだに自覚が持てない人間たちが世界中で大勢います。のんきに忠告を無視しつづけて、このコロナウイルスの意義と怖さを理解しようとしないのです。それ故に、世界中の若者は「他人事」のように、遊びまわり危機感が足りません。 未熟な若者の行動力と自由さは多少しょうがないのですが。

もし、人間一人一人が、「すでに自分自身がウイルスに感染しているかもしれないので、絶対に他人に移さない」危機感をもって行動に心がける。そして、地球上での人間の存在意義を謙虚に自覚することが本当にできて行けば、このウイルスの恐怖に打ち勝ち逃れられる日が必ず訪れるのではないかと思います。

神様は真剣にこのように願い人間に警笛を鳴らしているのでしょう。
悪魔はプレゼントしたウイルスの危機にさらされ、脅えるえ苦しんでいる人間を見て微笑みながら、人類滅亡を期待していることでしょう。
仏様は、神様、悪魔の双方を持ち合わせながら、人間の存続を見守っているでしょう。

はたして、個々の人間や人類社会は、こうした危機感ある現状に気付けるでしょうか。 これからどちらに向かっていくのでしょうか。 間違っても地球環境を滅ぼしてはいけないのです。そうであれば、先に人間が地球上から滅びるのが自然だと思います。

人間に一言、人間よ「神様の警告」に気づき、人類の繁栄意義を謙虚で素直に自覚し、自分勝手な行いを慎みながら、地球上の生命維持の先頭に立ち、責任を持って地球環境を守らなければいけないのです。損得勘定で自分勝手な行為など、悪魔のささやきに安易に誘惑されてはいけないのです。 仏様も、先祖を偲び自身の命に感謝しながら無欲で生きろよ。と、同じように考えてくれているおもいます。

 こうした危機感や教えに気づく覚悟のできる日が、一日でも早く来てくれることを強く願いたいと思います。 

一番の心配は、テロリスト等が、この新型コロナウイルス等、を使って「テロ活動」をする恐れがあるということです。核兵器と同じで、間違っても使ってはいけませんが、想定外ではありません。

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2020/4月/1  原子力は 悪魔の方程式 


原子力、放射能汚染問題も「新型コロナウイルス危機」によく似ています。目に見えない恐怖です。

原子爆弾は、一つで「何十万、何百万もの人命を失う」恐ろしい悪魔のエネルギーがあります。 これこそ、悪魔の知恵の「方程式」から生まれた爆弾です。

    「E=mC2」(エネルギー=質量×光の速さの二乗)

この方程式は、あの物理学者のアインシュタインが考え「悪魔の箱から見つけ出した」ものです。

本人自身いわく、核爆弾に利用されたこの方程式のことを「人類を抹殺した爆弾制作に貢献してしまった」。と、一生悔やんでいたようです。 死ぬまで核爆弾廃絶を望んでいました。改めて感じましたが「天才的な物理、化学学者・・・は、一歩間違うと未知なる、悪魔の方程式まで解いてしまう」こともあるのだと。

この原子爆弾等の結果から、原子力エネルギーの研究開発が進み「原子力発電所」・・・が増え続けて行ったのです。

しかしながら、原子力発電所での大きな事故はが発生したときは人間では制御できません。放射能という目に見えない危険な放射能に汚染空気が飛び交い、人命を奪いその後、人が住めなくなってしまうのです。
これまた悪魔世界の仕業です。本来であれば、制御できないものに人間が安易に手を出してはいけないのです。 しかし、人間は効率的にエネルギーが作れるため安易にお金の為(経済発展)に使っています。 都合よくCO2削減の為だ、などと言い訳をしていますが。

悪魔の戦争兵器「原子爆弾」は、日本にだけ投下されています。
人類はこの恐ろしい「原子力エネルギーの本質と非人道的な行為」を、日本人をはじめあまり理解できていないように思います。 それ故に余計に神様は怒り警告し、悪魔は喜んでいるのです。
悪魔は「人間滅亡への仕業」を、これ幸いにどんどん人間世界に送り込み、人間が恐怖におびえている姿を見ながら微笑んでいるのです。

原発などで大きな事故が起きたときなどは、人間では「放射能は制御」できないのです。チェルノブイリ原発事故、福島原発事故・・・。未だに大きな影響を受け続けています。事故を起こした原発の近隣には、一生人間が住むことは出来ないでしょう。汚染された人間のいない汚染された環境で、野生のイノシシたちが、かわいそうに何も知らずに、自由に飛び回り住み続けています。

東日本大地震時の、福島原発事故の大きな事故は間違いなく人災です。「東電、国}の。
事故の5年ほど前から、専門家達は過去の地震も参考にしながら「津波は15M以上」であると、危険性を訴えていました。しかし「東電、国が先送り」していたのです。それも、その後3回ほど事故前に、更に忠告されていたにも関わらずです 。こうして危機感のない人間組織(お金、経済的損失で東電、国)の人災として事故がおきたのです。

専門家が幾回も忠告し見解も示したにも関わらず、耳を貸さずの間に、大津波による事故が発生したのです。
事故を起こした東電も国も誰も責任を取っていません。言い訳をしていました「想定外の津波で甚大なことが起こってしまった」と。 「ふざけるな・・・と言いたいです」。
 間違いなく都合のいい言い訳です。5年前からの専門家らによる忠告(津波は15Mを予測」を冷静に真剣に向き合っていれば、事故は間違いなく発生していなかったのです。

忠告を聞けなかった理由をNHKで特集していました。 一つは「日本中の電力会社の横の繋がりと配慮、東電がリイダー核として、調整してい」たようです。それと、国にも、「原発を管理する国の窓口があったが機能不全」だったようです。
事故後、電力会社と国は癒着があり、全く機能していなかったことも判明。事故後に、この国の窓口は解体されました。国民が知らないこといいことに、お金(癒着)していたのです。

この事故は間違いなく人災なのです。防ぐことが出来ていたのです。東電と国の責任なのです。原因として、国(政治家、官僚)と電力会社や関連会社との慣れ合いの癒着もあったのです。 まったくもって、いい加減な管理運営をしていたことになります。
この補償を我々国民の税金で処理しているのです。 本当におかしな話です。国民の血税の税金から東電と国の怠った事故補償をしているのです。国、政治家、東電(最低限の保証はしているが)・・・は、責任を取らないのです。 国民を馬鹿にしているとしか思えません。

こうして、動物、生物に対し、最悪の自然環境を人間(東電、国)が作ってしまったのです。人類(国、東電・・・)は、地球環境上で危機な事故事実を作っておきながら、まだ懲りないのです。 おしおきが絶対に必要なのです。それでも愚かな人間は、気が付かないのか、欲溺れていて故意に気付こうとしないのかでしょう。「国民の安全安心よりも自身の権力と居場所の擁護が優先しているのです。

原発を作るのに20年程?、事故後で廃炉にするのに40年以上も掛かるのです。地球上に放たれた強い放射能が消えるまでに数万年かかるとも言われています。ましてや、建設費より事故後の廃炉に掛かる費用のほうが、はるかに大きのです。原子力エネルギーは、長い目で見ると、決して安価でないだけでなく、逆に高額で危険(放射能影響)なのです。

さらに、「使用済み燃料の廃棄処分」の方法や、費用はいまだ決まっていません。地球が「使用済み核燃料のゴミ箱」になってしまうのです。このゴミが地下に埋設される計画がありますが、地下深くに埋設してから、放射能が無くなるまでに数万年かかるといわれています。地震国の日本では、地下に埋蔵できる安全な場所などあり得ません。

そのうち、月や火星・・宇宙にでも廃棄しようなどと言い出すのではないでしょうか。人間は宇宙汚染においても本当に自分勝手で怖い存在なのです。

もし、テロで世界中の原発にミサイルが撃ち込まれたら、人類共に地球上の生物はほとんどが絶滅することでしょう。人間の自業自得の結果が招く恐れがあるのです。決してあってはなりません。しかし、絶対ないとも言い切れません。(私が、最悪のテろリストであれば、共倒れ覚悟で、実行するかもしれません)。
 人類が、いつもの「想定外のことでした」と言い訳するときは、致命的になりいまの人類は終わっていることでしょう。映画の「猿の惑星」以上に。 人間という動物全てが「猿以下の知能」になっているでしょう。

恐ろしいことに、世界中で1万4千の、原子爆弾が配備されているのです。冷静に考えれば危険すぎてあり得ないことです。配備している国には「世界平和」などと言う資格はありません。自国だけよければ、という、お都合主義の勝手さです。人間の自分勝手な自己防衛手段なのです。早くなくすべきです。

原子力に対する事故やテロが、いつ本当に起こるは解りません。 明日にでもテロが起きるかもしれない、と謙虚に冷静に判断して行く必要があると思います。これは「想定外」でなく「想定内」のこととして自覚して危機感を持つべきだと思います。

 自覚できたその時には、自然と「原子力発電所」や「核爆弾」・・・の廃絶を真剣に考え、悪魔の誘惑などに負けない、本当の賢く強い人間の姿が、地球上いおいて価値観ある存在として認められることでしょう。

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2020/3月/23   大日影で「NHK大河ドラマ麒麟がくる」のロケ


 昨年11月に「NHK大河ドラマ・きりんが来る」。(明智光秀) のロケが、我が集落の茅野市大日影区内で行われました。

現在、毎週日曜日にNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(明智光秀)が、放映されています。
主役(明智光秀)長谷川博己、正室役(ひろ子)小林君与・・・・・。

最初に、皆さんもご存じのとうり、織田信長の正室役の「沢尻エリカ」問題で、「10話の完成版」が、撮り直しとなり放送日も延びていしまったことは本当に残念でした。

 昨日(3月22日)放送された第10話と、第12話(4月5日)での放映予定の一部のロケが、驚いたことに我が大日影集落の田園の中で、2日間にわたり行われたのです。 スタッフは80人ほどと、馬2頭。
ロケ、シーンは「明智光秀(長谷川博己)が、正室ひろ子(小林君与)に、プロポーズするシーン(第12回放送)が主として含まれていました。

ロケは昨年11月10日、薄暗い午前5時30分から、ロケの準備(セットは前日)に入り、6時30頃からロケが始まりました。気温は-2度で、周りは霜で真っ白の中で始まりました。スタッフの方々もありらこちらで、滑って転んでいました。 見ているほうは、ついつい笑い。

役者さんたちも大変です。こんなに寒いなかで撮影するとは思いませんでした。まだ、朝日も昇っていなかったのです。 手足は冷たいだろうし、吐く息は真っ白でした。

明智光秀役の「長谷川博己」さんは、寒さに耐えながら頑張っていましたが、時々寒さに耐え切れなくなり、ジェットヒターで暖を取ったり、体を動かして血行をよくしていました。その時は私の横に居ましたので少し会話ができました。私の方から握手を求めたら「こんな冷たい手でいいですか?」、と言われましたが、気持ちよく応じてくれました。私としては長谷川さんの熱い人間性に触れたかったのです。
長谷川さんとの少ない会話でしたが、笑顔で答えてくれました。 近くで見ると、とても好感がもてる俳優さんでした。 テレビで見るよりは「少しナイーブ」さを感じ余計に好感がもてました。

私がロケの情報をもらったのは前日9日のロケ準備中でした。本当に驚きました。

昨日3月22日(第10回)、の放送の中では、昨年11月12日(大日影で2回目)にロケしたシーンが、ドラマで放送されていました。明智十兵衛(長谷川博己)が、農民・・役(岡村隆史)を連れ、馬を引かせながら、織田信長に会いに行く途中の、林道を歩いているシーンでした。 岡村は顔を真っ黒にした農民姿でしたので、最初は本人であるとには気づきませんでした。

22日、テレビ画面にでたとき、すぐに「大日影でとったシーンだ」、とわかりました。見慣れている風景がテレビ画面にでてきたので、なんとなく不思議な感じでした。

再来週(4月5日)放送の第12回放送では、昨年11月10日にロケされた、「明智光秀(長谷川博己)が、正室になる(小林君与)へのプロポーズシーン」の時の、ロケ撮影が放送になります。 とても楽しみです。
 私はこのシーンのロケ現場から、6メートルくらい離れたところで「迷惑にならないようにしゃがんで、出来るだけ俳優と目を合わせないように」見させていただきました。 ロケ中、スタッフと一緒に見守っていました。 この日は、朝6時半ころから午後1時半まで、スタッフと共にロケを見守ってみていました。
いろいろと勉強にもなったような気がします。自身が「俳優」「監督」「カメラマン」・・・になったような感じでした。
時々撮影風景を見に来た仲間からは「太田はすっかり助監督役のように見えた」と言っていました。私も物好きなようです。

NHKに、なぜ大日影でのロケを決めたのか理由を聞かせていただきました。
すると「ここは、自然そのままで、ロケにはもってこいの場所だ、それに鹿よけのような障害物・・のような、近代的な工作物もなく、カモフラージュするところがほとんどない」・・・と言っていました。
3月22日(第10回)に放送された場所は、4月5日(第12に放送される、ロケ場所として決めた後に「ここもいいな」という感じで急遽決まったようです。「 大日影はロケ地として魅力的なところが沢山ある」・・・・。
NHKいわく、12日にロケした場所の直ぐ上に「崩れかけた水車小屋」をみて、是非とも修復して残してほしい、とも言われました。 今は、お金がなく再生できませんが、近いうちに修復して「ここの縄文人の里村=大日影の里」の魅力にしたいと考えています。

今回のロケ地に認められたことで、改めて「景観の大切さ」「自然の保護」の重要性を感じました。
言うまでもなく、茅野市の魅力は八ヶ岳山麓を中心にした自然の魅力なのです。八ヶ岳、西麓(林、田園、集落)、温泉、白樺湖、諏訪大社、軽井沢と違い湿度が少ない夏・・・他、それ故に観光地、別荘地となっていったのです。
 計画性や将来設計のない安易な、経済発展、観光開発、田舎暮らし・・・・の為、とか言って、この魅力的な自然財産を壊して行っていけないのです。今からでも遅くありません。これ以上壊してはいけませんし、壊してしまったものは、長い時間を掛けながら元の姿に再生していけばいいと思います。新たに作るものは「出来る限り、周りの環境に配慮」しなければなりません。 八ヶ岳西麓エリアの自然の魅力を損なってはいけないのです。

NHKも言っていました、「こうした場所をいつまでも残して行ってほしい、かといって、他社のロケでもあまり使ってほしくないが・・・」、と、冗談っぽく話してくれました。


茅野市の魅力(財産)は、八ヶ岳山麓の自然の魅力が一番なのです。 しかしながら、地元の方々、特に茅野市から出て生活していない方々は、自分の住んでいる「茅野市の魅力に気が付がいていない」のが、現状のように感じます。

 何事も「意識改革」が必要かと思います。  見直す 現状を  そして視点を変えて

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過去のコラム

2019/10月/7  「 関西電力の不正癒着疑惑 」独裁権力者との癒着

2019/10月/3  自民党政権の構造」 長期一強独裁政治の現実

2019/9月/28  安倍首相へ 一言 丁寧に 膿を出し 謙虚に 美しく・・?

2019/9月/23 「国、行政、企業・・の 癒着の現状」 税金還流の実態

2019/9月/18  「癒着や談合を無くすには」  ご老体は定年制で隠居

019/9月/2 「 感情的な人・国・日韓問題の解決策 」お互いに理解を

2019/7月/7 「 健康で 充実した楽しい人生を 」

2019/2月/16 「賃貸アパート大手「レオパレス21」 施工不良」

2018/12月/5 「前を見て動く人は 必ず批判をうけ続ける」

2018/8/29 「私の人生を変えてくれた人」

2018/5/28 「新緑の息吹は 青春そのもの

・2018/5/6 「新たな組み合わせ で 幸せを

2018/5/5 「いじめる人は 弱者、卑怯者の証」

2018/4/29 「男はロマン 女は愛を

2017/12/8 「可愛かった りす でも可哀想にしてしまった」

2017/11/22 「評論家 と 政治家 」

2017/9/28 「 つらい時に すること  」

2017/8/7 「 言葉 の 大切さ 」

2017/6/29 「あふれる情報の真実と見極め」

2017/6/14 「出会いと光」

「すがり(ジバチ)追い」

「決断の時」

「魚釣りの想いで 大岩魚」

「寄り添う」

「チャンスや成功を生む きっかけ」

「運と資格取得(宅地建物取引主任者)」

「本物のプロとは」

「安全とは 格安・・は危険」

「悩まず 挑戦する」

「無駄遣いしない」

「後ろを振り向く暇があったら 前を見る」

「自然の力はすごい」

「豊かさを求めて」

「いたずら」 創造する遊び

「 超格差社会 」

・ 「 おもてなし 」

「僕の母さん」

「僕のお父さん」

「23年度茅野市PTA連合会長を終えて」

「健康=自律神経を整える」

子育と教育「生き抜く力」をつけさせる

「子供と向き合う」

「絆 きずな」

・ 「血縁者でなく喪主」

・ 「ポケットに穴」

・ 「坂本龍馬 」

・ 
「考え抜いて 突き抜けろ」

「きれいより、美しさを追求」

「 私の存在 」

「 人生の春夏秋冬 」

「危機は 基礎体力を厳しく試す」

・ 「人間は、自分で自分をいかようにも出来る」

「 力をつける 」 

「 生きる力 」 

・ 
「親父と一緒に植林して育てた木でつくる我が家

「山の手入れ間伐で薪材を確保

「食べすぎは病気のもと」 食べない健康法?

「僕の前には道は無い 僕の後ろに道は出来る

「子供はなによりの宝

・ 
「人間の使命は地球を守ること

・ 
「カブトムシ捕りのついでに松茸二本

・ 
趣味は健康のバロメーターの鍵」 

・ 
エネルギーある生きた食材で健康」

・ 
大自然のなかで生かされている私達」

・ 
「情緒」「心」を大切に

「家づくりは、住む人の生き方の現れ」

・「あけび採り」

・「岩魚の塩焼き、山菜料理に乾杯」

・「責任あるお役目」

・「今年の冬の遊びと春をむかえるにあたって」

・「信頼できるものは ありますか」

・「自然災害と生活場所の関係」 台風 大地震 火山 ・・

・「今年の秋と自然の恵み・・温暖化で異変・?」

・「信じられない不動産取引」

・「民家再生リフォーム」

・「私と
おんばしら」

・「八ヶ岳縄文人の会では」

「保護者連合会長を終えて」

・「人の育つ-寿命の長い家とは


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2019/10月/7  「 関西電力の不正癒着疑惑 」独裁権力者との癒着


 高浜原発では「東日本大震災後」に急増した、「安全対策費」として計5500億円の高資金を計上(この資金も不透明ですが)。 もちろん原資は、消費者が負担する電気料金からです。

9月27日の報道で問題発覚。 「元助役から関電会長らに3億2000万円」と、新聞やテレビで報道があり大きな問題として発覚しまた。関西電力の会長、社長、副社長を含む役員ら20人以上が、関電高浜原発が立地する福井県高浜町の森山元助役から、過去7年に渡り約3億2000万円の資金(金品)を受け取っていたというのです。

その後の調査が進んでいます。 過去7年、11年前、更に20年、いやそれ以前から・・・、と、日がたつほどに、詳細が明らかになってきました。更には1976年の原発稼働時期以前の、原発誘致(60年以上も前)ころからと言われています。森山助役が現役のころからです。よって、3億200万円(過去7年間)をはるかに超える資金を受領や、他者への資金還流がされていたことが解ってきました。地元の原発関連会社等や他にも資金が還流ていたようです。
個人の口座や、菓子袋・・で受領。受領していた金品の内訳は、「現金、商品券、スーツ仕立券、米ドル、金杯、金、小判形の金」でした。 スーツ仕立券(3750万円、一着50万円)は、すでにほとんど使ってしまったようです。 これでは、昔、民衆も苦しめた悪代官の手法と同じです。 驚いたことに関電の社長がテレビで釈明していました。 「一部は常識の範囲を超える金品について受け取りを拒んだり、返却を申し出たりしたが、森山氏からは(恫喝されていて?)強く拒絶されたため、一時的に保管していた」と釈明した。 「すでに全額、一部を返納している」というのです。

それも昨年1月に税務局から指摘され始めたころからです。また、今回問題が発覚してからでしょう。スーツの仕立券(3750万円)は、ほとんど使っているというのです。そもそも、「20年以上も保管していた」では、おかしです。森山氏は昨年1月に、すでに亡くなっているのです、「死人に口なしで、悪事の責任全てを森山氏のせいにしている」ようです。そうだとしたら「森山氏が亡くなった時に、全てを透明にして解決できた」はずです。今更こども騙しのような言い訳は、大人気ありません。さすがに政治家と同じで「今のポストへの執着」がつ強すぎるのです。やはり、「権力と利権の絶大な力」は、政治家とヤクザや企業トップ・・他、は人間の最大の魅力(欲)なのでしょう。

これでは泥棒が「盗んだものは、一時預かり保管していたが、返しましたので罪を許してください、一部(スーツの仕立券)は使ってしまいましたが」、こんな言い訳で済むと思っているのでしょうか。これでは、賄賂・・も、「預かり、返した」「渡したが、返してもらった」で、すむのでしょうか。 地位(権力)と頭のいい方が、いかにもおかしな言い訳を平気で言いそうな釈明です。我々一般庶民の常識では理解できません。あまりにも国民を馬鹿にしています。我々一般庶民が同じような行為をしていたら「すぐに逮捕」されます。もう、お偉いさん達は癒着や不正が慣習として蔓延し「悪いという感覚が無い」のでしょう。権力と、利権のうまみで「俺は絶対の権限を持っている、俺の言うことを聞かないと痛い目にあうぞ・・俺のバックには(政治家、暴力団)がついているから絶対に逮捕されない」と、相手に圧力をかけ、言い聞かせる(脅している)のです。もうヤクザと一緒で「犯罪意識がまひ」しているのです。こうした方々が「日本のトップ権力者」の現状なのです。

醜いことに、問題が発覚すると「顧問弁護士」「政治家、特に権限の強い人」に相談して、「よしなに=また金品を添え」て、問題解決をお願いしているのです。 弁護士の立場は難しい仕事です。必ずしも「真実を明確にするお役目ではない」のは仕方がないようにも思います。依頼者(悪者)でも擁護するのが仕事なのです。 不思議なことに、この世の中に「真実のみを追求する仕事(資格)」は、思い当たりません。これから新たに作ったらどうでしょうか。 弁護士より格上の資格として。例-「真実鑑定士」のような。

9月27日の報道では、森山元助役は原発関連工事を請け負う建設会社「吉田開発」から(24億円で受注させた)、紹介料として約3億円を受領したことがも判明。
その後の調査で、関電の子会社の「関電プラント」(森山氏は30年前から非常勤顧問)から、森山氏が顧問務めている建設会社「吉田工業」へ、2013年から18年の5 年間で64億円以上の発注額だというのです。「吉田開発」(高浜町)に対し、関電が少なくとも18件の工事を、入札を行わない「特命発注」で契約していたこともわかったのです。うち8件を占める関電京都支社では、吉田開発への特命発注が歴代の担当者間の引き継ぎ事項となっていたことも判明しました。
吉田開発への不透明な「特別扱い」が常態化していたということです。森山氏は、原発事業関係者だけでなく、送電事業関係者や太陽光発電事業等にも、同じような働きがけをしていたようです。森山助役は現役時代の1976年(原発稼働時)以前より癒着していたようです。これから、新たな癒着事実がどんどん出てくるでしょう。関電をはじめ、国、県、自治体、関わる政治家や行政、関わる会社・・・他、驚くようなお金の還流の実態の真実が明らかになることでしょう。既に森山氏から「国会議員数名に数百万円もの政治献金が発覚」しました。ある自民党政治家は森山氏の関わる会社から「パーテイー券として150万円を4回で600万円」を寄付としてもらっています。 こうした不透明なお金で、また癒着、便宜で新たなお金が還流し始めるのです。  

吉田開発は、近年5年間で受注高が6倍に急成長しています。 森山元助役は関電と深いお付き合いがあり、町の顔役として、退職後も絶大な影響力を持っていたとされる。地元の業者からは「天皇」と呼ばれていて、「森山氏に仕事を頼めば100パーセント仕事が来る」と言われていたようです。  さらなるその後の調査で、森山氏が関わり、原発関連の発注費、関電の小会社から「関電プラントと、メンテナンス会社」(森山氏は両社の顧問)と、他、原発関連会社へ、3年間に110億以上の関連工事の発注があったことが判明しました。 こんな大それた癒着は、最近では珍しいです。 もう「どろどろの沼地地獄」です。 それ故に、森山氏は20億円以上の裏金を自由に操っていたことはほぼ間違いないでしょう。当然に自分の懐に数億円も。 昨年90歳近くで亡くなっているからから責任は負えない・・・?。 いや、森山氏の残した資産は(関連会社を含め)、全て没収です。こうでもしないと関係市民が納得しません。こんなことが許されたら国民から、「増額された電気料や、税金はもう納めない」と、言われてもしかたありません。

こうして「発覚する悪行」は、日本国中で、氷山の一角と思われても不思議ではありません。間違いなく「電力会社」に限っては、どこも同じだ、と思われても仕方がありません。いや、行っていると私は思います。 他の電力会社から、こんな声が聞こえてきそうです「当社はそこまではしていない」いや「当社ではそんなもんじゃない」「ヤバイ、ヤバイ、当社も、不正がバレナイように早く手をうって(政治家、弁護士・・に依頼して)、過去の証拠を隠蔽しないと」・・・・。こんな、密室での会話が聞こえてきそうです。現実的に「少なからず隠蔽活動を100パーセント、残業しながらしている」と思われます。 政治家、役人、企業、含めて間違いありません。

国を挙げての一大事業(税金を投入)の壮大な「原発マネー(何千憶いや兆単位)」の中から、政治家、役人(国、県、自治体)、事業主・・は、こうして国民の税金を還流して悪さをして互いに懐を肥やしているのです。この現実が「日本経済の悪い仕組み」の、一例だと思います。バブル時代は相当にひどかったと思いますが、経済が回っていたので、表ざたにあまりならなかったのでしょう。 
そうした悪い慣習が、まだ、まだ続いているのです。特に年配の方々の権力者たちは(政治家、役人、企業・・)。  政治家も企業人も定年制を早く作りましょう。高齢の権力者が、いつまでも絶大な権力を振るって「俺の言うことを聞かないと、痛い目にあうぞ」的なことをしていると、癒着し独裁的になり税金の無駄使いだけでなく、将来有望な若者の育成の妨げになるだけで、世の中の為になりません。清らかな大地や水が汚れてしまいます。
ご老体の権力者たちは、早く「隠居」してほしいと願います。 引退後の老後は、無欲で充実した人生を楽しくお送りください。

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2019/10月/3  自民党政権の構造」 長期一強独裁政治の現実


「長期の一強独裁政権は、強引さと癒着が蔓延し、格差社会を生んでしまいます」

 我が国の自民党安倍政権をのぞいてみましょう。、財政的に国全体の数字は、そこそこかもしれませんが、間違いなく格差社会問題は大きな懸念材料となっています。数字合わせに(GDPに貢献)している、優良大手企業や財産家の人たちの売り上げや利益を優先させて、国全体としての評価(数値)を底上げしているように見えます。

我々のような8割以上の「生産性(GDP、税収)に貢献度が少ない中小零細企業、自営業、農家」などの、一般国民や弱者などは相手にされていないように思います。NHk特集で報道していましたが、ここ5年間で「中小企業の廃業(整理・倒産)が5倍に増え続け年間約4万件」だそうです。廃業の主な原因は「業績不振、後継者不足」。更に「数年後までに31万件の廃業予備軍がある」というのです。地方では郊外に大規模な大型店や、工場等がどんどん出来ています。既存の昔からの商店街は「シャッター通りは空洞化」しており、昔からの町工場も同じような状況です。今まで地域に根差してきた小売店や町工場等は、自然と廃業に追い込まれているのです。時代の流れで仕方がないところもありますが。 
すると政府は「地元中小企業や小店舗は「地域の特性を生かした店、仕事をすればいい」と言っているのです。そうは言っても簡単に出来ません。 

地域の高齢者や若者に、「地域の特性を生かしたベンチャー企業を発掘しろ」といっているのです。もし知恵を絞って出来たとしても「一部の店や工場だけ」でしょう。また、農業を見ても、「TPP]等で、安い農産物、家畜がどんどん海外から入ってきます。これまた「地域の特産物」で頑張ってほしい・・・と、他人事です。政府は「国全体の経済効果だけ」を見ているのです。日本の総生産「GDP」は約580兆円です。農業関連「GDP」は8兆円程しかないのです。大企業のトヨタ自動車一社の「GDP」は約30兆円もあるのです。政府は言葉では調子のいいことを言っていますが、間違いなく大企業や富裕層に恩恵が偏りすぎているのです。 今のままでは格差社会が拡大しいき、中小零細企業、自営業、農家」などの、一般国民や弱者などの貧困問題がどんどん増加するだけです。

年金問題にしても、都合の悪いことは隠蔽して、その場しのぎで先送りです。自ら「年金検討委員会」を作っておきながら、報告書が出てきたら「内容がおもわしくない(国民に不信を与える内容)」として、認めないのです。ご都合主義です。 
公務員や大手企業等の厚生年金等をもらう人はまだいいのですが、国民年金(7万円)だけで老後を生活する人は、いったいどうなるのでしょうか?。困ったら皆さんは全て「生活保護申請」です(想定外で、もう税金が無いから(4万円)しか支援は出来ませんでは困ります)。 このような富裕層恩恵主義的な偏った政策は、政治家として失格です。全国民を公平に豊かで幸せにしていく義務があると思います。 この点では、韓国ではさらにひどいようです「富裕層-1 他、貧困層-9」と言われています。 日本は「富裕層-2、中間層-5、貧困層-3」くらいでしょうか。

節税、外交、社会福祉、少子高齢化・貧困・年金、TPP、国の借金、環境問題・・・等の問題だらけです。最初に取り組むべきは「節税」です。 必要のない無駄な税金使途をやめべきです。特に・・機関の(法人、協会、組合・・他)は、半数近くは必要ないと言われています。天下り先の温床となっています。また、トップ官僚の天下り先では、名前を在籍するだけで、年収と退職金で3年ほどの在籍で4000〜6000万円も報酬としてもらっているようです。我々から、しぼりとった税金からです。

国や官僚は税金泥棒の温床機関をたくさん作っているのです。大企業や沢山ある・・機関等への天下りは、完全になくすべきです。天下り先では、官僚、政治家、大企業、団体の仲介役となり、癒着や談合などで利益誘導し(競争企業には不公平)、報酬確保(税金の無駄遣い)をしていると言われています。政治家、官僚、企業のトップ等は、お金がプンプン匂うところに集まり癒着して、国益よりも、自身の収益の温存を優先しています。これでは「ヤクザ」「ハエ」の世界と同じです。国民を騙し無駄な税金を使い悪さをしているのす。

このような無駄な「・・機関の運営費や天下り先の報酬」等で、2兆円程は削減できると思います。また、無駄(不必要)な多額の事業費などを削減すると更に5兆円以上は削減できると思います。他、防衛費・・・他、で10兆円ほどは。これだけで17兆円ほどは削減できるのです。その中から社会福祉・・・にも回せます。 しかし大企業とは密に癒着しているから、事業費の削減はなかなかできないのでしょう。壮大な事業費の原発事業関連は特に。要は、無駄でも事業(出来る高大きな)を作り、癒着してお互い「お金を回しながら企業、個人の収益に結びつている」のでしょう。よく言えば「雪だるま式にお互いの利益を増やし、癒着以上に企業の業績アップで、国全体の財政発展に貢献」している場合もあるのでしょう。逆に「雪だるま式に、悪化」している場合のほうが多いように思いますこちらは特に悪質です。 安倍側近の政治家(副大臣)が、「私はすぐ忖度します。山口県出の安倍総理、福岡出の麻生副総理、のために、橋をもう一本掛けます。その調査費を計上しました」、と言いました。こうした忖度政治が今の自民党安倍政権の特徴と言えると思います。いずれにしても「不正、不公平」はいけません。

国民全体が納得できる正当な「政策、事業、支援、優遇・・等」で、税金を公平に使うべきです。目先の対応で富裕層恩恵主義的な政策や対応、癒着、はやめるべきです。
また、税金は、納税で苦しんでいる一般国民から搾り取るだけでなく、優遇され利益を上げている企業や個人の富裕層からもっと沢山とれる仕組みを作ればいいと思いますが。


「政治家を選ぶのは、我々主権者である国民の責任」

 政治家は「自分利益や変なプライド優先でなく日本国民益のためのプライド」で「腹をくくる覚悟」で務めてもらいたいものです。また、安易に憲法9条を改正して、また戦争や紛争に巻き込まれ、尊い国民の生命を奪ってはいけません。政治家には、国民の平和「安全、安心、繁栄・・・」を守る「権利と義務」があるのです。 一日ではやく、日本の将来像をきちんと描き、志をもって行動し導いてくれる首長や政治家を求めたいです。新鮮な水、空気、風、エネルギーを期待したいです。

日本で「おれおれ詐欺事件が多いのは、「過去の教訓はすぐ忘れてしまい、疑問に思わず安易に信じ込んでしまう人種」なのです。それだけ「危機感が少なく、人がいい」ところに、官僚、政治家や詐欺師に付け込まれやすいのでしょう。日本人は「人がいい」だけでなく「人情深く賢明な判断もできる、忍耐ずよく賢い人種」に、なって行かなければいけないと思います。 政治家、役人は、国民を「安全神話病の重病者」にさせて、いい加減なことを信じさせて、国民を騙したり不幸にしてはいけません。

 幾度も言いたいのですが、我々国民も、無責任でなく責任を持って「信頼できる政党や政治家をもっと真剣に考えて選ぶ義務」があると思います。「選挙する権利」と同時に「選挙で選ぶ義務」もあるのです。主権者は国民一人ひとりなのです。政治家や官僚ではありません。

 選挙に関心がない人は、将来の日本(我が子孫)に対し「無責任」とも言えます。棄権でも「選挙」はできます。 「日本を豊かで世界一幸せな国」にしていく志と努力(気持ちだけでも)が、国民一人一人に求められると思います。


我々国民が本当に信頼してお任せ出来る政治家を、よく考えて送り出しましょう。

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2019/9月/28  安倍首相へ 一言 丁寧に 膿を出し 謙虚に 美しく・・?


感情高く早口ですぐに「かっとなる」強引な安倍首相に一言。トランプ外交等は完璧?似たもの同士?。ゴルフ好き 自分勝手 で 類を見ない世界最強の独裁権限者?。
類は友をよぶ、安倍政権の取り巻きの権力者たち(麻生・・、二階・・)に国政を期待できるでしょうか。この3名(A・A・N)には間違いなく良かれ悪かれ絶大な力があるのでしょうが、良からぬ共通点があります。自身の独裁権力におごりおぼれて、我々国民をあざ笑ったような態度で、命令し、見下し、小馬鹿にした様な言動や態度(差別)をすることがあります。例「失言が多い」「早口でいい加減なと答弁」「できるものならやってみろ」「うすら笑い」「無言の威圧」・・・。また、最側近者をどんどん出世させ地固めしています。文部大臣には驚きました。森、加計疑惑の立役者では(疑惑を隠し通したご褒美)?。ここは隣国の韓国と同じです。

 田中角栄元総理は「黒いピーナッツ」賄賂で有罪判決をうけました(それは、証拠が発覚してしまったためです、それも数億?)。しかし、安倍総理は「森、加計」疑惑問題では、特に、親友の経営する加計関連の3大学創設を含めると「400〜700億円(この疑惑だけで)、国の税金を補助金として友の大学設立のために、優遇し認めた」といわれています。また、大学運営費として、多額の補助金が毎年交付され続けています。

「安倍総理は、頑張っているから、そのくらいは目をつむります。」で、いいのでしょうか。

いくら他に託す政権がないといっても「私欲」のために税金を優遇してはいけません。政治家として「一番の悪行」です。これでは「証拠がなければ、何やっても良い」ことになってしまいます。このような政治家に権力、利権を持たせたら最悪です。頭の良い政治家や官僚は、悪さをしても「証拠は隠蔽し残さない」でしょう。発覚し始めると、政権与党が結集して、隠蔽、圧力で早々に「フタ」をしてしまいます。 この点では、日本の政治家や国民は韓国と違って「正義観」がなさすぎると思います。

こうしたことを国民は、きちんと理解する気持ちにならなければなりません。上記の3人で「2000〜3000億円」ほどは、政治家個人の権力として、どこかに優遇し補助していると推測されています。政治家与党全体では予測がつきませんが(なん兆円)使われてるかはかりません。 当然に見返りを期待しての優遇でしょう。「選挙資金」「政治献金」「裏金」・・・・で、最終的には「個人収益」です。これが政治家の特権であり、うまみ、なのでしょう。昔から言われています、「やくざ」「政治家」「高利貸し」は基本的に同じだと。(人命を脅かし、お金に汚い)と。

この点、韓国は立派で見習うところがあります。首長であろうと「検察の力」で、不正があれば正義の為として「国の圧力に屈せず、徹底的に捜査して証拠をつかみ逮捕し牢獄」しています。文大統領が押し上げた「タマネギ男」は、徹底的に追求されています。このままでは、文大統領自身にも疑惑がかかると思います。
その点、日本の検察は政府の「圧力」に屈し、「忖度」して、逮捕できません。逆に政府関連者の犯罪や不正者を助けています。不都合な書類や証拠が出てくると、徹底的に動いて隠蔽や捏造まてまでも隠してしまいます(出てきても「怪文章」として。これでは「強者、身内(取り巻き)に甘く、野党や一般国民の弱者に厳しく」で、国民を騙し不幸にしているのと同じです。この現状が今の「安倍一強独裁政権」の特徴に見えてしまいます。 

 「令和」の元号も、安倍総理のお気に入りを、後で提案させ決まったようですが。「令和」=「国民(和)の皆さん、私の命令(令)に従ってください」とも、解釈もできますね。上記3名の人柄ではそう思われても納得してしまいます。

 権力の圧力「俺の言うことを聞け、聞かなかったら・・解るな・・・」これって、脅しですよね。やくざの世界と同じです。故に脅して、忖度させ、隠蔽し、強引に、命令し、見下し、づれている(本人だけが解っていない)・・・のような、「やくざな政治」では困ります。政治家としての威厳さと、誇と謙虚さが足らなすぎです。一強で長く権力を持っていると、聞く耳もたづで「裸の王様、政治家」になっていくのでしょう。反省と恥ずかしいと思う概念は無くなっていくのでしょう。上記の3名の言葉で、「膿をすべて出す」「謙虚」「美しく」・・・と、繰り返し聞きますが、だれが見ても「膿は自身のよで、謙虚さ美しさ」は微塵もみえません。個人的には早く「引退」してほしいと願ってしまいます。たしかに力はあると思いますが「良し、悪し」にも、限度があります。 安倍首相を見ていると、祖父である「岸信介元総理」の受け継がれたDNAのように見えてきました。 

 それにしても、政権交代できる野党の信頼と能力が弱すぎます。今の安倍一強政治に疑問を持っている国民が多いのですが、自民党以外に選択肢が野党にないのです。右翼化への強硬化に懸念を持っている国民は多いのです。憲法9条の改正が一番の狙いの、戦争参加、防衛費増強・・では困る方々が沢山います。でも、残念なことに今現在では他に受け皿がないのです。このままでは、平和が遠くなると同時に、税金がいくらあっても足らなくなります。今の防衛費は、20年前の倍近い予算で、更に増え続けていくでしょう。国民に内緒で、アメリカから「戦争用兵器」を、国民に内緒でどんどん受注しています。近い将来、節税対策も真剣にせず国民を無視して、消費税を15パーセントくらいにするつもりでいるのでしょう。

 その分、国民の平和、財政の健全化、社会福祉、弱者、農業支援、・・・の政策を真剣に考えてほしいと思います。 やはり、何事も長期や一強(独裁)過ぎるのは危険なのです。
教訓として、忘れてはならないのは「第二次世界大戦の始まりと、また敗戦決断の遅れ」です。開戦もそうですが、 解っていた敗戦をもっと早く認めていれば「原爆投下」は無かったのです。アメリカに都合よく「原爆の実験対象」にされました。アメリカは「戦争を終わらせるためにと正当化」していますが。人道的には決して許されないことです。日本の若者の記憶からは消え去られるでしょう。ここは韓国と違うところです。韓国であれば、「原爆投下は人道的に許すことができない」とし、歴史として記憶し続け残していくでしょう。

 広島、長崎での原爆投下で20万人以上、沖縄では県民の4人に一人が戦死しています。終戦まじかの本土への大空襲だけでも20万人以上の犠牲者がでています。終戦まじかの数ヶ月で、戦地を入れると100万人ほどが亡くなったと言われています。この戦争で300万人もの尊い命を失いました。 決断した政治家たちは、どうやって責任が取れるのでしょうか。絶対にとれません。日本の欠点である「変なプライド(軍国主義や一強の独裁者)」が判断を遅らせたのです。この判断は、日本の文化ともいえる「サムライ精神」とは全々違います。二度と戦争や紛争を起こしたり、巻き込まれるようなことは絶対にしてはいけません。 
このまま安倍一強の独裁政権が続くと、憲法9条が改正され、いずれ日本は昔の「軍国主義化」に戻って行ってしまいそうで心配です。また、既に懸念されている、高齢政治家の絶大な権力者による富裕層恩恵的主義で不公平な構造、癒着の構造の蔓延化が進んでいくことが心配です。このままでは、悪しき癒着構造離れができず、優秀な若い世代の政治家が育ちません。

やはり、ご長老は日本国の将来の為にも勇気をもって、優秀な若者に将来を託し黙って見守り、隠居すべきではないでしょうか。

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2019/9月/23 「国、行政、企業・・の 癒着の現状」 税金還流の実態


原発問題、東電問題、などは典型的な例です。地震災害復興時に、国民の税金を多額投入した時期は、東電社員の報酬はだいぶ減額しましたが、今では元に戻っているようです(時間もたったし、そろそろ国民も忘れているから戻そう・・・)。国民の税金をいれて高額報酬を支払っているのと同じです。東電の社員は多数ですので「従業員報酬平均」を上げることで、国民平均報酬収入が、少し上がるのです。 おかしなやり方で数字合わせです。元に戻した報酬分を、災害復興時に投入した我々の税金分を、少しでも返していただきたいです。 こうした事実の詳細は、国民の皆さんには内緒にしているようです。また、台風15号での千葉県における被害は大きかったです。特に停電は甚大な被害を被りました。未だに停電しているところがあります。この時の東電の
初動の対応といい、国は「内閣改造」をしていました。双方ともに「危機管理、災害対策がまったく機能してない」ように思います。

そもそも、将来に向け「原発の廃炉費用」「使用済み燃料の廃棄処理費用」・・等の問題を、何も国民に明示にしていません。こうした問題を先送りしています。想像を超える「超、高額な費用(幾10兆円)」を国民に隠し続ています。問題が発覚した時に、また「想定外として税金を投入」するのは見え見えです。こうして口実を作ってまた税金をあげ、また、おかしな不透明事業が出来て、癒着金が還流し始めるのです。
前々から13メートル超えの津波が来ると、有識者が指摘していましたが、東電は「聞く耳を持たず」でした。今回の災害では「誰も責任を取っていません」「裁判でも無罪になりました」。指摘はあったが想定外の災害として無罪?、指摘があったのに想定外では通用しません。 これでは国民は絶対に納得できません。また、東電を「国営化」しているのなら、従業員の報酬を含め全てを透明に、国民に開示してほしいです。国の税金を投入しておいて「高収入報酬」では納税者は納得しないでしょう。独裁権力者たちは、あまりにも弱者の我々国民を馬鹿にしすぎています。

原発一基を継続しないで永久停止にすると、「
何百社の仕事が無くなる」ようです。国は経済成長的考えて、「これでは困る」のが正直な考えなのです。地域にお金が落ちなくなると、地域の衰退化、同時に、原発に関わる「数百の関連会社の倒産」及び「幾千人、の失業者」の対策・・・に追い込まれるのです。こうしてた理由から、国は「脱原発」をやりたがらないのです。原発事故による「国民の痛み、生命より、「経済維持発展の数字合わせ」を、優先しているのです。故に、積極的に・・・自然エネルギー対策に着手しようとしないのです。それどころか「太陽光発電による、買い取り電気料等を、どんどん減額」しています。


「かんぽ生命保険の不正販売問題」を、昨年4月にNHK「クローズアップ現代」で放送し追及しました。その続編を昨年に放送しようとしたら、事前に放送内容を知った、政府と関係が深い日本郵政グループ3社に、執拗に抗議され延期になり、それから一年後の今年の7月に放送がづれこだというのです。しかも、昨年4月に放送した番組のインターネット動画2本も削除においこまれたのです。この時の郵政鈴木副会長は抗議で、NHK会長に対し「NHKは、暴力団と一緒だと・・・と、威圧していた」というのです(今頃になって謝罪しているようですが)。これこそ「投影同一視」で、「政府と郵政自体は繋がりが深い暴力団です」と、自ら言っているのと同じです。権力利権を持っている人は、やはり怖い気がします。自分で俺は暴力団と言って相手を威圧しているのです。普段の顔とは裏腹で、真の心の姿は「暴力団以上に怖い」のではないでしょうか。

こうした事実からも、NHK会長には国政、郵政等大企業、関連団体、委員会・・・からの圧力が間違いなく働いたと言えます。NHkもNHKで、その威圧に屈して、郵政に会長名で謝罪したというのです。 それから一年間も隠蔽しておいた大きな問題が、やっと遅れて国民に発覚してから、日本郵政は事実を認めて謝罪と対応に追い込まれたのです。この不正を隠していた一年間で、何千人もの高齢者が被害を受けているのです。 改めて国と日本郵政(大手企業等)の富裕層恩恵的な優遇措置による癒着、圧力、隠蔽・・が見えました。

これはまさしく、国と日本郵政、他が協力し「国民に対し詐欺行為を見て、見ぬふりをして、お金を騙しとり続けていた」といえる事実ではないでしょうか。 高齢者福祉、年金問題を・・・守り補償しますと、きれいごとを訴えている政治家や官僚たちが、逆に高齢者をターゲットにして「老後の貴重なお金をだまし取った手助けをしていた」とも言えます。こうした大きな問題でも、トップの方々(国、政治家、行政、企業・・)は、だれも責任を取らずに「部下に全てを押し付け」て逃げている有様です。なぜ、日本のトップは「責任を取らない」のでしょうか。政治家も大企業も、郵政の鈴木副会長が自身で言っていたように「皆、暴力団組織」なのでしょうか。トップ座の「権限、利権=お金」が、美味しいのでしょう。


過去にあった「汚染輸血によるエイズ感染者問題」の経緯も典型的でした。数年前から指摘され解っていたのに、国や行政は発覚するまで数年間動きませんでした。どこかの80歳ほどの大学教授が絶大な権限を持ち続け、一緒に隠し通していました。最初の指摘があった時期から真剣に取り組めば、被害は最小限に防げたはずです。エイズ患者を増やして多くの命を奪いました。発覚後には、国としても責任を認め多額の我々の収めている税金を投入し補償等をしました。
こうして国と大手企業等は、早期の問題解決(国民の生命)より企業の利益を優先していたのです。 我々国民を誤魔化して「国民の生命、財産、税金」を奪っていったのです。憲法では「国民の生命と財産を守る」とありますが、今では「国民の生命と財産を奪う」と、変わってしまったのでしょうか。ここでも、高齢の絶大な権限を持つ大学教授や、機関、国・・との癒着があったのです。
何も知らされずに、真面目に働いて税金を納めている我々国民をどう見ているのでしょう。見下して、「無能で、無心に真面目に働く低収入の働きアリ」とでも思っているのでしょうか。

メデイアの国営NHKも疑問だらけです。間違いなく政府寄りです。また、約束された高収益を確保しているだけでなく、信じられないほどの資産を持っています。なぜ、強制的に受信料を取っておいて、資産を増やし続けているのでしょうか。 言うまでもなく「隠し財産」「天下り資金」「癒着資金」「他・・資金」の為に、「裏金」として貯めこんでいると見られても仕方がありません。 それ故に、国政等に圧力を掛けられると、すぐに忖度せざるを得ないのです(かんぽ生命保険疑惑もそうでした)。 NHKの関連会社(50社ほど)には、天下りの温床が沢山あり、人事派遣で天下りさせ高額な報酬料支払いをしているようです。こうしたことが事実だとしたら受信料をその分、減額してほしいです。

ニュース報道内容では、ほとんどが政府に対しての「忖度報道」な感じです。国民に対し都合の悪い情報は、国政、大企業等に圧力を掛けられ、できるだけ隠してしまい、国民の為の「真実の報道になっていない」ということです。国民から受信料を強引に徴収しておきながら、あまりにも不公平な話です。NHKは政治家や企業などの圧力に屈せず、真実の報道を、いち早く国民に伝えるべきです。この約束が、適正な受信料を徴収する条件です。
一強で長期政権が続くと、こうした問題をたくさん圧力をかけ、作り隠し続け、どんどん増やし大きくして行ってしまうのです。 癌細胞をまき散らしておいて、いざ、癌を作っても指摘されるまでは治療もしないのです。体全身に転移させて寿命(国民)を短くさせているだけです。
無駄な使途のために、われわれの「血と汗と涙」の血税をしぼりとりながら、富裕層だけ大切にしながら、我々一般国民の生命、財産や暮らしの豊かさをはく奪しているのです。

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2019/9月/18  「癒着や談合を無くすには」  ご老体は定年制で隠居


「癒着や談合をなくすには」 (絶大権力、一強、長期・・の、独裁者を無くすこと  天下りを無くすこと)

癒着や談合をなくすには、やはり政治家、企業家・・も、「定年制」は作ったほうが良いと思います。最長でも75歳、いや70歳でしょうか。70歳を過ぎると「頭(脳みそ)が固くなる」と言われています。それも、善の脳は固くなり、悪の脳(欲と感情の脳)は執着心の強さで活発に動くとも言われています(余計に危険です)。車の運転も同じで「技術と反射神経は衰えますが、欲と気持ちだけが衰えない」、からよけいに危険なのです。 それ故に、運転操作の衰えの自覚が足らず、高齢者が未来がある子供を、自己中的な運転事故で「宝の命を奪ってしまう」のは、非常に残念なことです。

推測ですが「壮大な原発マネーの、一割ほどは、「癒着する還流金(悪徳営業の裏金資金)」として、前もって組み込まれているようにも思います。特殊事業類の見積金の内訳は、一般国民がみても複雑すぎて絶対に理解できません。 原発マネーを積算しているは、凡人でなく頭の回転がいい官僚です。 事業費の適正さは、事業総工費の見積書を作った本人(官僚)以外は誰も「適性内容」の判断できませんので、最終決定は政治家の言い値だと思います。(今回の事業費には、適正価格の上に、「一割ほど水増ししておいてくれ」のように)。 それ故に、権力ある政治家や役人、大きな企業、機関ほど露骨に当たり前のように、「水増しした大金分」を、利権として還流させているのです。手助けした官僚達は、将来のポストがこうして約束されるのです。「出世」「天下り先」・・・で、高額な対価を約束され得られるのです。悪い仕組みと、悪い恩恵のお金の流れです。悪政は昔から変わっていません。

実際に、こんな事例があり新聞等で報道されました。ごみ焼却場の特殊建設工事(全国で大手5社しか受注資格がない工事)の入札が行われました。入札結果は大手A社と工事地元企業体が130億円で落札しました。自治体がそのまま契約して発注しようとしたら、ブレーキがかかったのです。新聞報道で、ある方が「その金額はおかしい、同じ建設工事規模で、ある自治体が80億円で入札し行った」と、クレームがつきました。その後、大騒ぎをしながら2度3度と修正しながら入札も繰り返しました。最終的な入札結果は、「80億円で落札されたのです」。 このクレーム一つで130億円が80億円で「50億円減額された」のです。言い換えれば、この50億円が大手A社、地元企業、担当行政、・・・他、の工事関連者に裏金(税金)として利益配分されるところだったのです。 この事例のように「特殊工事(限られた企業しか受注できない工事や見積書を見ても解からない大規模特殊工事)」では、今でも簡単に談合が出来てしまうのです。
税金を投入した事業を入札で決めるる行政は、チェックもできない、適性入札もできない、管理もできない・・・・で、仕事をしているようでは困ります。 市民の税金で報酬をもらっている公務員としての自覚が足らな過ぎると思います。

あきれたことに、今回の関電のように問題が発覚した後も、関電の謙虚な反省、謝罪は見られません。

「ご心配とご迷惑をお掛けいたしました。今後は再発防止に努めることで、責務を果たしていきます・・・」です。 最後はお決まりの文句。

今回の東電の件、かんぽ生命保険、大手賃貸建設会社レオパレ21の違法建築、等の問題と全く同じ謝罪対応です。 国、行政、企業経営陣の責任問題の自覚が全くありません。補償ひとつみても、国は大企業を最大限に擁護して、我々国民のお金(他人のお金)を主に使っているからです。自分の財布のお金と違うから痛みが解らないのです。 問題解決で、裁判して国や行政が負けたら国民の税金で補助するのです。自分たちの報酬から補償してもらいたいものです。
もういいかげんにしてもらいたいです。言い逃れや、言い訳は聞きたくありません。自覚して「サムライ精神」で、悪いことをしたら、潔く切腹(国民が納得できる責任を取る)してもらいたいくらいです。そのくらいの覚悟で、トップになっていただきたいです。

金品を受け取った者は「退社もしくは役職から離れる」「退職金と過去にさかのぼって、報酬の相応を返納」「関電の全社員報酬を減額」「電気料金の減額」・・・他 。森山氏の財産は、当然に差し押さえる。 こうでもしていただかないと、国民は納得できません。不正をして、国民(電気料を払っている人、税金を払っている人)、株主(株価下落)・・・に相当な損害(お金、信用)を作ったのです。
これが今の、日本国経済問題の、悪しき流れの一例の現状だと思います。トップにいる人たちは、権力と利権でおいしい思いで、悪さばかりしていないで、立場における責任を、果たしてほしいと願います。
昨今の癒着や談合の問題解決は、長期独裁権力者がもたらした、悪しき権力者たちによる「癒着や談合の温存、慣習化された、典型的な古い構造」を無くすことです。

こうして国と大手企業等は、早期の問題解決(国民の生命)より企業の利益を優先していたのです。 我々国民を誤魔化して「国民の生命、財産、税金」を奪っていったのです。憲法では「国民の生命と財産を守る」とありますが、今では「国民の生命と財産を奪う」と、変わってしまったのでしょうか。ここでも、高齢
の絶大な権限を持つ大学教授や、機関、国・・との癒着があったのです。

繰り返しますが、何も知らされずに、真面目に働いて税金を納めている我々国民をどう見ているのでしょう。見下して、「無能で、無心に真面目に働く低収入の働きアリ」とでも思っているのでしょうか。

政治家も役人(天下り
先)大企業も、定年制を決めましょう。トップであろうと関係なく「70〜75歳」の間で。 いつまでもご「老体が権力を振るっていてはいけません」。自ら退いて若手に譲って「助言、ボランテイア・・」に務めましょう。今の安倍政権幹部の年齢見てください。すでに平均寿命に近づいている高齢者が、頑固として「居座っている方々」が多いと思います。これでは、優秀な若者がいても育ちません。また、安倍政権は「今回が最後とばかりに、身内の部下等を最優遇しています。これまたバランスを欠いた人事です。ご老体は勇気をもって、ムチ打ってでも、「自ら身を引く決断力」こそが日本の将来の為になるかと思います。そうすることで、慣習化された「癒着」「天下り」などもなくなり、今よりは間違いなく「クリーン」な政治や、経済発展、豊かな国民生活に変わっていけると思います。

「政治
家は国民が責任を持って選ぶ」天下りは全て禁止」「「おかしな組織、機関・組合、・・・を無くす」「必要のない事業はやめる」「壮大な特殊事業の特別チェック機関をつくる」「トップ(権力者)でも定年制を設ける」「官僚や行政は政治家の犬でいてはいけない」「談合や癒着が発覚した時は、重い処分を」「政治家の失言(本心)は、一発アウト」・・・・。(麻生氏は5回くらいは、アウトしています。二階氏もおなじです。)

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2019/9月/2 「 感情的な人・国・日韓問題の解決策 」お互いに理解を   


今回は感情論を通じて、隣国の韓国、韓国人と、日本、日本人の違いも少し理解する機会となりました。思ったことは、「相手を理解しようともせず、偏見で批判的な考えを安易に発言してはいけない」ということです。お互いに歴史、文化が違います。感情的にならず相手の置かれている立場をよく理解するよう心掛け、「お互いにどうすれば問題が解決できるか」を、冷静に考えながら対応していくことが出来れば、自然と絆が生まれ共に友好国として発展していくことができると思います。

  「批判や感情的を控え、素直に認め合える人間関係 人種 文化 国でありたい」


「感情的な人」

 「感情的」になる方々は、私の一番苦手な対人関係です。ましてや「キレる」方はより困った人で、できるだけ関わりは避けたいです。 いま社会問題になっている「あおり運転」は、まさしくそうです。関わるとストレスだけでなく、危険です。家族をも犠牲にしてしまう可能性があります。相手が見えないだけに余計に困ります。運転中は、瞬時の冷静な判断が難しいです。

会話途中(会話、電話、メール)での相手の態度、言動、内容、・・が、いきなり爆発して感情的になって、冷静に話ができなくなることがしばしあり悩まされます。その時の対応は難しいです。 出来るだけ冷静さに勤め集中し、その場を早く終わらせるかで必死になります。相手は興奮状態なので間違いなく大きなストレスを受けます。 実は、最近もありました。その後の大きなストレスで、体調に異変が起こり通院。更には白髪が一気に増えてしまいました。半年も過ぎたのにいまだに影響しています。私はこうしたストレスに弱い人間なのです。

 なかには、その困っている人間性の様子を見ながら「しめしめ」という感じで、更に強く攻めまくってくる方がいます。きっと、相手の性格を見定め、「この人には強く言っても大丈夫」と判断し、自分を正当化すると同時に間違いなく相手を見下して、激情し言いたい放題してくるのです。表現が悪いのですが、チンピラと同じです。 「我とプライド強く(自分勝手)、気は弱く、自分に自信がない為の、偽り(脅し、イジメ・・・)の証」で、強がりだと思います。(プライドが高く上から目線的の・・・・先生方にも見られます)

 感情論では、私も個人的に同じようにみられている傾向があります。激情してくる相手に「冷静に」などと言っても難しいです。 時には、考えが違ったときは、相手をも思い、反論(言い訳でなく)することも必要なのでしょうが、なかなか性格上できないのが現実です。目の前の犬が吠え続けている状態を冷静にさせるようなものです。かといって、人情深く、人がいい、お人よしの優柔不断だけでもいけません。最終的に自身が我慢に耐え切れないほどのストレスになって苦しんでしまいます。心身共にヘトヘトになり、具合が悪くなって、病気になってしまいます。

こうした時の対応は、「集中して、忍耐と我慢で冷静な会話に心がける」「時間を少し開ける」「冷静に整理して(相手の感情的になった理由も推測し)、賢明な対応に心がける」・・・変わらなければ「上手に対応をして最後通告をする、か、そのまま自然消滅=時間を空ける」。この順番でしかないと思います。 寛容で寛大な方は、「人間は気質や性格が皆違う、感情的になったそれなりの理由が必ずある、そこを理解してやること(ゆとり)は人間として大切なことである」。と言いますが、なかなか簡単なことではありません。私も心得てはいますが、まだまだ未熟な人間で、そこまで人間が出来ていません。


「韓国と韓国人」

今の日韓情勢をみていると、少し重なる感じがしてしまいます。国民感情が何より優先するのが韓国と聞きます。韓国人の道徳=正義だと。 最近少しづつ解ってきましたが、韓国は「儒教」「教育」「恨み」・・が、道徳の根源であるようです。歴史や先祖、年上、親・・を敬うと同時に、思いや苦しみを尊重して、忘れることなく記憶し「正義として」戦い続けると言われています。今の日韓問題は正義観から反日することが「韓国人の道徳であり誇り」であると考えているようです。こうした考えが「韓国民族主義」なのでしょうか。ある韓国の弁護士が「韓国では、あるがままの歴史より、あってほしい歴史が重視される」と、言っていました。(慰安婦問題、徴用工問題)も。

韓国人は「歴史を記憶し闘い続けて行く人種」であり、日本人は「歴史を忘れて戦いをしなくなった人種」、とも言われています。よって韓国人は、民衆の力で民主運動を通じて政治や社会変革をさせることに意義「正義」を見出す人種であると言われています。それ故に、余計に正義観として闘うため、自然と感情的にみえるのでしょう。 日本人は個人の権利より義務を優先し、民衆による社会変革よりも「ルール」に従う人種と言われています。韓国人と根本的に違っているようです。
歴史、恨み(原爆投下・・・)を忘れていく日本人。 歴史、恨み(植民地・・・)を記憶し続ける韓国人。

韓国人の多くが、歴史を記憶し続け「侵略された植民地時代は、苦く哀れな不公平な扱いだった」と、しっかり記憶し続け、日本を今でも「恨み」続けているようです。特に年配の方々は。 しかし、今回問題の報復で、日本に対する「不買運動」「日本旅行」「多種のイベント、交流」・・・、また「日本製品の購入制限」を、国、市レベルで圧力を掛けるべきではないと思います。こうしたことを正義と勘違いするところがあるから、「韓国は強引で感情的人種で醜い」と日本人に映ってしまうのでしょう。一部の強硬派とも言われていますが。 

 その点、日本はそのような対応を韓国にはしていません。 残念なとこに日本メデイアが、面白おかしく無責任に「嫌韓」を安易に叫んでいます。裏で国政が「メデイアに言われてる」ともききますが。 メデアにも少なからず責任があります。視聴率アップのために、「お金をもらって、払って」「おもしろおかしく」真実をゆがめた内容や偽た情報を国民に流し植え付けてはいけません。困ったもので、放送法に違反しないのでしょうか。日韓問題をこじらせている大きな要因は、間違いなくメデイアにもあります。

韓国もいけません、いきなり喧嘩を仕掛けてくるような時があります。その後、いざ本当に困った時は、真剣に日本と向き合おうとせずアメリカ(同盟国)や、世界に「告げ口外交」をして、味方に付かせ助けを依頼する傾向がみられます。最終的には自力だけで解決しようとせず、他国を巻き込みながら(利用して?利用され?)闘っているようにも見えます。ここは韓国らしいです。 今回は間違いなく中国やロシアがバックにいるから、今まで以上に強くでてきているのでしょうか。かといって、中国やロシアもどこまで信じてよいか解らないと思います。アメリカの対応だって、今後どうなるか解りません。

私の娘が高校のとき、韓国との交流が盛んで、同じ年の女子高校生2人が、我が家にホームステイで泊まりに来たことがありました。娘が通訳役となり、一緒に娘の手料理でもてなし食事して、話も長時間しました。とても好印象をうけたのを覚えています。我が娘はいまだに、時々連絡を取っているようです。
両国友好関係を築いていくには、若い人たちがこれからの韓国の将来に向け冷静に考えて、「反日感情をなくす努力」をして変えていくしかないように思います。  しかし、韓国政府や国民は、日本にたいする「憎しみある歴史観の記憶」を若者に正義として教育し、しっかりと植え付けているようです。

韓国の民族主義は、正義観と感情が異常なほど強すぎると言われています。この「正義観=民族主義」という考えはには少し驚いてしまいます。 正義感の為なら少々捏造しまでも都合よく法を改正して、過去の国との合意を無効にしたり、不正を働いたとして権力者を逮捕して投獄することもあるようです。韓国の政権が変わるたびに元首長は「皆同じ境遇」です(正義観から韓国に不利益を与えたとして)。 もう一つの理由は、首長が変わるたびに「そもそも過去の合意が不当であった」という解釈です。日本に「不公平な内容で強引に結ばれた」として、新しい政権になった今、納得できるように、ここで見直そうというのです。 
今の安倍政権では、こうした「強引な手法での同意締結、優遇事業の実施」が起こったとしても不思議ではないように思います。

文大統領が願っている「北朝鮮との統合」「赤化統一」は実現するのでしょうか。 しかし、賢明な韓国民は本気では望んでいないと思います。なんだかんだ、言っても「日本のようになりたい、超えたい」と願っていると思います。そうだとしたら、もっと素直になって「相手を認め合える友好関係をお互いに努力して築いて行く」べきです。日本は少し大人になって韓国の痛みを理解し受け入れましょう。 韓国は冷静さに務め、過去の記憶ばかりに強く執着しないでもう少し素直になりましょう。間違っても、いきなりの「ちゃぶ台返し」のような強引政策のごり押しはよくありません。 お互いに「どうすれば問題を解決することができるか」を、冷静に真剣に考えて行かなければなりません。

韓国は日本に対し、歴史修正的主義をやめさせ、反省と、心からに謝罪(金や補償だけでなく)」を強く求めているのです。 日本も、誠実に韓国の当時の苦しみを理解し、歴史修正主義的な発言はひかえ、誠意をもって反省と謝罪が不足していれば、しなければなりません。日本はどこか中途半端で、「もう十分に謝罪も補償もした、もういい加減にしてくれ」のよな対応は控えるべきです。どこか差別意識で押さえつけ「見下している」ようにも見えます。それ故に、韓国は余計に納得しきれていなく、歴史観の記憶をたどり正義を追求する為に感情的になり、いつまでも「不満」「恨み」が解消できなくているようにも思います。
互い理解して協力することができれば、アジア一の発展友好国であり、世界でも優れた、両国になれると思います。また両国が中心んとなり中国までもふくめた共同体を作ることが出来れば、更に強い世界一の平和、経済共同体をつくることができるかもしれません。

お互いに、「誠意」 「冷静」 「反省」 「理解」 「謝罪」 「納得」 「問題解決」 「協力」 「感謝」 「思いやり」・・に心がけ、理解しあえる信頼関係が築ければ、今の暗黒期を抜け出し、互いに仲良く共に発展していくことができると思います。


「感情的にならない」

ここで感情論にもどしますが、感情者で一番大切な心構えは、「自分自身を客観的視点で冷静に見極めること」が肝要だと思います。そうすれば悪いところ、良いところ、・・が、自分自身に見えてくるかと思います。 偏見と感情を、自制心をもって、抑制しなければけなりません。良いところ欠点は誰しも持ち合わせています。冷静に認める勇気が必要なのです。

 客観的観測をして、自身の気質と性格を冷静に自覚し、長所は生かし成長させ、欠点等があれば、改善努力に心がけて「自己の人間形成に努め、相手に寄り添い、人間関係をできるだけ良好にしていく心がけ」が大切のように思います。



生きて行くうえでは、「相手に対する思いやり=愛情」が大切です。   幸せ、豊かさ へ

 感情的になりすぎると、大切な人、仲間が離れて行ってしまいます。  孤独、貧しさ へ

 

  「批判や感情的を控え、素直に認め合える人間関係 人種 文化 国でありたい」

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2019/7月/7 「 健康で 充実した楽しい人生を 」


私たち人間は今現在、奇跡的にこの地球上で喜怒哀楽を感 じながら一緒に暮らし生きています。この不思議な与えられた人生を、無理しない中でもっと楽しく出来るだけ、少しでも充実させ楽しく豊かに暮らすには、どうやって暮らしていけばいいのでしょすか。

先祖から受け継がれいただいた「この命、人生」は、出来る限り感謝すると同時に素直に受け入れて、大切にし生きて行かなければなりません。
それには、「感謝の気持ち」と「健康づくり」の心がけが、一番大切なことだと思います。「何気なく暮らしている」のと「感謝し、健康に気を付けながら暮らしている」では、全然充実感が違ってくると思います。また、逆に無理しすぎて自己管理に無頓着で、間違っても病気を悪化させたり、新たな病気を作ってはいけません。

私の今まで人生での大きな教訓の一例。 私は、東京での職場では徹夜続きの日常でありました。設計事務所で好きに仕事をしていたので苦にはなりませんでした。そんな中「4日間を一睡もせず仕事した」ことがありました。その直後に体調不良となり「重度の自律神失調症」となってしまったのです。一時は重いノイローゼ状態に陥ってしまいました。当時は本当に苦しかったです。こんな自分が嫌で、嫌・・で自殺まで考えたことがありました。

今現在、長い年月をかけてどうにか、今まで自分なりに努力して回復に向け乗り切ってきました。今でもいろいろな軽度な症状が後遺症として残っています。 全て自業自得の結果です。心身(女神)からくる信号(睡眠し休みなさい、休憩しなさい、食事をしっかりとりなさい・・)を、無視続けた結果、見放されたのです。過度の無理は絶対にしてはいけません。天罰が下ったのです。当然の罰当たりでした。取り返しのつかないくらいの経験をしてしまったのです。幸いにも致命傷にならなかったことが救いです。  これこそ感謝です。

人間の「能力」は無限ではありますが
先祖からいただいた「潜在能力」は、死ぬまでに20パーセントも引き出さないで終わるといわれています。「脳」は3パーセント程しか使っていないそうです。これって、もったいないと同時に、先祖に失礼ですよね。

ほとんどの人間は、与えられた能力に気がつことがでけず、夢に向かって挑戦もあきらめて努力もせず、人生を終わってしまっていると思います。  本当にもったいないことです。これでは、 先祖不幸になってしまいます。お墓詣り(先祖への感謝の気持ち)が足りないのです。
勉強、経験、仕事、家庭、人間関係、趣味・・・・全てにおいても同じことかと思います。

充実した人生を送っていくのに大切なことは、今まで築いてきた能力を土台として、その上に「心身の体力と健康づくり」に心がけることが肝要だと思います。 個人差はありますが、誰しも必ずできることです。
人間、生まれ持ったDNAや性質は変えることは出来ませんが、性格形成や、健康者であれば「潜在能力や、脳を使う力」は無限にあり使えるのです。 視点を変えれば、自他への愛情の力も無限にあるように思います。「憎しみ」「喜び」「悲しみ」「許す」「愛する」・・・これまた難しいですが不思議にも重なります。

難しいのは、この秘められた「力」を簡単に引き出すことが、なかなか出来ないだけです。
「俺の力はこんなもんだ、どうしようもない」などと、諦めている方々がほとんどのように思いますが、それは大きな大誤りです。 諦めた時点で、その先の可能性「輝く光」は望めなくなってしまうのです。
秘められた潜在能力を信じて「引き出す気持ちや努力が少し足らない」だけなのです。 今からでもあきらめずに挑戦し続けていれば、必ず今より成長できるはずです。間違いありません。自然の摂理です。

力を引き出す努力をするのには、幾度も言いますが、「心身の健康(元気)」が基本です。いくら気持ちや志があっても、健康で元気でないと、体も脳みそも元気に働きません。体力、エネルギー不足や酸素欠乏では、力を充分に発揮できませんし、逆に病気になってしまいます。
「心身」の健康づくりは、まず「身」の健康からが先だと思います。「身の健康」が基になり始めて「心の健康」にもつながると思います。元気な体があってこそ、元気な心が生まれるのです。それ故にエネルギッシュに、自分に秘められている「潜在能力」や「脳」の力を引き出す力となれるのです。

身の健康
言うまでもなく、身体の健康を大切に維持して「更に元気な体」にしていくことです。暴飲暴食、不規則な生活習慣は特に気を付けなければなりません。 必要な栄養をバランスよくとり、運動をよくして、鍛錬、遊びとゆとり上手にしながら、体力と血行をよくし、体中の機能に新鮮な栄養と酸素を循環させ送り込むのです。

心の健康
常に感謝、志、自制心を持ち続ける中で、出来る限り精神力も整える。ストレス等は上手に解消しながら、自分に自信を持ち、更に心の精神力を今以上に強くすることに心がけ、強くて豊で穏やかな心を作り続けていくのです。

心身の健康
基本は「規則正しい生活習慣」から。そして、極力、悪いと思うことは避け、良いと思うことは勇気をもって進んで実行していくことが健康には肝要です。逃たり、惰性、怠慢していくのではなく、自分の能力にもっと自信を持って、前向きに挑戦していく勇気が必要なのです。 ×△〇◎でいえば、◎の「心身の健康」づくりに心がけ、維持し、更なる努力をしていくことでしょうか。
心がけて行けば、自然と心身ともにエネルギッシュになり「新陳代謝」がよくなり「自然治癒力」も増して、自然と健康増進に向かうことができるはずです。また、趣味などで、リフレッシュ、リラックスすりことも忘れてはいけません。心身の 強弱のバランスは大切です。よって無理しすぎは厳禁です。力が入りすぎると、血行が悪くなり、心身のしかん作用が悪くなります。なにより、血行促進が大切です。「運動(身体の)増強と弛緩)」「深呼吸(心)増強と弛緩)、「瞑想(心の鎮静化と活性化)」

「私の心得」現在の主なこと
・運動   起床4時半〜5時 柔軟体操(深呼吸、ヨガ・・) 洗顔 先祖に挨拶 太陽光を浴びる 毎朝30分以上の散歩(6時半ころまでに)、ここまで、朝のルーテイングです。   日中は軽微な運動、リフレッシュを数回、と基本は規則正しい生活習慣に、プラスアルファーです(心身の弛緩とリフレッシュ)。
・飲食    ビール缶350を平日2本、休日4本まで、休肝日も作る(現在、肝機能が衰弱しています、これこそ自制心の欠如です)  コンビニには寄らない、体に悪そうな飲食はしない(特に揚げ物などの酸化物)  バランス良い ものは進んで食す (特に野菜、果物・)
・ストレス  作らない 近寄らない 工夫し早く軽減し解消する(親友に愚痴をこぼす・・・)
・他     心身の健康づくり、及び「毒素」を、出来るだけ取り除く(難しいが重要なこと)  を、進んで実行する。多趣味ですので趣味をしたくなる精神的な余裕を持つ.。全てにおいて・・無理しすぎず、リフレッシュ、一期一会、趣味・・を大切にし、人生の「ゆとり、遊び」も積極的につくる。

問題は「私の心得」や「上記」をどれだけ実行できるかです。今のところ「朝のルーテイング」は、ほぼ出来ています。 きれいごとはいくらでも言えますが、最終的には「本人の自制心」の強さでしょうか。私の一番の自制心の不足は、飲酒の抑制です。 

人生は一度きりでやり直すことは後悔してもできません。過ぎた時間は戻ってこないのです。しかし、未来に向けてはこれから楽しみながら頑張ることは誰でもできることです。無理(ストレス)する必要は全くありません、自分にできる範囲でいいと思います。今日から、これからが、きっと人生の勝負どころになるような気がします。 まだまだ、これからです。

今一度、冷静になり「自身の置かれている今の立場」を整理して、与えられた能力を信じ、少しでも引き出し続け、お迎えが来るまで、少しでも充実した人生を送れるよう心掛けして暮らしていきましょう。

後(過去)ばかり気にしていたり、見ていると、少なからず心が落ち込み暗くなってしまいます。それ故、先(将来)に進めなくなってしまします。後ろ向きでマイナス思考です。「 明日という光」の訪れの日が、短くなってしまいます。
今からでも遅くはありません。後悔のない充実した人生が少しでも送れるように、前を見続けながら、勇気(自制心)を持って、生きて行きましょう。前むきのプラス思考です。間違いなく「明日という光」を、一日でも多く浴びることができると思います。 また「明日という光」を、個々に描き創造しながら毎日を、感謝しながら大切に暮らして行きみましょう。

 私は少しでも意識して頑張り続けたいと思っています。 感謝と自制心と闘いながら。

 

  「豊さは、感謝の心がないと持ちえません。」

  「感謝は、素直な心がないと育ちません。」

  「自制心に勝てれば、人生にも勝てる  負ける(苦しみ)は決っしてないでしょう」 

  神様・先祖・誰かが間違いなく「見守ってくれている」ことを信じて生きていきましょう。

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2019/2月/16 「賃貸アパート大手「レオパレス21」 施工不良」

賃貸アパート大手「レオパレス21」施工不良 手抜き工事法違反(詐欺・・・?)

今回発覚した。手抜き工事「構造」「防火・耐火」「遮音」・・・・他。今後は更に別の工事個所でも施工不良が発覚することでしょう。「地盤」「基礎」「本体構造」「仕様」・・・。
耐震偽装「姉歯事件」が12年ほど前にありましたが、それに次ぐ許しがたい事件です。今回のほうが、損害の規模が全然違います。多くのオーナーが、危機的な状況に追い込まれる可能性があります。
今回の件は、「やはり」という感じです。アパート建築の外観や内装だけは、見栄えよくしていますが、しかし、見えないところで、手抜き、建築基準法に違反した建物を作ってきたのです。私としても「ここまで、大手としてやっていたのか」と、驚きました。
大手企業で、このようなことを実際にしてきているのです。オーナや借主は、「大手物件だから安心」して、契約してきたと思います。相続税対策・・・をうたい文句で、「サブリース契」(オーナーから賃貸アパートの建築を受注し、完成後に一括で借り上げて転貸する契約)で展開しているのです。
金融庁は、物件所有者(オーナー)向けの融資が焦げ付く可能性がどの程度あるのかを把握するため、各金融機関を一斉調査する方針を固めたという。
国土交通省は連携し、施工不良物件の範囲が固まり次第、約全3万9080棟の調査を実施中で。1月28日現在、調査した内1万4000棟で、8割以上で何らかの不備が見つかっているという。

オーナーに対しては、空室でも、30年家賃保証、買い戻し制度・・・。と、しつこい甘い営業マンの誘惑にのってしまったのです。困ったことに、融資している金融機関までもが、推奨していたというのです。一つには紹介料として1〜3パーセントほどを、施工会社かもらっていたというのです。銀行も一緒になりサンパレス21を後押していたのです。貸付金融機関にも重い責任があると思います。
大手だから間違っても「倒産しないだろう」という、現実的な考えが薄れてしまっていたのです。 太陽光発電の会社は「半分ほどは、もう、倒産」しています。契約者は、相当に泣き寝入りしなければなりません。利益どころか、廃棄処分等・・ローン残高、プラス、撤去費・・が、全てが、契約した「自身」に掛かってきます。
「大手だから安心」「儲かる」「相続税対策」ここに、大きな落とし穴があることが改めて解りました。
サンパレス21と同じような、業種の「大手企業があります」が、私に言わせれば「似たようなことを、している」と、想像できます。こうした会社には、共通の特徴があります。
「営業」でみると (歩合で高収入)
歩合制が強く「売り上げた営業マンには、それなりの見返りの報酬があります(頑張れば年収1000万円〜3000万円)。それと、特別に「・・旅行に招待」・・・と、優遇されるのです。
アパートを契約したとすれば「約3〜5パーセントの歩合」となります。
例-7000万円の契約(完成)で、2〜5パーセント(140万〜350万円)程の間で歩合給が、基本給に加算されるのです。
それ故、営業マンたちは、契約(完成)に向け「あの手、この手・・・」で、契約に持っていくのです。お客(オーナー)の利益など、間違っても優先に考えていません。「自分の高額報酬の為に」営業しているのです。営業成績が上がらない者は、給料(基本給)がどんどん減額されていき、生活できなくなり、辞めていきます。「悪く言えば、ブラック企業」です。勤続年は数年で、使い捨てです。求人案内を見てください。何も知らない転職希望者には「夢のような高報酬」が求人案内されています。
「建築施工」でみると(安い・短期工事請負で、手抜きに)
一円でも安く、建築することです。それと、工期短縮です。建築基準法を守り、安くする分には正当ですが、今回のように「手抜き」「建築基準法違反」・・・等、見えないところで、やってしまうのです。会社としては「下請け業者の責任・・」では、逃げられません。本来であれば「自社物件ですので、当然に自社の適正な社内検査」が必要です。それを、怠ってきた、ということになります。社内検査など機能していなかったのです。逆に言えば「手抜き工事を会社で黙認していた」ということになります。下請け会社から見れば「安い請負」で、見えないところで、「手抜き工事を、せざるをえなかった」のかもしれませんが。

「会社本社」で見ると(売り上げを伸ばしたい、目先の数字を優先です)
会社の理念は、社会に貢献しお客さんに喜んでいただく・・・・。とありますが、いつの間にか、お客さんを騙してでも、売り上げを伸ばしたい。と変わっていったのです。もう、ここまでくれば隠し通せません。特に高齢者への営業は特別だったようです。「サブリース契約」「相続税対策」「高利益収入」「30年家賃保証」・・・。
今回の件は建築業界において、とても残念であります。国民に不動産、建設業界の不信感を持たれるような、事案が発覚してしまいました。

しかしながら、最終判断するのは、国民であり、本人自身なのです。 生きているうえでの判断は、くれぐれも慎重にしなければなりません。
一歩間違えれと、自身だけではなく、子供に負債を作ってしまうことになりかねません。
世の中、うまい話などありません。もし、本当にうまい話があったら「他人に言わず、自分が」やっています。
「アパート経営」「金利の良い、投資話」・・・・「詐欺的な商法には、くれぐれも気を付けていただきたいと思います。早期に見極めることです。 ズルズルと行くと、迷ったあげく「流されて」しまうのです。
迷ったときは「やめたほうがいい」が、賢明な判断が多いと思いま

驚いたことに大手ハウスメーカー(DH)でも、規模は小さいながらも不正が多数みつかっています。大手企業、国会議員・・大きく権力があるとこほど「自己の利益追求が優先」させているのです。我々一般には判りにくい仕組み作りをしているのです。  

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2018/12月/5 「前を見て動く人は 必ず批判をうけ続ける」

人の性格、性質・・は、10人10色。 良いこと 悪いことの解釈も、人それぞれ違います。
どんなに、世の中のために「良かれ」と思って、行動しても、10人のうち1〜3人からは、素直に認めなくて、逆に「妬み・・」となって、指摘してくるものです。
10人10色の思い  その人の「性格、性質」   「気性」は、多少しょうがない、DNA。
・1〜3人は  よく頑張ってくれた、本当に感謝するよと、表明してくれます。  豊な人
・4〜8人は  良いことしてくれている と感じながらも 黙ってみています。  普通の人
・1〜3人は  妬み、やっかみ、揚げ足取り・・ で、逆に批判してきます。   悲しい人

よって、良かれと思って動く人は、良くても「1〜3人」には、必ず批判されるということです。
このことを、しっかり理解しておかないと「頑張っても、特定の人に指摘されつづけ、最後にはストレスで潰れてしまう」のが現状です。
仕事、地域創生、・・・・等で頑張っている方々は、皆、同じ体験をしているようです。
いけないことに、批判する人に限って「自分の既得権、利益、立場・・を守る為」または「妬み」・・等で「大きな声を出して、足を引っ張る」のです。
誰しも「大きな声を出され、批判、指摘されれば、気持ちは「いしゅく」してしまいます。私などは「気が弱いため余計、気持ち(やる気)が沈んでしまいます」。数日は沈んでいます。
こうしたことを、乗り越えるには、相当な覚悟が必要となります。

強い「志」「信念」「あきらめない」・・・「レジリエンス」の、自覚と覚悟の持続。

この、自覚と覚悟の持続がないと、頑張り続けられないと思います。  

「レジリエンス 」とは 外力による歪を跳ね返す力。 極度の不利な状況に面しても、正常な平衡状態             を、維持することができる能力。  言い換えれば「笑顔とゆとり」を持てる力。

今の日本での課題の地域創生、活性化について重ねて少し考えてみます。
日本の一番の課題の一つです。人口減少の中で都会に人口が集中しすぎて、地方では都会に若者が流れて、高齢化が進んでいます。「限界集落」が増えているのです。
自分の集落もまったく同じ現象のなかでした。
これではいけない、将来を見据えて、だれかが「どうにかしよう」と、動き始めようとするのですが、簡単には変わっていきません。 挑戦するには、強いエネルギーが必要です。

何事も、新しいことを始めると、いろいろな弊害がつきまとうものです。
「既得権」などを持っている人などは、変えることに対して「自分の利益」がないのであれば、協力しないどころは、逆におもしろくなく「新たに挑戦して頑張っている人」の足を引っ張るのです。こうした状況を専門家は「人災」「老害」の弊害といっております。

地域を活性化していくには、3っつの条件があるのです。

1、新たな移住者の新しい知恵や考えを柔軟に受け入れる。
2、若者の理解と積極的な協力を得る。  
3、地域の中で、無心に「よくして行こう」と、頑張る人の存在。

このような方々が、「魅力ある地域に変えていける」ことができるのです。
私に言わせれば、「ご老人」は、知恵とお金を協力してほしい、間違っても、若者の足を引っ張るような言動や行動は慎んでほしいです。「若い人」は、もっと強い志と動力を発揮してほしい。「新たな移住者」は、新しい知恵と考えで、協力をお願いしたいです。

それと、何よりも大切なことは「一人でも多くの賛同者を増やして行くこと」かと思います。既存集落の方々、特に老人は「昔ながらの思い」もあるかもしれませんが、自分たちの暮らす集落の将来を、もう少し心配していただければ、ありがたいとか思います。
自分たちの暮らす集落が「間違っても限界集落」にならないよう、少しでも「魅力ある集落」にしていくための、協力がほしいいと願います。

魅力ある地域を創るには
「若者」、「移住者」、「地域住人の頑張り屋」が、協力し合って、50年後の将来を見据えて協力し合って、頑張っていくことかと思います。
また、進めていく中では「必ず批判、反対」・・妬んで、足を引っ張る人がいますが、それは、1〜3割の方々です。 一部の批判者の大きな声とうで、簡単に諦めてはいけないのです。
自分たちを信じて「50年後を見据えた、魅力ある村づくり」を、協力しあって進めていこうではありませんか。
結果的に、「集落」「家族」「自分」・・地域の為、また日本、地球、にとっても、環境に配慮した、魅力ある里村になっていけるのです。 結果的に、若者が離れず、移住者も増え、人も自然も田畑も豊かで元気で暮らせる地域でいられるのです。

最後に、神様は「妬み」という心理を、なぜ人間に作ったのでしょうか。私も絶対ないとは、言いきれませんが、人生のなかで、この「妬み」ほど自分自身を悲しませる感情はないと思います。

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2018/8/29 「私の人生を変えてくれた人」

今回は、親族以外での方で、2人を振りかえってみます。
最初にK先輩
20歳の時、建築の専門学校を無事卒業して、F社に就職することになりました。この会社では2人の先輩について、一緒に仕事するようになったのです。その一人が久保先輩でした。
久保先輩のアパートに初めて行ったときに、びっくりしました。というのは、本が置ききれないほどあるのです。更には、時々実家に置ききれない本を送っているというのでした。その点僕は、国語嫌いで漢字も苦手でしたので「読書」には、全く縁がなかったのです。
それからというもの、たまには本や(紀伊国屋)に通いだし、自分にも読めそうな本を探しだし、少しづつ読み始めたのです。「愛の水中花」「竜馬がゆく」・・・・と、なんとなく興味深いものを読み始めました。それからは、読書が一つの習慣になりました。
先輩は、もう一つ趣味がありました「絵を描く」ことでした。私も絵を描くことは学生のころから好きでしたので、なおさら、先輩の影響を受けるようになって行ったのです。
性格もよく、他人の悪口など一切聞いたことはありません。仕事もできる方で。いつも「いいお客さん(人柄、お金持ち)」の家づくりを、契約受注して実績をのばしていました。人柄、性質、能力、趣味・・等、私としては、初めての刺激でした。

H社長
H社長は、地元の長野県建築士会の諏訪支部長をしていました。
あるとき、私が勤めている会社に電話が来たのです「太田君、年齢的にちょうどいいので、諏訪支部の青年委員長を受けてほしい」とお願いされたのです。私は表に出たり役は苦手でしたので、お断りしました。後日、会社にきて、社長にお願いしに来たのです。務めている社長に「やってみ」と、言われてしまい、しぶしぶ受けたのです。
「受けた以上は、後悔がないようにしっかりやろう」という、気持ちは持っておりました。それから2年間、役員と一緒に、出来るだけのことをさせていただきました。一番の思い出は、年一回、長野県青年委員会の集いがあり、長野県は15支部が集まります。そのなかで「地域実践活動の発表会」があります。委員長になる前は、この会に一人で代表者として出て、自分の思うことなど・・を発表した経緯もありました。緊張して、何を話したのか、よくわからなかったのを思い出します。 
この大会で、役員そろって「何かできることをみんなで研究して発表しようよ」、ということになり、テーマを考え始めたのです。そのテーマが「高齢者に優しい色彩計画」でした。たまたな、仲間に女性の色彩に詳しい方がいたので、このテーマになったのです。高齢者になると「弱かれ強かれ、白内障になる」ことに注目したのです。健常者ではわからないのですが、白内障になると、霧がかかって、かすんで見えたり、黄ばんで見えたりしてきます。それゆえに、公共施設などの「表示、サンイ」「段差の見分け」「明るさ、照明」・・・と、判断がつきにくくなっていくのです。こうしたことを、チェックシートをつくって、諏訪郡にある6市町村の役場の現状をチェックしたのです。
そうしたら、岡谷市から、できたら「報告と改善提案をしてほしい」と依頼があり、実施いたしました。改善後は、まえよりはるかにお年おりに、やさしい、サインや照明などを改善することができしました。幾つかのメデイアのも取り上げられました。
この発表を、長野県15支部での場で発表しました。すると長野県の代表に選ばれ、関東甲信越10県での、横浜での場で発表することになったのです。
驚いたことに、この大会でも「ダントツ」で「最優秀」となり、更には、全国大会の長崎県での発表となったのです。ここでは、順位はありませんでした。しかし、無心でやってきたことが、こんなに認められるとは、夢にも思いませんでした。

それから2年後、H社長は、長野県建築士会の「会長」に昇進しました。
会長は、会の改革を提案し実行しようとしていたのです。例えば7つあった委員会を4っつにしたのです。少し強引すぎたらしく、2つの委員会を1つにしたのには、反対意見もあ受けてが見つからなかったのです。 そこで、また、私のところに電話が来て「是非とも委員長を受けてほしい」というのです。私は、1週間前に「茅野市17保育所の連合会長」を、しぶしぶ受けたばっかりでした。 これを理由に2時間ほど電話で説得されましたが、さすがにプレッシャーがあり、簡単には受けられませんでした。 会長はまだ、あきらめずに説得してきました「太田君しかいない」是非うけてほしい。 繰り返しお願いされました。
すると、自分の心の中で「これだけ、自分のことを頼りにして、お願いされている」ことに、心が穏やかになってきました。「ここまで、自分を頼って会長にお願いされてきているのだから、切腹するくらいの、理由がなければ受けるしかない」と、変わっていきました。
電話で話すこと3時間近く、「わかりました、私のできる範囲で務めさせていただきます」といって、承諾したのです。
委員の皆さんは、私より皆年上です。 最初はとても緊張しながら、委員会活動をしていきましたが、時間が過ぎるほどに、だんだんと楽しくなっていったのです。私が44歳の時でした。長野市での委員会の後は、毎回懇親会をやりました。また、毎年、諏訪湖の花火大会にお誘いしました。もちろん「ます席」です。皆さん喜んでいたのを覚えています。

2年後には、なぜか私が「諏訪支部の支部長」を若くして4年間務めることになったのです。
私は、自分からは手をあげれませんが、「太田しかいない・・・」などと言われると、どこかで、断りにくくなってしまうのです。バカというか、人がいいのか。
しかし、今振り返ると、こうした責任あるお役目をこなしているうちに、自分自身に、少しづつ自信がもてるようになった、ことは大きな経験であり、財産となりました。
まさしく、今の自分は、こうした役をこなしてきたことによる、ものだと確信しています。
その後、茅野市の「PTA連合会長」も、経験することになったのです。

僕の性格は、誰かに背中を押されないと、動き出せないタイプなのです。私が思うに「皆さんも同じかな」と思います。 こうした時に「動き出せるか」が、大切なことかと思います。動き出せば「苦労はするが得られるものが無限にある」断れば「得られるものは何もないのです」。子供と一緒です。自分から進んでお役目を受ける人はなかなかいません。誰々しかいない・・とお願いされ、皆に背中を押されながら、やむなく引き受けるのです。
しかし、経験上、結果的には、自分自身に自信と勇気が持てるようになって行くのです。

「緊張感の緩和」「下手な挨拶も慣れる」「自分の秘められた能力に気が付ける」「なにより、仲間が増え、人付き合いの幅が広がる」・・・等、自分を高めれれるのです。

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2018/5/28 「新緑の息吹は 青春そのもの

春は、寒い冬「つぼみ」であった、自然かいの芽が、いっせいに開き伸び始めます。とても清々しく躍動感を感じる時期です。 人生で言えば「青春」そのものでしょうか。 

青春とは、何も知らない環境の中で、たくさんのことを経験し学び成長していきます。当然に成長する過程の中では、一番は「不安」であり、発見(成功、失敗)、苦しみ、喜び、驚き、・・が、あるかと思います。  成長段階の、その時期こそが青春そのものなのです。失敗など恐れていてはいけないのです。石橋を叩きながら、慎重に生きるのは「臆病になった大人達だけ」でいいのです。

今の季節5月は、肌寒い朝方の散歩はなんとも表現できないほど、気持ちが健やかになります。

私はこの季節、愛犬のビーグル犬「ボンド」と、出きるだけ早朝に散歩するようにしています。ボンドは、なにより散歩が一番の喜びのようです。 朝食よりも散歩が嬉しいようです。たまに意地悪をして「ご飯を用意して、散歩の準備をすると」、迷い迷い、ご飯を横目に置いて、散歩に行きたがります。

ボンドとの散歩は、共に「健康(心身)」、「楽しみ」「刺激」「地域とのコミュニケーション」「ストレス解消」・・・等を、意識的に感じて行っています。できるだけ、カメラを持ち歩きながら。同じところも歩くのですが、季節や天気次第で「全然違う風景」を楽しむ事ができます。

まだ少し肌寒い朝に、早起きして自分の暮らしている地域を観察しながら、歩いていると、今までに気がつかなかったこと等が、沢山発見できます。風景(天気次第で全然違う)、畑、野菜、早朝より畑作業している方々との会話・・・。 たまには、出荷用の野菜も頂いています。持ちきれない、と言うと、後で、自宅に届けてくれる方々もいます。ありがたく頂いております。住んでいる地域で、知っている方の作った野菜は、一番信用できます。新鮮なうちに頂いております。

新緑の5月は、芽吹きの時期で「薄い緑が、だんだんと成長して濃い緑に変わっていきます」、この成長していく景色は、なんともいえないほど感動的です。

躍動感があるなかで、純粋で目にも優しく感動できる瞬間なのです。人生で言えば、まさしく青春そのものの時期かとい思います。

新緑や、新しい命は、何も知らない複雑な環境の中に、いきなり放り出されて、成長し生活していくようなものです。太陽に向かって、夏に向かって、強くたくましく成長していくのです。

その点、人間(動物)は、親に見守られながら、成長していく事ができています。

赤ちゃんのころの要求は「100パーセント」親が心配しなければなりません。何より安心感を。

保育園に入れば「要求に対して、愛情をこめたしつけ」が、もとめられて行きます。

小学生になったら「愛情をこめたしつけに加え、自主的の判断」が、できるように見守って行かなければなりません。

中学、高校からは「思春期」でもあり、少し難しい(解らせる)、大人になる準備の、しつけになっていくかと思います。

18才になったら、立派な成人として、見てあげましょう。自己責任として。

逆に18才になるまでには「自立」できるよう、出きるだけ思考力、判断力をつけさせる為にも「沢山の、経験、体験」を、できる環境づくりをしてあげなければなりません。その中で、たくさん「失敗、成功」「苦しみ、喜び」「我慢、忍耐、自由」・・・の本質を、学んでいくのです。

自分の経験から、小さな「怪我」「失敗」・・等は「たくさん」した方が、かえっていいのです。

大人になるまで「大きな挫折、失敗」をしたことのない人は「大人になって、その時に乗り越えられない」人が多いのです。

私自身もそうですが、こうした「青年を」たくさん見ています。

青春時期は、「心と共に体」が成長していく時期ですので、いろいろな「経験」「体験」を、させながら「失敗」「成功」「我慢」「あきらめない・・等を身につけさせる時期なのです。 失敗、怪我を全て避けて成長する事は「不可能」なのです。小さな失敗、成功、を沢山するほど「成長」できるかと思います。  それ故に大きな怪我、失敗は避けられるようになります。

人生と同じで、子どもに対して「手を差しだす」時と、成長させるためにも「手を出さない」、ことも大切なのです。 愛情の中には「辛い厳しさ」もあるのです。

自然界は、全て同じかと思います。 

愛情を込めて「安心させる」ことが一番大切ですが、時には自立に向け「距離を置く」ことも大切であると思います。

子育てで一番大切なことは、自然界と同じで「天候不順、災難、危機・・・」が訪れた時に、自力で「乗り越える力、生き抜く力」を、少しでも身につけさせることかと思います。

親の願いは、子どもがいつかは親を越え「自分のやりたいことを見つけて、人生の中で頑張れる姿」を、親に見させてくれることではないでしょうか。

青春とは、怖いもの無しで「挑戦しつづけ」、失敗を幾度でもしながら、自分探しが自由にできる大切な成長時期なのです。 

発見(好奇心、興味)   夢中(集中、諦めない)  信念(志、情熱、継続・・)

新緑の息吹と躍動感は、青春と心の人生、そのもののように感じています。

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2018/5/6 「新たな組み合わせ で 幸せを

組み合わせ、と言ってもいろいろな組み合わせがあります。物理、化学、・・・・生物的な組み合わせ、衣料、食材、医療、住、五感、色、形・・・・・・・他。

更には人間関係の組み合わせ、社会、地域、夫婦、友達、スポーツ、趣味・・・等。 人間関係の組み合わせ次第では、「思わぬ魅力的な発見」もあれば、逆に「「崩壊」の危機になる事もあります。

ここで、人間関係の組み合わせを、少し考えて見たいと思います。

人間は言うまでも無く、男と女、10人10色、で全て違う性質(DNA)をもち、性格、価値観が全て違います。うまく行っている人間関係もあれば、逆に崩壊寸前の人間関係のほうが多いかもしれません。  皆、それぞれに違うから無理もありません。

しかしながら、組み合わせを変えることによって、不思議なもので、いままでどうしようもなく上手くいかなかったものが、上手くいくようになったり。 逆に、前より全然うまくいかなくなった。ということもあります。

友達、役員、地域の住人・・・等で、いろいろな付き合いがあります。人間同士ですので、うまく進んだり、険悪の関係になったり・・と、当然にあろうかと思います。

良くも、悪くも、新しい人材を入れ替える事によって、「環境が変わる」ことが多々あります。

どうにか変えたい時や、絶対に変えたいとき、は「政界、社会、会社、物、仕組み、人・・等の環境」、新たな人、媒介を変えることが、一番の改善策のように思います。 

しかし夫婦関係は少々難しいところがありますので、簡単には変えられない事情もありますが、人生のどかで早めに決断しないと、一生苦しむ事になってしまうこともあります。  特に、幼稚性と、・・・ハラスメントは、ほとんどが改善できず直らないものです。

順調に進んでいる時は、どんどん同じメンバーで進めていけばいいのです。しかしなにごとも、長く継続していると時の変化で、どうしても思うように進んでいかない時が必ずおとずれるものです。

こうした時は、思い切った決断が必要なのです。 今までの考え方や、性格の違う人を新たに、その環境に入れなおし、「今の悪循環の環境を変える」事によって、良い方に変えられることができるようになれることが多々あるのです。

友達やご近所同士の付き合いも同じです。最近、今まで険悪のような関係になっていたところに、「新たな人、住人」が、険悪同士の間に入った事で、今までより上手にお互いが付き合えるようになった、という例をよく聞きます。緩衝材的な役割になったのです。

新たな組み合わせで「油のように、潤滑油」の役割となり、友達や周りの住人がうまく付き合えるようになれることもあるのです。 

司法的な問題や、トラブルの解決するのには「調停人」の役割があります。まさしく「できるだけ問題を和解」させるためかと思いますが。  しかし調停人の力量で次第で、上手くも、駄目にもなってしまいます。 それ故に「調停人」「」の役割は大きいのです。

夫婦の組み合わせも、当然に同じことかとがいえると思います。性格の不一致、価値観の違い、不貞行為、人間関係・・・等で、険悪になった時には、潤滑油のような役割の方が必要なのです。 しかし、もっと大切なことは、その前に「お互いに、相手の立場や、根本的な原因・・・を理解し、聞く努力を持つことができるか」が一番大切であると思います。 お互いに、感情的な攻撃が始まったら、全てが終わりです。  ほとんどが冷静になれなくなるのです。特に若い夫婦はその傾向があります。簡単に離婚せず、やり直す努力が足らないように思います。 (冷静に話し合い向き合う努力、理解、忍耐、我慢、許す勇気・・の努力)

いろいろな組み合わせは、無限にあると思います。その事情に合ったものを適材で組合入れてみましょう。

気持ちよく、出きるだけ楽しい人生を暮らしていくには、できるだけ「良い方(改善)」に、変えられるような努力をして、最善な「組み合わせ」を真剣に考えて行くことが大切であると思います。

時には「水と油」の組み合わせで、美味しくも、今までに無く幸せになれる事もあるのです。

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2018/5/5 「いじめる人は 弱者、卑怯者の証

いじめの原点は、自分より弱いと思った者を「からかったり、俺の言う事を聞かないとひどいめにあわせるぞ・・」と、勝手な想いで優越感や、地位を利用した脅し(圧力)なのです。逆に言い換えれば「自分自身が弱い人間」だから、身勝手(威圧、嫉妬)して、行動(いじめ)をするのです。

子どもも、大人も、本当に強い人間であれは、いじめ「弱い者イジメ」など絶対にしないと思います。逆に「自分より弱い」と思ったら、その人を助けてやるものです。それが本当に「強い人間」であると思います。日本の誇りである「武士道精神」は、いったいどこにいってしまったのでしょうか。 例が悪いですが「チンピラ」とおなじです。自分より強いとおもえば「服従して、したがい」、自分より弱そうだと思ったら、大きな声ををだして「脅かして圧力」をかけるのです。社会人としてみれば弱者であり卑怯者なのです。

子育ての中では「いじめ」の問題は、変わらず大きな課題となっています。

最近では大人社会も全く同じ構図になっています。 今、社会問題になっている、強い権力を持つ政治家や、官僚・・・等は、平気で自分より立場の弱い者に対して「俺のいうことを聞け」・・・で、いじめほうだいです。自分の都合に合わせて、権力を利用して個人的な(お友達)の利益を得るために、なんでもありのようです。最終的にはそこから自身への「帰る金」にしているのです。これでは「税金泥棒、詐欺師」といわれてもしかたありません。  

頭が良く、強い政治家は「バレナイ」ように、上手にしていることもあります。 また、変な例ですが「浮気はいけません」。司法的にも違法ではありますが、「バレナイ」「迷惑を掛けない」として、隠れて、おこなっている人が沢山いるのも事実です。 大切なことは「他人に迷惑を掛けない」、「絶対に秘密を守る」、この約束と覚悟が必要なのでしょう。 もし、バレタラ、潔く責任を取るのです。

真面目な部下は、上司から「理不尽な事(悪い事)を言われるまに、文章改ざん」等をさせられるのです。 真面目な方々(国民側を向いている方)は、プライドが優先してしまい、自身の犯罪に対し、やりきれなくなり自殺する人も出てくるのです。これこそ「大きないじめ」です。 時には不正がばれないよう、口封じで「殺害」される弱者もしばしば、なんだか「暴力団」とそっくりでっす。日本社会は、きれいごと抜きに「暴力団との共存」の関係が根強くあるのです。政治、相撲、芸能界、・・団体・・・他。沢山あります。

今の政権は、「国民主権」などときれいごと言っては、自分勝手な振る舞いをしています。「正直に丁寧に説明する」「うみを、全て出し切る」・・・といいながら「隠蔽と嘘」の答弁をくりかえしつづけ「自分たちの権力と利益を固持」しているだけです。 「女性社会の尊厳を」と言いながら、「セクハラ問題もを擁護し軽視」しているのが現実なのです。 品位を欠く麻生さんが、昨日「セクハラ罪と言う罪は無い」「訴えられている本人の人権も守らなければならない」と、会見していました。このままの政権ではセクハラ犯罪は、政界トップの一言で無罪になってしまうのです。女性社会の尊重どころか、軽視の証です。 これこそ「権力の乱用」というしかないです。今のトップ政治家は「自分の権力に無頓着すぎる」のです。 自分たちの弱さを、権力で必死に隠しながら生き延びているのです。

ではどうして「いじめ」は、なくならないのでしょうか。

子どものころは、自分より弱いと思う相手を、面白おかしくからかったりして、いじめるのでしょう。いじめている本人は、そのことによってなんらかの優越感をえるからでしょうか。大人とちがい「いじめが悪い」事だ、という認識がたら無すぎるのが困るのです。

大人の場合は、子どものいじめと少し違います。

今の国政を見ていると、モリ、カケ、改ざん、隠蔽、セクハラ、・・・と、問題だらけです。政治家が自分や、お友達の利益のために、権力や地位をいいことに、やりたい放題です。それも我々の税金を、勝手に自己優先に使っているのです。 そうしながらも「税収が足らない・・」と言って、どんどん国の借金(われわれの)を増やしています。借金は我々や子孫に自動的に負担がくるのです。

権力や、地位をいいことに「おれの言う事を聞かないと、許認可、出世、天下・・・できないぞ」と、忖度させて脅かしているのです。これこそ「弱い者いじめ」の典型です。国のトップクラスの方々が、平気で「いじめの手本」を国民(こどもにも)の前で、愚かにも繰り返しているのです。本当に情けないと思います。

これでは「こどものイジメを無くそう」などと、きれいごとを言ってもむりです。 無くなるはずがありません。

やはり「強すぎる権力や、地位を長く持ち続けてしまと、謙虚さや冷静さがなくなってしまう」のです。 「国民の為」から「自己優先」に変わっていき、いろいろな弊害から生まれてくるのでしょう。子どもと同じで「だんだんと、悪い事をしている」と言う自覚が麻痺してくるのでしょう。 だんだんと「国民の為」から「「自身の野望の為」に変わって行ってしまいのでしょう。

弱い者いじめは、自分の弱い力を認めず、権力を使って圧力をかけ自分を維持するために、行われるのです。自分の弱さを隠したいのです。 大きな声をだして、罵声している人を時々見かけますが、やはり同じ心理かと思います。  もうひとつ、人の弱みに付け込んで「あげ足をとって批判」するような人も同じように思います。 そこには相手に対する「嫉妬や妬み」が隠れているのです。

いじめを無くすには

子どもも、大人も、もし「いじめ」を見たり聞いたりしたら、勇気を出して「いじめている本人に、いけないことだと」、向き合う強い気持ちでやめさせることです。 さらには、そのいじめに対し「悪いことだと理解させる」ことが大切であると思います。しかし、昨今の学校は「自分の学校(自身)を守るために」ほとんどが隠蔽しているのです。 「いじめ問題の発覚は、氷山の一角なのです」

しかし、大人のいじめは難しいです。ひとことでい言うと「自分が弱者であることを隠し、自身の存在感をアピール」したいのです。

今の政治をよくみてください。「いじめをしている」と、わかっているにもかかわらず、同じ与党の政治家たちは、誰も「けしからん」「これはおかしい」「これはは違法」・・・と、はっきり言える人がほとんどいません。強い権力と圧力や脅しに対して、おびえているだけではないでしょうか。皆弱腰の政治家たちで情けないです。 与党の圧倒的な多数の中で、保身しているだけです。そこにブル下がっているだけです。 将来期待されている小泉新次郎氏にしてもおなじです。 野党の力不足をいいことに、積極的に与党を正そうとしていません。一日でも早く、国民側を無視した「国民のいじめ政権」を、新たな旗振り役の政治家が現れ、変えてほしいものです。

このままでは、「こどものいじめ」など無くなることはありえません。 大人のいじめを無くすことが先決です。 

このままでいいのでしょうか。 それぞれの立場、特に国民の税金で生活している方々(政治家、役人、教育、公務員・・・の方々)は。 一般社会人以上に、知恵を絞って「日本国民の理想の将来像を描くこと」を、真剣に考えていただきたいと思います。

5月2日(八十八夜)のニュースでは、「モリ、カケ・・」問題で、1年以上も国民に嘘を言い続けてきた、安部総理、麻生大臣も、いまだに辞任を強く否定し続けています。今の権力、地位に「恋々しくしがみついている」のです。 これでは「いじめ」の問題解決どころではありません。 与党にも、野党にもがっかりです。 どうにかしていただきたいと願うのみです。我々国民の代表であることを忘れないでほしいです。

逆に国民が、政治家や役人に対して「なんでも意見できる、「逆いじめ的な発言が、自由にできる環境」をつくってほしいです。

国民の代表であるならば「日本の豊かな将来像」を命を懸けて描き進めていただきたいです。 「私利私欲を優先」する国民の代表であったのであれば、責任を取って「切腹」ものです。 そのくらいの覚悟で政治家になっていただきたいと願います。

「いじめ人間とは」

 嘘、隠ぺい、言い訳、嫉妬・・・、を平気でするような人なのです。 弱者であり、卑怯者であるのです。

「つよい人間とは」

絶対に、いじめなどはしません。  自分より「弱いと思ったら助け」、逆に「強い人間に立ち向かう」のです。相手の立場になって、誠実にしっかりと向き合える人です。


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2018/4/29 「男はロマン 女は愛を

人生で一番大切にして生きるには、男は「ロマン」を、女は「愛」を、いつまでも忘れない、情熱心を持ち続けながら生きていくことかと思います。 

宇宙が誕生して約「137億光年」。 地球が誕生して約「44億年」。 生命が誕生して約「33億年」。そして、人類が誕生してから約「270万年」。 (人類猿誕生は500万年前) 

270万年を繋いで、現世の我々人間は、奇跡的に存在しているのです。

計算してみると、人間が誕生して270万年前からの、今の我々を繋いできた「先祖」を計算してみると、「10万」の、代(夫婦16〜25才)で、つながっているのです。 自分の先祖(10万の夫婦)、夫婦は2人ですので、10万の倍の、20万人のお父さん、お母さんのDNAで繋がり、今の私たちがあるのです。この奇跡的な「存在」を、私たちはしっかりと認識しなければなりません。それ故に先祖に感謝しながら、受け継がれたこの「生命」を大切にして、後世に繋げていかなければならないのです。

この奇跡的な「自分の存在」に気がついている人々が、少なすぎるのです。この尊い命に気がつくことができれば「両親を始め、先祖」に対し感謝することができるようになり、更には「自分の命をもっと大切」に考える事ができるようになれるかと思います。

それ故に人間は、「生命の誕生」をよく理解し、現在の、生命、自然の破壊など決してしてはいけないのです。逆に生命、地球を「一年でも長く元気でいられるように」、努力して行かなければならないと思います。身近で考えると「いま暮らしている、環境」を壊してはいけないのです。生命や自然環境(景観)などを、壊すのでなく守らなければいけないのです。

ここで「男と、女の違い」について少し考えてみたいと思います。

男は基本的に「いつまでも少年(まっすぐ、純粋、単純)」のままなのです。子どものころ夢見ていたものを「叶わなくても、追い続ける」ところがあるかと思います。あまり現実的にものごとを考えないで、追い求めるところがあります。異性、志、趣味・・・・にしても全て同じだと思います。 それ故に、年を重ねると「少々頑固」になりがちのように思います。

老人になっても、少年のように純粋で可愛い、魅力的なおじいさんもいますが。

女は基本的に、「成長と共に小から女大人へと(変化、混合、複雑)」になり、時代や環境の中で更に変化し続けながら、いつまでも失いたくない「永遠の愛」を追い求めているところがあると思います。それ故に「少々嫉妬深い」のかもしれません。

老人になっても、少女のようにかわいらしい魅力的なお婆さんがいます。

本能的には、男は、「自分の子孫を残したい」。 女は「元気で賢く強い子孫を残し、育てたい」。こうした役割の違は、あるかと思います。

人生を大切に生き抜くこととは。

男はいつまでも子ども心を忘れずに、真っ直ぐで、純粋(単純)であり、夢「ロマン」を、忘れずに追い求め続けていくことでしょうか。

女は、子ども心から大人へ環境の中で柔軟に変化しながら、永遠の「愛」を、恐れずに追い求め続けていくことでしょうか。

男は、「ロマン」を。  夢(趣味、志)を、子供心で追い求める人生。

女は、「愛」を。    愛(愛したい、愛されたい)を、失いたくない、永遠の愛を追い求める人生。


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2017/12/8 「可愛かった りす でも可哀想にしてしまった」

私が小学生のとき、子リスを放し飼いで、家で飼っていたことがありました。我が家の猫ととても仲好しだったのです。でも、最終的には私の不注意で可哀想そうにしてしまったのです。

私が小学6年生のころ、木登りが大好きだった僕は、カブトムシ捕り、アケビ採り・・と、また、登れそうな木があると、どこかまわず、いつも木に登っていました。

春のころ、いつものように木登りを、あちらこちらでしていました。そんな時に、ある林の木の上に、見慣れない木(小枝)のかたまりのようなものを見つけました。好奇心いっぱいな僕は、確かめたくなったのです。木の10メートルほど上にありました。木に登り、そこに到達しました。 すると「何かの巣」のようでした、入り口みたいなヶ所がありましたので、そこから手を差し込んだのです。

手を入れた瞬間、手を入れた反対側から、小リス?が飛び出し始めたのです。 とっさに、反対側の出口にも手を入れ、その小リスを一匹捕らえてしまったのです。このころは、僕もまだ子どもで「かわいそうだ」と言う気持ちより「好奇心」で、小リスを捕ってしまったのです。まだ目が開いたばかりでとても小さかった。

どうしようかと、思いながらも家に持ち帰ってしまったのです。今だったら絶対にしませんし、させません。

持ち帰ってしまったリスを、どうしようか考えもしなくて家に来てしまったのです。でも、今さら返すのもどうかなと思い、どうにか家で育てる事にしたのです。我が家には犬と猫がいましたが。 手のひらに乗るほどの小さな子リスでした。目も開いたばかりでした。

食べ物を与えなくは、と思ったのですが、まだお乳を飲んで育つ時期でした。たまたま近所の家でヤギを飼っていて、一升瓶を持って行っては、乳を頂いていました。私が乳絞りをしていました。この、ヤギの乳を「スポイト」で、どうにか飲ませました。美味しそうに飲んでいました。

すると、だんだんと懐いてきたのです。さらには、我が家の猫「トラ」とも仲良くなっていたのです。こたつ上の猫のおなかの中で「子猫のように」いつも寝ていました。このころからは、放し飼いでした。僕や家族の胸ポケットに入り込むのが好きでした。それだけ小さくて可愛かったのです。

我が家の田植えの時、休憩時間や昼食時には、お手伝いしてくれている方々に我が家に来てもらいお茶したり、お昼をご馳走したりします。リスは放し飼いでしたので、皆のところに行っては、食べ物を一緒にいただいていました。好みの食べ物を見つけては、その場所で座り込み両手で抱えながら食べていました。 みんな「かわいいね」と言っていたのを想いだします。

僕は昼は小学校に行っていましたので、リスは一日中、自由に家の中や、外で遊んでいました。下の家にも遊びに行っていたようで、何回となく、連れ戻してくれました。「今度来たら、うちで飼うぞ」などと、冗談まじりで返してくれました。

それから数ヵ月後のことです。寒い日が続いていましたので、もう「こだつ」が掛かっていました。なんとなく、リスも猫も寒さで少し震えていたように見えたのです。猫と一緒に、こだつ布団(二枚重ね)の間に入れてやったのです。

入れてやって、1時間後くらいにリスの姿が見えないことに気付き、慌てて探し始めました。全然見つかりませんでした。

もしかしたら、と思い「こだつ掛け布団の中を」見てみました。すると、リスがぐったりして動いていなかったのです。 この時ほど悲しかった事はありませんでした。悲しくて、悲しくて、どうしようもありませんでした。子りすは、一酸化炭素中毒(昔のこだつは豆炭や炭を使用)か、こだつ布団の重さと暑さから、逃げられずに「のぼせて」死んでしまったのです。子りすでしたので、両方の原因があたかもしれません。 そうさせてしまったのは、僕自身なのです。可愛い子リスを、不注意で殺してしまったのです。いまだに、思い出すと「悲しくなります」。

「ペット」として、私が子どものころ、犬2匹(二代続けてビーグル)、猫(23歳、僕のお姉さんだった)を飼っていました。今現在は、犬二匹(チワワ11才♀、ビーグル6才♂)がいます。飼う時には子供にせがまれ「めんどうは、絶対にみる。散歩、ごはん、ウンチの片付けは絶対にする、約束する」・・・。と言いながら、私はシブシブ飼い始めたのです。しかしながら、今ではほとんどしません。都合がいいようにかわいがっているだけです。3人子どもに、2人の子ども(犬)が増えたような感じです。

想いでのリスには、自然の摂理を壊してしまい、あげくの果てには、尊い命を私自身が奪ってしまったのです。

この歳になっても、「可哀想な」ことをしてしまったと、深く反省しております。可愛くも、哀しい想いでとなって脳裏にしっかりと、刻まれています。

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2017/11/22 「評論家 と 政治家 」

巨匠ピカソの絵を見て、10人10色の評論があるかと思います。

正直言って、ピカソの素晴らしさを理解できる人は、この世の中にどのくらいいるでしょうか。それと同じで、評論家や政治家と言われている人の、評価や話などを聞いていると、「真実」や「偽り」を、その人の能力をもって、「立場」「擁護」「批判」・・・他、その時の自身の置かれている環境で、いかようにも話し評価しています。

それ故に、本当に真実であるかどうかわ、解りません。 悪評高き評論家でも1、2割は正論である場合もありますし、逆にどんなに優れた評論家であっても、1、2割は間違っている場合もあります。

何が真実であり、何が偽りであるか、を、判断するのは、自分自身なのです。メデイア、評論家・・・の情報を受け入れるのは、大切な事ですが、その中から「本当に何が正しいのか」を判断するのは自分自身です。「自分自身の判断能力」なのです。

少し話は反れますが、今年から「選挙権」が18歳からとなりました。今回の衆議院選挙ではその対照となった若い方々の多くが自民党にいれたそうです。成人式も、近いうちに18歳いなるようですので、都合のよい自由だけではなく、義務と責任をきちんと自覚して成人になっていただきたいと願います。

情報発信は「テレビ、ラジオ」「ネット」「新聞、雑誌、本」「人間」・・・・他、沢山あります。

誰かを「擁護」「批判」したり「利益誘導型の宣伝」・・・他、いろいろな手段に利用されているのが現状です。

「そちらはいけない」と言いつつ「こちらをどうぞ」。「今がチャンス」「00割引」「絶対に儲かります」・・・・こうした、誘導に乗ってはいけないのです。

メデイアで解りやすいのは、政治の世界です。与党擁護、野党批判(その逆も)。 新聞、テレビ、ネット・・・、皆な同じです。

私自身もまったく同じです。自分の都合がいい情報に、賛同してしまいがちになっています。

世の中の仕組みをもっと解りやすくしていただきたいのですが、現状では逆です。わざと複雑にして、一般庶民には「解りにくくしています」。今の官僚や政治を見ていると、よく解るかと思います。政治家の方々は、我々の知らない「使えるお金が」沢山あるのです。トップにまで行くと億、どころか兆単位です。特に財務省は。

モリ、カケ、問題では億単位(8億〜100億)ですが、政治家からしたら「はした金」なのです。腹心の友に「権力で圧力をかけ少々の忖度をして利益を誘導したのです」。また、誘導したお金の中から解らないように自身に献金(税金の中から)してもらっているのです。

東京オリンピック委員長の元総理の森さんが「2500億円程度の競技場を作るのに・・・この程度の金を理解できない素人は残念だ」と、おっしゃっていたのを覚えています。これには国民が驚いたと思います。我々の税金をなんだと思っているのでしょうか。その後1500億円程度になりましたが。 経緯は無駄遣い、不正だらけです。

評論家も政治家も「自分の都合がいいように」動いているのです。言うまでもなく「自身の温存=自分勝手=自身の利得」で動いています。それも、我々の税金を使ってです。国民の為でなく、自身の権力=お金のためにです。

評論家も政治家も、どこまで信用してよいのか、まったく解りません。全てが不透明、いや意識的に不透明にしているのです。悪だくみがばれないようにしているのでしょう。 「批判」「擁護」をしながら、「偽り、不正」も「正当」化してしまうのです。

国民の多くの高齢者や、若い方々をはじめ、われわれに「正しい判断」それを求めても難しい事です。 こうした事情を知りながら悪利用してくるのが、多くの評論家や政治家なのです。 

もし誰かが真実を言ってところで、すぐに「権力の圧力」や「勝手な批評家やメデイア」にようってつぶさせてしまうのです。

今、相撲界では「日馬富士関の暴行問題」で大騒ぎになっています。この報道でも、評論家やメデアでは、それぞれの違う評論をしています。「相撲協会」か「貴乃花親方」を擁護、批判に分かれています。 それぞれの立場や環境を「守る」「壊す」・・他、いろいろな思惑が絡み合っているのです。こうした問題は、単なる「暴力行為」、と言うだけでなく「権力争い(立場、利害)」「古い相撲界の慣習(組織、八百長)」「モンゴル力士の癒着」・・・他、とても複雑なのです。 それと、古い体質の世界には、少なからず「容認しているタブー」が必ずあります。この「黙認してきているタブー」に、関係者は触れたくないのです。

最後は、いろいろな情報のなかから、自分自身の判断で見極めなければならないのですが、言うまでも無く「判断できる自身の能力を高める」しかないのです。

しかしながら、一般庶民より高学歴で頭が良い(ずる賢さも持った)、官僚や政治家、評論家・・・の真意を見極めることは、我々にできるでしょうか。 正直言って無理です。しかし、情報に流されるだけでなく「自分だったらこう思う」ていどの判断を磨いていく事は誰でもできます。 常に「自分の考えを持つ」ということが大切なのでしょう。

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2017/9/28 「 つらい時に すること  」

辛く苦しい時は誰しもあります。こうした時にどうしますか?  逃げる  悩み続ける  乗り越える努力する ・・・。

人生において成功している人を見ると、共通点が見えてきます。 それは、どんなに苦しい時も、「簡単にあきらめない」、ということです。不安の中でもどこかに自信「秘められた強い信念」があり、簡単には諦めないのかと思います。それは「自制心」の強さにもあります。

失敗したり、行き詰ったりした時、普通の人はすぐに逃げて諦めてしまうかと思います。仕事、スポーツ、趣味・・・にしても全て同じです。あきらめたら「その先はありません」。逆に言うと「先が無いことが解っていたら、あきらめたほうがいい」と言うことでしょうか。

しかし、苦しい中もがきながら、もがきながら「絶対にあきらめないで、どうにか乗り越えたい」と考え、今しなければならない行動をし、時間を過ごしているうちに、変化がおこり何かが変わっていくのです。

プレッシャーも似ているかもしれません。 プレッシャーに弱い人は、どこかで逃げてしまうか、悪い方「後ろ向き」に考えてしまうために、集中力が途切れてしまい、悪い方に考えてしまった姿の結果がでてしまうのでしょう。

逆にプレッシャーに強い人は「今までの練習や準備などで、誰にも負けないないほど努力してきたのだから・・・」と思うことによって自信が生まれ、集中力が普段よりも高まって、いつもになく良い結果が生まれる時があるのです。もし、結果が悪くても悔やむ事はしません「まだまだ足りない、もっと頑張らないと・・」と、さらなる鍛錬が始まるのでしょう。

誰しも一時的には吐き気がするほどの、プレッシャーやストレスを感じますが、成功者はそれを乗り越えてしまうのです。

また、人間はだれしも欲があります。ほしいものをできるだけ苦労せずに早く手に入れたい、と思うのが普通です。現実には、天才や運でない限り簡単には手に入らないと自覚しなければなりません。

間違いなく、日々の努力の積み重ねの多さで、結果は自然と出てしまうものです。精神的なものだけでなく、体と一体になった自信が出てくるのでしょう。

私などは心臓が弱い(身体的に)ため、大きな声で怒鳴られたり、些細なことでストレスを強く感じてしまいます。また緊張すると鼓動が人一倍、激しくなります。客観的に見れば、たいしたことではないのですが。 いつまでも尾を引いてしまい、頭の中からなかなか消えません。 簡単に割り切れないのです。まだまだ、未熟な人間なのです。

しかし、心臓は弱いのですが、気は強いようです。「自分がこうしたい、こうした方がよい」と、思う事は、意外と信念を貫きとうすようなところがあるようです。こうした時は行動も早く、少し強引とも言えるところがあるようです。自分ではよく解りませんが。

よく他人から「太田は、人はいい(線が細い)が、しんのぶい」と言われるときがあります。

私も辛い時や苦しい時はよくあります。振り返ってみると、そうしたときには、弱腰(心身ともに疲れている時)は、逃げたくもなりますが、でも「けっして逃げてきてはいません」。苦しく辛いですが、逃げないで「自分を信じてどうにか頑張ろう・・・・」と、心掛けてきました。疲れている時や体調不良のときは、あまり思い悩まないで違う事をしながら、元気がでてくるのを待ちます。

自分本来の力を出すには、精神的なところだけを強くしようとしても駄目だと思います。一番大切なのは「本当の自信」を作りことだと思います。というのは「誰よりも多く練習、準備・・をして来た」だから、「絶対に負けない」「絶対に成功する」・・こうした具体的な根拠の証があってこそ、意識しなくても自然と自信がよぎり集中力にスイッチが入った結果だと思います。

自信とは「積み重ねた体験、練習、勉強、準備・・の質と量」の結果から生まれてくるのだと、改めて感じています。本を何百冊も読むより「実践的なことの積み重ねの多さで」で、実力の上に更に勘が加わって、研ぎ澄まされた集中力が自然と生まれ、思わぬ(本来の自分の能力)結果がでるように思います。

イチロー選手が、あれだけの活躍で結果を残しています。世界一の記録を幾つも持っています。イチロー自信も「辛い時」「プレッシャー」との戦いだと言っています。吐き気がしたり、どうにもならなくなる時などの繰り返しだそうです。

それを乗り越えてきたのは「自分は練習や準備を、納得できるまで実施して来ている・・・誰にも負けないほど」こうして、自信に変えていくのだと言っています。記録は結果であって、最初からの目指した数字ではない、とも言っています。しかし年間200本安打を続けていた時や、最多安打達成時は、やはりプレッシャーを感じていたそうですが。

「辛い時は」簡単にあきらめず、いま自分に出来ることをしながら耐え忍び、少し時間をあけ(疲れている時は特に)、気力(エネルギー)が出てくるのを待つ。そして、正しい、やらなければならない、と思うなら、自分を信じて志と勇気をもって決断し進みましょう。

今日、解散した衆議院の選挙への対応などは、もう考えている時間がありません。これこそ、他人に頼らず自身で早々に先を見て決断するしかないのです。迷ったり悩んでいる時間などないのです。迅速で柔軟な対応と、勇気ある決断が問われるのです。また厳しい事に、判断を誤ると、議員落選、政権逆転になってしまうのです。全ては「自業自得」の結果なのです。

あきらめたら、その先に進めずおしまいなのです。  辛い時こそ、人間としての本当の真価が問われるのです。

  「人事を尽くして 天命を待つ」 逆もあり 「天命を信じて 人事を尽くす」

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2017/8/7 「 言葉 の 大切さ 」

言葉たくみに「理路整然」と、たんたんと挨拶上手に話す方は、頭の回転が速いと思われがちですが、大切なのは丁寧な口調で、いかに相手を信頼させる「心かの言葉の響き」だと思います。上手な言葉でなくても、心に沁みる「真心ある」言葉が大切だと思います。

いまの国会をみていると不透明すぎます。国の主権者である我々国民は、いったい何を、誰を、信じてよいのか全く解りません。行政、政治家、専門家、コメンテーター、メデイア、特に報道番組は本当にバラバラです。中には芸能人等が勝手な解釈を自由にしているのも考えものだと思います。またバラエテイー番組などは特にそうおもいます。全て悪いとは言いませんが、思春期くらいの子どもたちは、おもしろおかしく、声を出して笑いながら見ています。 子どもからの視聴率を考えて、真実とは関係なく娯楽として提供しているのでしょうが。

疑惑や事件などの解決は、裁判と同じで、双方の弁護士は、基本的に依頼者に優位(弁護)に動くものです。確証がない限りは弁護人が強いと「黒が白」になったりします。 逆に弁護人が弱いと「白が黒」にもなってしまうこともあります。 ほんらいは、おかしなことですが、法治国家である以上仕方がないことなのでしょうか。

極端な言い方をすれは「泥棒」「詐欺」「殺人」・・・をしても「確証」が「立証」せれなければ、悪いと問われない(無罪)、と言うことにもなってしまいます。

今の国会での疑惑は、まさにそうした感じです。疑惑をかばう側は「擁護し続ける」、偽りであっても擁護して、逆に相手を批判し続け、仲間を助けようとします。 嘘だと解っていても。今の政権はまさしくです。

前川さんの告白でも、「真実」と「うそつき」、に分かれています。「真実」なのか「虚偽」であるかは、最終的には受け取る側の「本人次第の、置けれている環境・立場、人柄と価値観」」だと思います。 

「正真」だと、とらえるかたは、そうした「立場」「考え」「心」の持ち主の方々だと思います。

「虚偽」だと、とらえるかたは、また、そうした「立場」「考え」「心」の持ち主の方々と思います。

今回の国会でのなかでは、いろいろな聞きなれない言葉が出てきました。「忖度」「印象操作」「李下の下で冠を正さず」。また、正直に答えられない場合は「怪文章」「正式な議事録でない」・・・「記憶にない」「記録に無い」「議事録抹消」「一点の曇りもない」・・・などと、確証が無い限り逃げまわっています。

このような言葉を発している人の裏側の真実の顔は、「本人自身」に向けられている言葉であり、本当の姿なのです。

調子のいい人は、自身の立場の雲行きが悪くなると、ころっと「方向転換」して、今までの反対意見によりそって、直後に賛同するような方もいます。 こうした方は、商売上手かもしれませんが、信用できません。

メールや手紙はその人の人柄や本音が素直に現れます。その人の根本の性格や人柄が、隠され形で正直に出てしまうと思います。思いや気持が正直にでますので、不満や不信感があるときなどは、文章に「攻撃的」な感情が、知らず知らずにしっかりと入っしまうものです。相手を理解しようとする前に、自己主張を優先してしまうのでしょう。

電話の会話も同じす。相手の声と直接つながっているので、これまた、正直にでてきます。電話の場合は、不満などあると少し感情的な会話になっていき、さらにエスカレートして過熱するときがあります。言いたい放題で30分以上も攻撃的に話し続ける方がいます(ヒステリック状態)。 こうした方は、相手を選んで攻撃してきます。自分より格上(強い)と思いきや、逆になります。卑怯者と言われてもしかたありません。

また、言葉を拓にねじ曲げるようなやり方をして、自ら相手を振り回すような人が見られます。 言葉巧みに、理路整然と早口で訴え、相手の気持ちを「置き去り」にして、自己主張ばかりで、反論したり、言い訳したり、攻撃的な言動をします。こうした方は、結局は「自己防衛」しているだけです。 政治家の方々には特に顕著にでているかと思います。

それ故に、心が豊かで頭も良く人徳がある方は、政治の世界を理解できるから「絶対」に政治家にはなっていません。 政治家は「権力志向者」が、基本的に強い人がなっていると思います。

言葉と人柄の真実

「言葉を大切にしない人は信用する事はできない。」と、言われています。 私も同感です。


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2017/6/29 「あふれる情報の真実と見極め」

加計学園といい森友学園の疑惑問題で、国民中が興味深く官僚や官邸、政治家の姿勢を見守っています。メデイアにとっては、最高のネタとなっています。良くも悪くも、本当に興味深いです。

忖度(そんたく) 印象操作(いんしょうそうさ) この二語、流行語大賞間違いないでしょう。「 印象操作」を言い出したのは、安部首相です。何十回も言っています。私が思うに、これって「投影同一視」のように見えてなりません。自身のことを言っているのです。また、正論で国益の為に「特区で岩盤規制に穴を開けた」などといい続けていると、自身の安部一強盤石に穴が開き、亀裂がはいりはじめ、最後には自身が崩壊してしまうのではないでしょうか。

「ゆがめられた・・・」と、官僚は官邸を批判し、官邸側は官庁を批判しています。これ、異常事態です。国の最高機関です。しかし、ここでこうした問題がたまたま顕在化しただけであって、「これが現実の国の最高機関の姿」なのでしょう。

各新聞も、官邸を「擁護する」、「批判する」、「中立」の新聞に分かれています。

また、テレビなどに出てくる評論家(コメンテーター)・・・も、まったく同じです。この疑惑の真実が解明されたら、過去の評論や報道内容に対し、人格やメデイアとしての資質が問われる事でしょう。

一つ感じる事は、長いこと権力を持っていると、今回のように「国民に利益」から「個人に利益」に誘導してしまうケースが自然と増えると言う事です。長期一強は、やはり良くないのです。これは、弱すぎる野党にも責任があります。自民党に変わる強さが無いのです。

ましてや「各省庁のトップ人事権までも官邸」では、国民の意見など行政や官僚を通じて国政に届くはずがありません。官僚が官邸側にゴマすりで出世、官邸は使いやすい人事を揃えるでしょう。これでは健全な国政運営が出来るはずがありません。

「うそつきは、泥棒のはじまり」でみると、今回の件は、どうみても官邸側の「うそつき=税金泥棒=不公平=長期一強」とみえるのは、いたしかたありません。

「白を黒」と言ったり「黒を白」と言ったりと、「記憶に無い・記録が無い・確認できない・・・・」と、言い逃れ確証が出ない限り堂々巡りです。 肝心の、都合の悪そうな「議事録」などは廃棄処分してしまいます。 おかしいことだらけです。 

国政のトップレベルで、このような不透明なことをしているのですから、一般庶民の私たちは、「何を信じていいのか」良かれ悪かれの情報の中から、選択肢が多すぎて、判断しようがありません。 国会中継を見ていても真実が全く見えません。 確証がでてくるまでは、言葉の醜い戦争です。 昨今の最強の安部政権は、どこまで踏ん張って逃られるでしょうか。

個人的な考えですが、今回の内部告発の前川元次官の記者会見での内容は、信じられるものと思います。会見では、真っ直ぐに前を見て、国民や省庁の後輩にむけ正直に心から事実を話しているような、謙虚で誠実な姿が印象的でした。現役の部下までもが前川さんを慕い、一緒になって「ゆがめられた」と、内部告発までして官邸を批判しています。

「あったものを、なかったとは言えない」 「行政をゆがめられた」・・・・。

また前川さんは会見の最後に、しきしに「個人の尊厳」「国民主権」と記し、訴えておりました。心に響くものを感じました。

前川さんは人柄といい人望といい、政治家の誰よりも信じられるように思います。国民側をしっかりと向いているよに思います。その点、政治家は逆に「腹黒さや表裏の使い分け」を上手にしながら、どこか間違いの権力(個人の利益)にすがっているように見えてなりません。

この機会に、少しでも国民の声が行政、官僚を通じて、国政等の政策に正直に届いて行く仕組みづくりを、改善していただきたいと思います。前川さんの勇気ある国政への反乱で、「大きく改革」できることを期待したいものです。期待できる政治家を、国民は責任を持って、政治家として送り出さなければいけないのです。選ぶ我々側にも重い責任があるのです。

今のように一強が長く続くと、どうしても謙虚さがなくなり「癒着」や「おごり」がふえて、自分の思うようになる仕組みを作りたくなるものです。それが「国民の利益優先」でしたらいいのですが、歴史の中でも同じで「個人の利益」に傾く傾向があるのです。

安部首相も、長い権力を持ち続けてきている為、どこか「謙虚さ」を置き去りにして「おごり」が強くなって(夫婦そろって)、癒着とも言えるお友達優遇の働きかけをしてしまうのでしょう。自身が首相の時に、強引でも、やりたいことをしておきたいのでしょう。

支えている菅官房長官は、今回の疑惑問題が発覚する前までは、会見ではいつも穏やかで賢明な対応処理をしていました。とても「素晴らしい政治家」で、次期総理かな、と見ているほどでした。 ここにきて、悪だくみを隠蔽し続ける「悪代官のような政治家」に見えてきてしまい、本当に残念です。言い換えれば、今が本性であるのかもしれません。 安部政権を守るために必死なのでしょうが、ここにきてかばい切れないのでしょう。 疲れが見て取れます。見方を変えれば少し可愛そうにもみえますが。

今日発売の週刊誌では、下村元文科相「加計学園から闇献金、口利き・・・」と、報道されていました。情報の出所は「元秘書」らしいとのこと。早々に下村さんは、記者会見を開き、報道された内容を否定しながら、元秘書の個人攻撃をしておりました。こんどは、大臣とその秘書との攻防でしょうか・・・。前川さんと官邸との攻防と同じ構図です・・・・。

いろいろな惑わされる情報の中から、正しい判断をするのは大変難しいですが。 信じて、判断して決めなければ、この世の中を生きていくことはできません。「信じる基準」がほしいものです。

信じられる基準で、一つ言えることは

その人の人柄や人望・・・過去の経歴、生き方(学歴でなく実践してきた仕事や、生きてきた、また、今の姿勢)の重視でしょうか。   自分の考えや言葉にくもりが無く自信があるなかで、誰よりも謙虚さを持ち合わせ、相手や国民に、しっかり寄り添って来ている「こと・もの」「人」でしょうか。  会社も商品・・・の信頼性、信じる基準も同じように思います。

いずれにしても、人間いきている以上、常にあふれ惑わされる情報の中から、自己責任において選択し、決断して生きていかなければなりません。 間違いは誰しもありますが、できるだけ間違いを少なくして、幸せ多き人生を送りたいものです。

最後に一言 人間の心理について 

 誰しもが「自分を守る」上で、「不安要素」が出てきた時は、「冷静さを失って、感情的発言・行動」等をしてしまうそうです。

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2017/6/14 「出会いと光」

出会いと 光を求めて

新しい出会いを積極的に自分から求めている方は、日本人では少ないように思います。誰しも少なからず「出会い」は必ずありますが。まれに、人里はなれて、仙人暮らしのような方もいます。 わたしとで、胸に手を当てて自問してみれば、そうだと思います。

嫌でも出会う機会は、日常の中で必ず生まれています。避けてばかりいると、どんどん孤立していってしまいます。会う時は最初、少し緊張等が生まれてしまいますが、話をしているうちに「お互いに、少し共感できるような」ところが出てくると、話が弾みだします。ここまで来るのに少々の勇気と相手に向きあい寄り添う努力がいるのです。

お役目などを受けると、望まなくても「いろいろな出会い」が、嫌でもたくさん訪れます。私などは、こうした時の出会いが多かったとことから、いろいろな経験をふまえ勉強させられました。且つ、意識付けされながら、少なからず私なりに成長してきたように感じます。下手な挨拶も回数をこなしていけば、少しずつ自信も付いていくものです。大人として、自分として少しずつ自信が付いてくるのです。

出会いのきっかけを積極的に作るのは、日本人は苦手なのかもしれません。人見知りする人種かもしれません。島国の文化であるかもしれませんね。 「他人はよそ者」とでも言うのでしょか。

今までの私の、出会いを振り返ってみると、いろいろな方々と出会って、別れもありました。特に、記憶にしっかりと残っている出会いは忘れようがありません。「良くても」「悪くても」。

昔を思い出し振り返るのもいいですが、これからの人生を少しでも楽しく充実したいのであれば、勇気を出して「新しい出会いを積極的に探し作っていく」事は大切であると思います。勇気を出して、前をできるだけ見ようとするのです。

新しい出会いを求めるのであれば、「元気で」「笑顔の絶えない」「誠実な」方々がいいですね。間違っても、お互いの苦い傷口を舐めあって同情しあったり、他人の愚痴や悪口ばかり言って、大切な時間を費やすような、出会いは避けたいものです。間違いなく「後ろ向き」な人間になって行きます。 言うまでも無く「前向きで明るい方」がいいですね。

私の究極の理想な出会いは「光のような方」ですかね。 難しいですかね。あくまでも抽象的な表現です。

何事も、前を見て進むのみ、明るい性格、行動は早い、間違っても他人の悪口や愚痴を言わない、何事にも一生懸命・・・。

全ても持ち合わせている人など、いないかと思います。でも、少しでもこうしたように思える人は、この世の中には沢山いると思います。また、こうした方と友達になれるには、「自分自身がそうでなければなりません」。

人間の「性格」「性質」を10種類に分けたとします。普通の人では、1つや3つは欠点(悪いところ等)、良いところも1つや3はあります。のこりは普通くらいとでもいいましょうか。とても良い人と言われる人は、欠点が少なく良いところが多いのでしょう。 悪い人と言うのは、すべてが悪いわけではなく、悪いと思われる欠点が多いのでしょう。よって、誰しも多かれ少なかれ良いところも、悪いところもあるのです。反社会的な方は困ります。 完璧な人間なんかいません。 神様はうまくバランスを作っているのでしょう。

「光のような人間」と思われる歴史上の人物で考えてみると、「坂本龍馬」は、きっとこのような人物に近かったと思います。社会に迷惑をかけないなかで、自分に正直に自由に真っ直ぐにいきていたのでしょう。私などは龍馬のようにはなれませんが、気持ちだけは「少しでも近づきたい」という思いは持ちながら、今後の人生を送りたいと思っています。

また、ここ私の住む大日影集落(34世帯-2000年)への移住世が2017年現在では22世帯増えました。私の進めている縄文の里村「大泉の里」の村づくりに賛同してくれる方々がほとんどです。

   縄文の里村「大泉の里」の将来像 「人も自然も田畑も豊かで元気 環境保全で光輝く幸せ村」

大日影集落は小さな集落です。それ故に昔ながらの伝統文化もあり、のどかな自然環境がそのまま残っています。この大日影の「日影」の意味は「日ざし・日の光・太陽の光」という意味です。 ここの大日影集落をとりまく「大泉の里」は、まさしく「光輝くの里村であり、光輝く住人である」のです。

私し自身、体調管理にはあまり自身がありませんが、精神的な面では、「光のごとく」地域のため、自身のために、残りの人生を自由に生きていって見たいと考えております。

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2017/2/17 「すがり(ジバチ)追い」

私にとっての、「すがり追い」や、「秋のジバチの巣を透かしで見つける」ことの、楽しみや醍醐味を、ここで紹介したいと思います。

すがりの正式名称

すがり(ジバチ)の正式名称はクロスズメバチです。上伊那では「すがれ」、岐阜県のほうでは、「へぼ」・・と地域で呼び名が違っています。山国では、昔から貴重なタンパク源として、貴重な食材であり食す習慣があったのです。

呼び名の違いはあるものの、この蜂の愛好家は沢山いるようです。しかし、近年では若い世代の愛好家がいなくなりつつあります。私の周りもそうです。私などは58歳(2017年)にして一番若いほうです。80歳を越えた方々が、目を細め、足元は危なげに、いまだに子供心に「夢中になって」楽しんでいるのが現状です。私自身は、小学生のころから、夢中になってすがり追をしていたものです。最近では、交尾させた女王蜂を、人工的に「越冬させ」春になるのをまって、野に放して巣が絶えないようにしている方々が増えてきました。

巣作り

巣作りの元になる女王蜂は、昨秋に巣から飛び立ち、交尾を複数回して、冬は切り株や、地中・・・で冬眠し越冬します。雪深いほど越冬条件はいいようです。雪が多いほど極寒が伝わりにくくなるのです。積雪が多いほど布団をかぶっているように地中なのかは寒気が入らないので暖かいのです。4月の終わりころに冬眠から覚めて地上にでてきます。覚めたころは、花の蜜などで体力をつけます。ちょうど田植えが始まる5月の半ばころから、巣作りに入ります。巣を掛ける条件は、田畑の土手や、林、山林の土の中です。モグラなどが通った、今は使われなくなった穴などに入り、巣を作り始めます。

女王蜂の一匹から巣作りを始めるのです。

無事に巣を大きくすることの出来る女王蜂は、越冬後の5パーセントほどと聞きます。95パーセントは、越冬から出てきた直後に寒波がくると、ここで多くが死んでしまうようです。それと梅雨時の長雨で駄目になったりします。

順調に育つと、7月の中旬ころ巣の直径が野球のボールほど(蜂の子の皿は4枚ほど)の大きさになります。このころになると、働き蜂が30〜100匹程度に増えていて、巣をどんどん大きくしていきます。このまま野にほっておくと、10月の末ころには大きなスイカほど(蜂の子の皿は、10〜15段ほどで、2キロ〜3キロほど)になります。私の今までの一番の大きな巣は、養蜂(飼い蜂)で「22段で4.2キロ」、秋の野の巣で「16段で、4.2キロ」でした。大きな巣では一万匹ほどの蜂がいるかと思います。みつばちの巣は3万匹ていどです。大きくなると「分ぽう」して、分家します。

すがり追い すがり追いは、ここの、7月半ばころから始まるのです。

私は、仲間と毎年同じエリアですがり追いをしています。まずは、巣がありそうな場所近くの、林や山などに、蜂を引き付けるための餌(イカ、鳥のササミ、小魚の肉・・)を、木の枝等に吊るしておきます。多い時は20ヶ所ほどを仲間と分けて吊るします。前日の夕方や、当日の朝一番に吊るします。

数時間してから、吊るしておいた餌を、見に行きます。そうすると、近くに巣があるときは、吊るしておいた餌に「すがり」が餌を捕りにたかっています。吊るしておいた餌を、小さく食いちぎり自分たちの巣に運ぶのです。この、繰り返しがはじまるのです。餌を持って行ってから、また戻ってきますので、この時間が短いほど巣が近くにあります。時間が遅いのは、まだ巣が小さいか、もしくは遠くにあるかです。また、巣が大きく、元気な蜂は、見てわかります。

いよいよ「すがり追い」がはじまります。まずは、蜂を追う目印を作ります。 白い綿で作ったり、雨の日でもできるように、買い物袋で付いてくる白いビニールの袋を、長細く5センチほどにして、これを細い糸で縛りつなげます。目印の結び目から2〜3センチ離した糸先に、蜂が運びやすくした餌を結び付けます。米粒を一回り大きくした大きさの団子状にした餌をです。

この、目印の付いた餌を、吊るしてある大きな餌にたかっている「すがり」に、餌を入れ替えるように、くわえさせるのです。この時のタイミングが少し難しいです。その年の最初にやるときは、少し緊張して手が震えることもあります。

いよいよ、目印の付いた蜂を追いかけるのです。餌にくわえさせて、そのまま飛ばす時もありますが、いったん、手のひらなどに、移動させてから、様子を見ながら飛ばせます。この時、蜂は「異物」などがないか餌を一回りほど、口あごを使って、まわしてチェックします。「これは大丈夫」と見極めると、ハエのように、前足や後ろ足をこすり、飛び立つ準備をします。餌をくわえている蜂は、けっして刺したりしません。餌捕りに夢中になっています。

飛び立つ準備完了後に、飛び立ちます。 巣が小さいころは、そのまま巣をめがけて飛んでいく時もありますが、たいがいは、近くの木や、枝等に、もう一度たかります。ここで再度、持ち帰る餌のチェックをするのです。そのまま飛んで行ってくれる時もありますが、結び付けてある糸に気がつくと、餌から切り離そうとするのです。こうなると、どうにかしてもう一度手のひらに持ってきて、また飛ばすのです。飛び立って高い所にたかって、糸を切り始めたら、もう、諦めるしかありません。 戻って、目印から作り直しです。この繰り返しで何度も、何度もおこないます。 また、巣に向かって飛んでいきますが、林の中、山の中を関係なく蜂は飛んで行きます。それも高く飛ぶ時もあります。その蜂を追いかけるのですから大変です。運よく、すんなり見つかる時もありますが、ほとんどが、苦労します。一日中繰り返しても、見つからないこともあります。山の下から追って、山の頂上に向かって飛んでいくと、もう、追いかけ切れません。また、林や山は、地上から5メールほど高いところを飛んで行くので、その蜂を追っていると足元がほとんど見えないので、倒木ややぶに足元がひっかかり何度も転んだりもします。転んでしまうと蜂を見失いますので、また元に戻って一からやり直しです。

何度も転びながら、また、苦労して、苦労して、やっと見つけるのです。 追っている蜂が、巣の出入り口に入る瞬間が、一番の楽しみ(興奮する時)であり、醍醐味なのです。

飼い蜂

見つけた巣は、蜂が通わなくなる暗くなるのを待って捕りに行きます。手作りの煙幕をつかって蜂を酔わせ(マスイと同じ)、動きが鈍くなった蜂の巣を、地中から掘り出し捕ってきて自分たちに庭などに掛け、養蜂するのです。30分もすると元気な蜂にもどります。手作りの煙幕は「炭」「硝石」「硫黄」で調合して作ります。捕ってきた養蜂の巣は、働き蜂がどんどん増えていきますので、秋にむけ大きくなっていくのです。また、掛けた巣の、蜂が出入りしているところをみているだけでも面白いものです。

すがり追い「目印追い」「透かし」の一番の醍醐味

こうして、苦労、苦労して見つけるのが楽しいのです。苦労している時は、どこら辺に巣があるだろうか、と常に推理しながらさがしています。時間、方向、高さ、飛び方・・・。へたな推理小説を読んでいるより、ずっと面白いです。一日中やって見つからない時(推理)などは「くやしくて、くやしくて」の思いが強くなりますので、半分「意地」になっても、必ず後日には見つけようとします。こうした巣は、経験上「大きなよい巣」です。大きな巣は見つけにくいものです。「高いところを飛ぶ」「飛び方が早くて付いていけない」「遠くにある」「見つけにくいところに」・・・。難しいほど面白いのです。5この巣を簡単に見つけるよりも、大きな巣を一日掛けてでも、一つ探す方が全々おもしろいです。 何事も、簡単に叶うものは、面白みに欠けるかと思います。諦めず、粘り強く探すことが、秘けつかもしれません。

秋の、野にあるすがりの巣を見つけるのも面白いです。今でも、一回は県外にでかけ捕りに行きます。目印をつけて探すのではなく、「透かし」といって、飛んでいるすがりを見つけて、巣を探すのです。飼い蜂の巣を見つけるのとの大きな違いは、目印をつけて探すのではなく、飛んでいる蜂や、餌を探している蜂をみつけてから、自分の勘と目だけで、「どこらへんに、あるだろうか」と、推測しながら探します。透かす場所を少しづつ、変えながら飛んでいる方向や高さを確かめ、飛んでいく蜂の、その交点を見極め集中的に探します。交点ですので、三角形の頂点です。山などの高低さのあるところは、加えて高さが加わるので三角すいの頂点となります。山を越えそうな時は、その山の裏側までいって探すこともあります。

収穫

秋の巣を見つけて巣を掘り出すのも面白いですが、見つける瞬間の楽しみとは全然違います。また、料理して食べますが、ほとんどは、ほしい方々に譲っています。自身は「少し」頂くだけで満足です。みつばちの「ロイヤルゼリー」と同じように、サプリメントとしても貴重とされています。 蜂キチガイの方々は、ほとんどが同じかと思います。 やはり「すがり追い」が一番楽しいのです。歳はとっても、この遊びは、やめられないのです。どこに、この魅力があるのか、もっと、もっと、深いなにかが、あるように思います。 



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2017/2/1 「決断の時」

なにごとも「優柔不断」「お人よし」・・は、良い方にも解釈できますが、やはり後悔が多くつきものです。端的に言えば「決断が遅い」のです。決断が遅くなると、いざ、決断した時は、既に遅し。となってしまい結果的に自分だけでなく、周りの人々や社会にも迷惑を掛けることになってしまいます。私自身が、幾度となく実際に経験して来ています。自分自身が落ち込むと同時に、周りの関係者にも迷惑を掛けることになってしまいました。

本人は、しっかり考えて一番納得できる答えを探そうとはするのですが、どこかで、その時、逃げ腰になって、決断を先送りしてしまうのです。そこには、「お人よし」と言われる「柔軟すぎる解釈をする性格」もあるかと思います。

格言にもあるように「巧遅拙速」です。「上手だけれど遅い」よりは、「上手でないが早い」ほうが早く結果を出せ、成功に近い。と言う意味です。思い切って動き出せば、嫌でも動きだすものです。

難しく直ぐには、結論がだせないこともありますが、どこかで、すこし難しかったり、めんどうだと思って、結論を出すのを先送りしてしまうのでしょう。特に苦手なことは顕著にでていると思います。誰しも苦手なことから離れたいものです。

人間それぞれに持っている性格や気質の影響もあるかとは思います。かといって、大人の社会では通用しません。それなりの責任があるのです。子どもの躾、教育者として、お役目・・・・で、苦手で逃げてしまうのでなく、勇気を持って、問題解決する努力をする心構えが必要でしょう。時にはお役目などで自分自身が当事者となる覚悟も求められるでしょう。

何事も、逃げると難しくなるケースが多々あります。場合によっては「逃げるが勝ち」となることもあるかもしれませんが。この場合は、逃げるのではなく熟考した決断である場合です。

優柔不断の一番の原因は「悩んでしまう」ことでしょうか。解決や決断するに当たって、悩み考え過ぎると確かに結論が遅くなるかと思います。

それと、自分で決められなくて、他人の意見を聞きすぎるのも、決断を遅らせることになるでしょう。自分で決められないのです。身近の人に言われると「そうかな・・」と、思い考え直してしまうのです。周りの人の考えを聞くのは良いのですが、その人たちは責任が無いので「真剣に考えていない」場合が多いように思います。しかし、決断し責任をとるのは当事者なのです。まわりの意見に振り回されているうちに、決断が遅くなってしまうのです。

では、どうすれば決断が少しでも早くできる様になれるでしょうか。なにごとも、決断、判断しなければならにときは、どこかで「期限を決めること」と「自分の判断に自信を持つ」ことが肝要に思います。

期限を決めれば、それまでに出来る限り考え調べ、努力しなければならなくなります。最初から逃げ腰では、そもそも大人として社会人として失格です。自分の判断に自信を持つことは、簡単なことではありませんが、日々、心がけることが、大切に思います。

勇気を持って「期限を決め」「自信と覚悟」をもって、決断することが求められることでしょう

今からでも遅くありません。「巧遅拙速」  勇気(自信)を持って、今「決断の時」なのです。


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2017/1/20 「魚釣りの想いで 大岩魚」

私は、子どものころから釣りが大好きでした。中学のころは、川の近くに釣竿を隠しておいて、学校帰りは釣りざんまいでした。釣りだけでなく、自然との遊び(カブトムシ、きのこ採り、ジバチ・)は徹底して遊んでいました。

私が28歳のころでしょうか、滝の湯川の上流で、天然の大岩魚36.5センチを格闘の末、釣り上げることが出来ました。釣りでは一番の思い出です。今でも魚拓を取って飾ってあります。この釣りの、狙いから一時間あまりを掛けて釣りあがるまでの過程を、今でも鮮明に覚えています。忘れないうちに、今、想いだしながら紹介したいと思います。

昭和61年8月27日の昼ころ、茅野市上川の支流、滝ノ湯川の上流、新湯ホテルより300メートルほど上流に大きな淵があります。ここは、好なポイントでした。釣りに出かけた時は、ここで一匹は釣り上げていました。

夏の終わるころのこの日も、新湯ホテルから釣り上がって行きました。この大きな淵までの300メートルほどの間では、一匹も釣れていませんでした。

大きな淵の下まで来た時に、自分の影が淵に映らないように、頭だけをソーット出して淵を覗き込みました。日中の日ざしが真上から水面に差し込んでいました。淵の中でもポイントが幾つかあります。その一つに北側に大きな岩が飛び出している箇所があります。ここのところを静かに見渡していると、その大きな岩下に、魚のような影がゆらゆら見えていました。影だけであって、実物は岩に隠れ見えていません。よって、魚からもこちらが見えていないはずです。

影の魚がどれ程大きいかは、解りませんでした。それまでの経験で25センチ前後くらいに思いました。 冷静になり、まず餌であるミミズを新しい餌に変えました。道糸は0.6、ハリス0.4です。少し時間をあけてから、影が見えるところから少しはなれた所に、ゆっくりとミミズを垂らし水面に入れました。水面から10センチほどの位置で、影のところにミミズを誘いました。しかし、魚の影はピクリとも動きません。何回かに分けて誘ったのですが、ピクリともしませんでした。

一度あきらめて、仕切りなおしです。仕掛けを換えることにしました。道糸は0.6のままですが、ハリスを0.2号に、一番細い糸にしました。警戒心を和らげる為です。

10分ほど待ってから、餌も変えて再挑戦です。今回は、もっと後ろの方から流し込み、誘いました。大きな影を通り過ぎたあたりでしょうか、影の魚でなく違う魚が掛かってしまいました。「やれやれ小物が掛かってしまい、これでおしまいだ」と思ったものです。掛かってしまった魚を、出来るだけあらびないように考え、川の水の流れに乗ったようにして、淵からの流れ落ちるところまでもってきて、静かにひきよせ釣り上げました。

釣り上げた魚を見てビックリしました。というのは「チビ(13センチほど)だと思っていたのが、23センチくらいあったのです。この時思ったのは、では、影しか見えていないあの魚は、もっと、ズット大きいはずだ、と。

でも、影の魚の近くで掛かった魚を一度釣り上げてしまったので、もう、警戒して釣れないだろうな。と思ったものです。悔しいやら・・・・で、少し混乱していました。

気を取り直して、ちょうどいい時間だから、ここで少し休憩することにしました。諦めかけましたが、少しの休憩したおかげで、「もう一度挑戦してみるか」という気持ちになったのです。「どうしたらあの大きな影の魚を釣り上げることができるか」を、考えました。

もう、ミミズの餌では無理であることは解っていました。しかし、他に餌はないし・・・。では、どうにか川虫を捕って、餌にしようと考え、川中の石をひっくり返して探しました。夏の終わりころは、川虫が少なくなるのです。いくら探しても捕れなかったのです。

さて、どうしよう・・・・。考えた末、川から上がり周りの林にいき、何でもいいから「虫」を捕まえようと探し始めました。 やはり、何も捕れません。

しばらく探してみたのですが、餌になるような虫は見つかりませんでした。あきらめかけた時でした。3センチほどのゲジゲジを見つけたのです。でも、今までにゲジゲジで魚を釣ったことはありませんでした、し。ゲジゲジは硬いです。 それと、すぐにまるまってしまいます。

他になにも捕れない以上、「これで誘ってみるか」と考え、準備に入りました。今度は、どのように誘い出すか、を考えました。 ミミズのように誘い出しても、不自然だし・・・。考えた末に、クモや、シャクトリ虫などの幼虫は、糸をたらしながら、地面や水面に降りてきます。これと、同じように誘ってみることにしたのです。慎重に針にゲジゲジを引っ掛けて、いかにもクモやシャクトリ虫が水面上の木から、ゆっくり下りてくるように誘うことにしました。

準備オッケイ。幸いにして、まだ、大きな影が見えていました。

釣り開始。 影がある水面の1メートルくらい上から、ゆっくりと餌のゲジゲジを水面に近づけていきます。一度、フェイントを掛けることにした。と言うのは、虫も水に触れば、「危ない」と察して、また、水面の上にあがろうとするはずです。シュミレーションしたように、水面に餌が触ったところで、少し引き上げました。その直後です。

今まで影でしか見ていない、魚が、引き上げた餌を追いかけてきて、姿が見えたのです。岩の下から出てきて、垂らした餌のあたりまで出てきて、グルーっと一回りして元の位置に戻りました。その光景は今でも鮮明に覚えています。「これは大きい、尺以上はある」・・・。少し興奮していました。

今度は、本番。 今回はもっとゆっくり水面に下ろして、誘うことにしました。魚の気持ちになって「今度、餌が降りてきたら、絶対に逃さないぞ」、こんな魚の心境が想像できました。少し、時間をあけて、再度の始まりです。

水面1メートルほどから、何回かに分けて、下げて上げて、を繰り返しながら、水面に近づけていきました。ジラシながら、ゲジゲジの餌を水面まで近づけていき、「ここだ」と決めて、水面に餌を触れさせました。

その瞬間でした。 その影が水面にいるゲジゲジの餌に、跳ね上がるように飛びついたのです。直ぐに、合わせました。 合わせたと同時に「これは大きい、尺どころではない」と、思いました。

この瞬間から、格闘です。ハリスは0.2。無理しなくても、普通に釣り上げることも無理です。どうしようか・・・・と迷いながらも決断しました。「時間を掛ければ、間違いなく切られてしまう。いちかばちかで、上げるしかない。それも、浅瀬で上げなければ、取り押さえる事は出来ない」と。そう考えながら、タイミングを待っていました。二度ほど引っ張られ回遊し直後に、私が狙っていた「ここしかない」という、場所に泳いで来ました。

ここしかない。 ここで切れても仕方ない。・・・・と、思いも巡らせながら、そのポイントに来たのです。 もう駄目もとでした。

浅瀬に向かって、「えーい」っと、泳いできた方向にあわせて、浅瀬に引っ張り上げました。その瞬間、水面から大きな体が浅瀬にむかって飛び上がったのです。「これは大きい」と思った瞬間。ハリス0.2号が、ブッチ切れ。魚がこちらに向かってきた、惰性もあり、浅瀬の水面から50センチほどのところに、釣り落ちました。

魚が大きいこともあり、バタン、バタンとゆっくりひっくり返っているのを見ながら、私はそこに、飛びつきました。幸いにして、どたばた跳ねている魚を両手で押さることができました。更に、絶対に逃がさない為に、親指を魚の口から、他の指はえらから、鷲づかみにしたのです。これで、絶対に取り逃がさないと、確信できたのです。

今までで、一番の大物です。絶対に逃がさない想いで握っていました。逃げられない場所まで行って、やっと安心して捕獲したのです。「やったあー」・・・・。

鷲づかみにしていた、親指の周りは真っ赤になって、血が出ていました。岩魚の鋭い歯に、ギリギリされた傷です。 その傷みより、取り押さえた興奮が大きかったです。醍醐味を通りこして、興奮していたのを思いまします。岩魚の口の中を見ると、釣り針まで伸びきっていました。

こうして、36.5センチの天然の大岩魚を釣り上げたのです。影を見つけて、釣り上げるまでには、一時間以上はかかっていました。このころは、天然岩魚36.5センチは珍しく、地元の新聞で紹介されました。

記念に自分で魚拓を作り、今でも額に入っています。私の、釣りでの一番の想いでとなっています。

川の環境も、当時の昔とは変わりました。今では、あらゆるところに、アマゴや岩魚を放流しています。それも、けっこう大きな魚までも。私としては、出来るだけ「天然物」にこだわりたいのですが。それと、今では「尺以上の魚は、釣りあげるまでで、もとの川に戻しています。今では、晩酌ように持ち帰り、美味しいつまみにする程度です。また、いかにも放流もの、と解ればそのまま逃がしてきます。 釣れても、釣れなくても、やはり「天然」ものにこだわりたいです。

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2017/1/1 「寄り添う」

人間のほとんどは、貪欲で自分勝手な生き物です。その点、自然界は正直で素直です。違いは言うまでも無く、大自然の秩序に「寄り添う」ことが出来ているか、の違いだと思います。

自然界は、何十億年もの年月を経て、今があります。環境の変化のなかで、新しい生命が誕生しては、絶滅もしてきました。

人間も同じように生まれたはずです。 しかし、人間だけは今までの生命と違い、いままで受け継がれてきた環境や生命を左右する「危険な生き物」のように思います。

神様は、どうして人間のような大きな知能を持つ、危険な生き物を作ったのでしょうか。人間は、一歩間違えると、地球環境が崩壊してしまうほどの、力を持っているのです。宇宙や地球などの誕生を研究するために、科学や物理を研究するのはいいのですが、核をあやつって、燃料や兵器などを作って、環境破壊を引き起こしてはいけないのです。

人間は、さまざまな良からぬ危うい間違った研究をしていように思います。宇宙や地球環境に悪影響を与えるような間違いを、絶対に起こしてはいけないのです。

間違いを無くすには、人間も自然界に「寄り添う」ことが求められると思います。人間にとってだけ都合のよい環境づくりだけでなく、地球の自然界に害の無い環境づくりをしていかなければなりません。人間の本来の使命は、地球環境を破壊することではなく、今以上に良くして、少しでも地球が健康で長生きできる環境を作っていくことかと思います。まさしく地球環境を守るためです。

個々の人間関係も覗いてみましょう。これまた、困ったもので、一言でいうと「自分勝手」です。

幸せに生きたい、豊かに生きたい、・・と、願いながら、自身の行っている行動は「自分勝手」で、他人や、他のことには無頓着です。

身近で見てみますと。 近所、地域・・地球環境、を大切に思い「良くしていこう」と、考え行動している人たちが、どれほどいるでしょうか。手間隙かけて、良好な環境を守り、作って行こうと、気も使って暮らしている方がどれほどいるでしょうか。

全てにおいて、良好な関係を築くには、自己中心でなく、相手にどれだけ「寄り添う」ことが出来るかだと思います。相手の立場や環境に、どれだけ気を使って、大切に考えることが出来るかだと思います。勝手な自己主張を控えて、時には自己を犠牲にしても、相手に寄り添うことかと思います。

地球環境(自然環境)に、思いやりや、五感で寄り添ってみる。

人間関係も同じで、相手を思いやり、五感で寄り添ってみる。

思いやりをもって、相手に寄り添うことによって、優しさが生まれ、本当の強さが生まれ、良好な関係が生まれるのではないでしょうか。

寄り添う先に、地球にとっても、人間関係にとっても、本当の優しさが生まれ、本物の幸せや豊かさが待っているように思います。


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2016/12/22 「チャンスや成功を生む きっかけ」

人生のなかで、転機となる「きっかけ」は、本当に一瞬であり、風のように通りすぎていきます。常日頃から、強く意識していれば、風のなかにある「一瞬のきっかけ」を、どうにかつかみとることもできるはずですが、それが難しいのです。

子どものころは、特にそうでしょう。よって、大人がその環境をいかに子どもに与えられるかで、全然違ってきます。大人の義務である躾であり教育で大切なことのように思います。子どもの純粋で旺盛な好奇心に、いかに火をつけてやるかです。 私は、小さなころ父親や先輩から、自然との遊びの「きっかけ」をつくってもらいました。 カブトムシ きのこ ジバチ 釣り・・・・。きっかけ後は、ひとりで夢中になって遊んだものです。おかげで、遊びに関しては、誰にも負けなかった。と、自負できます。

大人になっても、おなじことです。自分からきっかけをつくることは、なかなか難しいことですが、だれかに誘われたり、環境の変化などで、行動することで始まるような気がします。

きっかけの先には、夢中にねれるものや、チャンスが生まれ成功が待っているのですが。逆に失敗もあります。でも失敗を恐れていたら何事も叶いません。極端にいえば「だるまさんの七転び八起き」でしょうか。幾度転んでも必ず起きる。要は諦めない精神。

現実の暮らしのなかで夢中になっているもの、夢やロマンを意識して、かつ信念を強くもって、日々の暮らしを過ごしている人間はどれくらいいるでしょうか。

今の時代でも、まれに諦めず夢中になって追い求めている方々をみかけます。こうした方々は自分に素直で正直に生きているからでしょうか。偉大なj結果を残している方々は、意識して、無意識で、結果をだしている。

こうした方々が、新たな発見や成長、時代に沿ったもの、時代を超えたものなど、未知なるものを発見することができるのでしょう。

きっかけで、行動してチャンスが訪れ。   チャンスから成功がうまれる。  その過程の中では、たくさん小さな失敗もあります。

よって貪欲というより、素直な夢、目標、志、ロマン・・を追い求め続け純粋さ。 簡単に諦めないで粘り強く頑張リ抜く強い精神力。これらを持って、その「きっかけ」を、積極的に自分から作る。 それか誰かに、どこかで作ってもらえる機会、場所・・・、等を意識しながら日々心がけていることが肝要に思います。

きっかけから 行動を起こし夢中になれる「夢、目標、ロマン、志、遊び・・・・」のチャンスみつけ 

志、好き、から「けっして諦めない、成し遂げる力、勇気」を持ち続け

諦めない先には「思はぬ結果や幸せな明るい未来」が待っていることでしょう。

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2016/9/1 「運と資格取得(宅地建物取引主任者)」

 私は、社会人一年目の20歳の時に「二級建築士」と「宅地建物取引主任者」(宅地建物取引士-宅建士)の資格を同時に取得できました。「宅地建物取引主任者」の勉強期間は3週間ほどしかありませんでしたが、たまたま運よく取得できたのです。

「二級建築士」は、建築の専門学校卒業の年でもあり、また入社した会社の同僚も取得を目指していたので、4月より準備をして、計画どうり勉強し、どうにか取得することが出来ました。

「宅地建物取引主任者」の資格は、たまたま取得できたのです。というのは、2級建築士の一次試験(学科)が7月、二次試験(製図)が9月で、宅建試験は10月でした。

一次試験が終わった7月末日ころに、建築でなく不動産やに勤めていた同じ専門学校だった友達が、私のアパートに来て、あるお願いにきました。というのは「俺は10月にある宅地建物取引主任者の資格試験を受けなければいけない。一人では心細いので、一緒に受けてほしい。受験申し込みは8月なので、急ぎ申し込んでほしい。」と言ってきました。その時に、「宅建問題集・・」を置いていったのです。少し見てみると、民法・・や、難しい専門用語的な漢字が多く、「これは、私には無理だ」と思ったものです。

私としては、建築士の一次試験が終わったばかりで、その結果は出ていませんし、9月の二次試験に向けて勉強していました。友達は、あまりにも真剣にお願いしてくるので、「受験の申し込みだけはしておくは」と言う具合で、宅建の受験申し込みをしたのでした。この時は、合格できるとは夢にも思っていませんでした。

建築士の一次試験の合格後、9月にある二次試験に向けできるだけの準備をして受験しました。毎日を、気を張って建築士の勉強でしたので、二次試験が終わったとたんに、何もすることがなくなり「気が緩んで」しまっていました。

そんな時に、申し込んでおいた「宅建の勉強でもしてみる」か、くらいの軽い気持ちで、紀伊国屋にいき「宅建受験の本棚」をのぞいていました。すると、一冊の本に目が留まりました「やさしい宅建問題集・・・」。先日、友達からいただいた本は難しくてとても勉強する気にはなれませんでした。

この本を開いてみると、難しい漢字が少なく読みやすかったのです。国語や漢字に弱い私は、この本を買って持ち帰りました。

問題集ですので、テキストと違い問題を読んでも全く解りませんでした。そこで、問題を通過して解説から読み始めたのです。四者択一問題でしたので、「これだから間違っている」「この場合はこれが正解」・・・・と、解釈しながら覚えていったのです。解説をあるていど理解し勉強してから問題の出し方を見ていったのです。

問題と解説で約一ページ、500問題(500ページ)ほどを、時間が許す中で、解説を理解して、その後に問題を・・とテキストなしで独学しました。500問題をひと通り終わらせ、また1問目から二回目を繰り返しました。相変わらず、まだほとんど解りませんでした。当然です。初めての勉強でした。

しかしながら、三回目にはいると、やっと問題から答えが解るようになっていったのです。難しく間違えた問題だけをチェックしておきました。

ここまで、二週間ほどで行いました。宅建試験日まで後、一週間。また紀伊国屋にいって「過去5年間の受験問題集」を買って来ました。この問題集を4日で、二回行い、難しい問題だけ前回と同じようにチェックしておきました。

試験までの残り3日間は、「やさしい宅建問題集、500問題」と「過去問5年間の試験問題」の間違えたり難しい問題(チェックしておいた問題)だけを、時間の許す中で、繰り返し勉強しました。

こうして、3週間の私なりの独学の勉強で、宅建受験に挑んだのです。

受験答案結果(四択、問題)を控えておき、帰りました。受験結果は、全々自信はありませんでした。驚いたことに、私を誘っていた友達は、受験していなかったのです。勉強をほとんどしていなかったようです。受験していなかった友達は、受験の為の学校にも行っていたようでした。あきれてしまいました。

受験答案結果(四択一問題)を控え、帰りましたので、友達に、「受験勉強していた学校で、採点してほしい」と言って、渡しておきました。 後日、友達から「おしかったな、一問たらなかった」という連絡が入りました。残念ではありましたが「駄目もと」でしたので、あきらめがつきました。

後は、二級建築士の合格発表を待つだけでした。少々の自信はあったのですが、やはり合格発表くるまでは、なんとなく落ち着きませんでした。 待つこと2ヶ月ほど、嬉しいことに合格できたのです。

それから数日後だったでしょうか、アパートに「宅建受験の結果の通知」が届いたのです。不合格にチェック(線)が入っていました。私は、解ってはいたが「やっぱり不合格だったか」と、少しがっかりしました。

翌日、会社に行ったら、課長はじめ、5人の先輩たちが宅建を受験していたようでした。皆は「もう五回目だ、三回目だ・・・また、駄目だった」と、言い合っていました。 私は会社には内緒で受験していましたので、ここで、皆に「実は僕も受験していました、やはり難しいですね、昨日、不合格の通知が来ました。」 と、言ったところ「不合格者には通知はいかない」と言われたのです。

この時は、さすがに驚きました。今でも思い出しますが、ドキドキしながら、昼休みにアパートに帰って、来た通知を見なおしたのです。すると、不合格に線が入っており、これが合格通知だったことに気がつきました。本当にびっくりでした。

この通知を持って、会社に行ったら「太田は・・・・」と、皆も驚いていました。

自分を誘った友達に知らせると「本当か・・」と言って、なぜだろう、と驚いていていました。友達も不思議に思い「学校」に、今年の合格基準の確認をしに行ってくれました。

すると、受験問題の中に一問、「誤問」があり、その問題が正解?(対象外)になったようでしたこの「誤問」があったおかげで、私は合格になったのです。ぎりぎりの中で、「運」が良かったのです。 それも、合格率は10パーセントでした。

この時は、少し驚いていたくらいでしたが、時間が経つほどに「この自分が、3週間の勉強でよく受かったものだ」と、思ったものです。幸いにして建築士の勉強も同時にしていたので、宅建試験の中にある「建築に関する問題」は、ほぼできていました。

合格できた要因を今、考えてみると

・     短期集中での受験勉強   3週間、集中を極めた 「人事を尽くして 天命を得られた」

・     独学の成果     テキストなど使わず、問題集だけでの工夫勉強  やさしい問題集・・

・     建築士の受験と重なった 集中力の持続  建築の問題はほぼできた

・     タイミングがよかった  友達に誘われなかったら受験していない(取得していない)

・     運があった   合格ラインギリギリでの合格 それも誤問があって  友達の誘い 

本当に解らないものです。一番びっくりしているのは本人自身でした。人間生きている上でのチャンスや運は、いくつかあるものだ。と聞いておりましたが、本当にあるのですね。今振り返ってみると、3週間での受験勉強でしたが「徹底し集中していた」「時間のなかで計画的にできた」「独自の勉強法」・・・等を実践できたおかげ、と、なにより「運」がよかった。と思っています。教訓として、「出来ることは、後悔が無いように、徹底してやる」ということでしょうか。結果は後でついてくるのです。              


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2016/8/12 「本物のプロとは」 

ダイリーグで、イチロー選手が偉業を成し遂げ続けています。「実績の数字」もすばらしいですが、なにより「けが」をしません。守備では、あれだけのスーパープレイを連発しているにも関らずです。プロとして、怪我防止の自覚が極められているのでしょう。

プロとして生まれ持った「素質」を磨き上げ続けるなかで、筋肉増強ではなく、技術と感性の鍛錬、更には怪我をしない柔軟性な身体づくりに徹底しています。

年齢を重ねるごとに、更に研ぎ澄まされていきます。「まだまだこれから」、と言う感じです。人間は、やはり死が訪れるまで、「極め続けなければならない」という気持ちが大切なのでしょうか。

身体の柔軟性への気遣いや準備は完璧に近いです。この完璧と言う言葉は、めったに使われませんが、イチロー選手には違和感はまったくありません。

極端に言えば「一日の内24時間、いや365日」準備しているように思います。単に、試合前のウォーミングアップ、後のストレッチ・・だけではありません。

朝起きてすること、食事、自宅での準備、試合球場での準備、試合中でもストレッチ、試合後でのクールダウン、自宅での癒しと明日への準備、睡眠の気遣い・・・と、一日を通して次の試合への準備をしています。それが365日、いや野球を始めてからズーットかと思います。

本人は、「しんどい時もある」と言ってはいますが、やはり「好き」だからこそ、乗り越えられることができるのでしょう。この「好き」というのも、いろいろな意味があると思います。「野球が好き」「喜んでくれる人がいるから好き」・・。この両方の喜びがあるからこそかと思います。

「喜んでくれる人々の為に、スーパープレイ」をする。イチローの場合は、「野球が好き」よりも、こちらの方が優先して、野球を日々極め続けられているのでしょう。

客観的に観て、もう少し自身の好きなことや、野球を離れて別の世界で楽しんでみる等、とも思うのですが。しかし、イチロー選手は現役である以上、極力「野球のために人生を過ごしている」感じがします。野球を通じて「野球を極め」そして「そのプレーで喜んでくれる人が好き、よけい頑張れる」。そこがイチロー選手らしいところなのでしょう。

自分に重ねてみてみると、理論や理屈では解っていても、それを意識して「実行し続ける」ことは、やはり難しいことです。と言ってしまうと、自分の仕事に対しての「プロ意識が欠如している」と言うことにもなってしまいます。

今一度、自身を振り返って「イチロー選手から学ぶ」ことにします。

・     自分の仕事に対して、もっとプロ意識と自覚をしっかり持つ。

・     仕事に対して喜んでいただけるお客さんのために、極める努力をし続ける。

しかし、数字やスーパープレイを追い求められるトッププロ・イチロー選手との違いもあります。

イチロー選手から学ぶところは沢山あります。出来るだけ意識して、私のプロとしての仕事に役立てたいと思っています。



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2016/2/1 「安全とは 格安・・は危険」


「安全」とは、危険のないこと。「危険」とは、損害や損失が発生する可能性があること。「危険」は、過度の利益追求、安全性の軽視から生まれてくるのです。過度の価格競争は間違いなく危険をまねくのです。

「軽井沢バス転落事故」は、本当に残念でした。若い世代がこれから社会に飛び立つ寸前の悲劇でした。この事故での、「危険性」を検証してみましょう。 魅力であった運賃の低価格競争からいろいろな点が見えてきます。

格安バスツアーが一番の原因

格安のバスや運転手の確保条件を見てみましょう。低価格バス、低賃金雇用、高齢者、経験不足者、研修不足、過酷労働、不健康管理、点検不足・・・。 これでは、安心できるバス、運転手環境が作れるはずがありません。

まさしく「格安バスツアー」=「危険バスツアー」になったのです。  安易な利益追求や安全性の軽視の結果です。

「廃棄食品の流用」も、ひどいものです。廃棄業者ダイコーが、みのりフーズに横流し、卸業者などを通して転売していたのです。言うまでも無く、消費者を騙し続け自己中心的な利益を上げていたのです。

格安食品は要注意

廃棄食品の流用は、廃棄物横流し、詰め替え偽装、格安卸、卸業の不透明、転売・・・これまた、「格安食材」=「危険食材」なのです。まさしく、安易な利益追求が最優先で、安全性は全く無視です。

ユーザー自身にも、冷静な判断が求められます。「安さ」だけで判断してはいけないのです。「格安・・・」に疑問を持ち「適正価格」を受け入れることも大切です。

食材は本当に不透明です。

OO産、OO原料・・とありますが、偽りだらけです。産地偽装、農薬や添加物偽装、期限改ざん・・・きりがありません。特に加工食品は不透明です。加工(野菜などをカット)したり、刺身の「3点盛り・・」となると、加工食品となり表示義務が無くなるのです。これで信じる基準が全く無くなるのです。この「加工食品」という、定義がまったく不透明でわかりません。不透明をいいことに、なんでもありです。極端に言えば「ミックスのひき肉」では、何が入っているか解らないのが現状です。食用ミミズや、わけのわからない肉が入っているのではないかと言われています。また不透明で危険な肉(汚染、腐敗、消費期限切れ、偽り肉・・)では本当に困りもので危険です。でも、一般に見抜けないのげ実情です。お店を信じて買うしかありませんが、しかし、そのお店でも廃棄食品などが卸売業者を通じて実際に流通し、店頭で販売されているのです。

家づくりも全く同じです。

格安・・、ローコスト住宅、・・・住宅。 こうした家づくりも、よくよく気をつけてください。「安さ」には、それなりの理由が間違いなくあります。 安くてもいい家「自然素材」「高仕様」「高性能」・・と宣伝してユーザーを引き付けています。しかしながら専門知識のない素人には、その「安さ」のカラクリが見抜けないかと思います。なかなか解りにくく、これまた不透明なことが多いでしょう。健康飲料で「マムシドリンク」は効果がありそうだ、と、誰しもおもうかもしれませんが、1リットルに、ほんのわずか1万分の1しか入っていなくても「マムシドリンク」なのです。さらに、入っている成分も解りません。専門家でも難しい場合がほとんどです。それ故に専門的な知識がない方々には間違いなく見抜けないと思います。それを信じるのは「あなた自身です」最終的には、すべてが自己責任なのです。

「安全」とは、「安心」と「信頼」の約束がなければ、成り立たないのです。


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2016/1/7 「悩まず 挑戦する」

どうにもならない事で、悩み、傷つき、不安になることは、誰しもあることでしょう。冷静に考えると「どうにもならないこと」は、直ぐには答えが出ないことです。答えが出ないことを何時までも悩んでいると、不安な心理状態が続き大きなストレスとなっていき、疲れ果て最後には心の病(うつ病)になってしまいます。

ではどうするか。 どうにもならないことは、「一呼吸おいて」考えないことです。

答えが出せることは、考え考え自分なりの答えを出すことです。その答えが「絶対正しい」とは限りませんが、答えを出すことが大切なことです。今すぐでなくても明日でも一週間後でもいいのです。

ホリエモンのインタビュウーで覚えていることがあります。ホリエモンに「悩んだり、落ち込んだことはありますか?」の問いの返事は「全然ありません」というのです。詳しく聞くと「何かあった時には、直ぐに解決してしまう。もし、今すぐに解決できない時などは、日にちを決めて解決すれば良い。だから、迷ったり、落ち込んだりすることは全く無い」と言うのです。

課題は、視点を変えながら解いていく。 無理難題は、即答はできないので時間を掛け工夫して考えていく。

要は、何かあった時には、直ぐに解決策を講じて「解決へのレールを敷く」と言うことかと思います。

風邪気味なときや、疲れている時などは、今までの自身の課題などが強く出てきて特に不安な気持ちが強くなる時があります。こうした時こそ、考えないことです。朝ドラの「あさが来た」の主題歌に「思いどうりに行かないときは、明日頑張ろう」。まさしくこれでよいかと思います。

言い換えれば、「常に前向きに考えながら生きる」と言うことかと思います。人の悪口や、自分を正当化し責任転嫁し愚痴ばかり話してくる人がいますが、こうした人たちは「常に後ろ向きに考え生きている」のです。

もっと人生を充実させたいのであれば、言うまでも無く「なにごとにも前向きにとらえる」ことが肝要であると思います。

答えが出せないことは、思い悩まない。答えは一生かかっても出ません。悩んでいるうちに心身がクタクタになり病んでしまう。

疲れているとき、ストレスがあるとき・・・とマイナス状態の時は「考えない」元気がでてから考え答えを出す。明日でも、明後日でも。

答えを出さないといけない時は、答えを出来るだけ早く出す。難しい課題は、答えを出すレールを敷き期限をきめる。繰り返して考え答えを出していく。悩むのと考えるでは全然違います。考えることは前を向いているのです。

こうした考え方で生きて行けたら、ストレスは極力なくなるかと思います。人間関係においても同じようなことが言えるかと思います。

子どもの我がまま、他人からの批判・・・。ストレスになる前に直ぐに処理してしまえばいいのです。他人からの批判などは、客観的に自分を眺め「この人は、そう言う人 皆からも同じように思われている」と割り切ってしまえばいいのです。確かに自尊心を傷つけられるのは辛いことですが、一呼吸おいて「そう言う人」と割り切るのが賢明であり、「大人の解釈」かと思います。自分を殺すのではなく、相手を客観的に受け入れるのです。我慢や忍耐するのではなく、自身が大人として相手を受け入れるのです。

少々難しい解釈ではありますが、前向きに捉えることで「ストレス」も極力避けられます。

「悩み」は、「前向きに生きること」で無くなるのではないでしょうか。

人生、常に前向きに考え、いつまでも夢を持ち続け諦めず、挑戦し続けて行きたいものです。



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2016/1/5 「無駄遣いしない」

便利になった昨今、コンビニに行けば最低限必要なものは、直ぐにでも手に入る。割高な商品であるにもかかわらず、なぜ繁盛しているのでしょうか。そこには答えが出ています。一言でいえば「便利」ということでしょう。

24時間営業(時間制限なし)、手続きなど直ぐにできる(振り込み、証明書交付)、ピンポイントで今ほしいものがすぐに買える(弁当 雑誌、コヒー、ケーキ・・)、日常生活での主な商品がちかばでが揃っている。スーパーのように広くなく、直ぐに会計できるから列をつくって会計を待つ煩わしさがない。

しかし、便利だからといって、割高な商品を必要以上に買いすぎるのは、便利性の営業戦略(サービス)に乗っかって「無駄遣い」しすぎているのではないかと考えられます。

日本人の怠慢である「面倒くさい主義」の習慣の一つであると思います。必要以上の無駄遣いは避けなければなりません。

食材でみてみると、消費期限や賞味期限が過ぎた食材を惜しみなく破棄しているかと思います。野菜などもきれいに全てを使いきっているでしょうか。どこかの本にデーターがありましたが、日本は「1/3の食材は破棄されている」と記してありました。

エネルギーでみてみると、光熱水費の削減にどれだけ気をつけ工夫しているでしょうか。電機、水道、ガス、灯油・・・。細かくは言いませんが2割以上は今より削減できるかと思います。無駄使いしないというのは、単に「節約しなさい」というのでなく、「必要でないエネルギーは使わない」という考えが必要であると思います。

無駄使いしなかった分は、節約になりますし、他の「本当に必要なこと」に回せます。

ましてや無駄使いし過ぎて体を壊したりして、その為の弊害が沢山出てくることも予想できます。通院 エステ サプリメント 浪費・・・これ、最悪の無駄遣いです。

かといって、ストレスになるほど過剰に意識することも有りませんが、よき習慣として気をつけていけばいいと思います。言い換えれば、万物の恵みにの大切さを感じ「感謝の心」を持てるよう見直し磨き上げていくことのように感じます。

今まで当たりまえのように思っていたことなどを、「ありがたい」と感じとれる、感謝できる心をもつ豊かな人間になっていけるでしょう。その結果、感謝できる人間となり幸せな人生を送ることができるかと思います。

食生活をみると、手間隙かける料理や食材は、美味しく体にも良く豊かな食生活につながると思います。自分で育てた食材や、地元の山菜など「旬」「新鮮」「純粋」の食材を使って食べましょう。 手軽なレトルト食品は便利であるが、豊かな食べ物とはなりにくいと思われます。急ぎなどの場合はしかたありませんが、日常化してはいけません。

お金は特に無駄遣いしないよう心がけたいものです。必要以外は使わないことです。

無駄を極力なくし、もっと、必要で大切なことに使いましよう。面倒くさい、でなく時間は作ればあるはずですので、多少は手間隙かけましょう。時間を有効(有益)に使い「手間隙掛けながら無駄遣いしない」よう心がけていきましょう。

そのうち自然と「ありがとう」と心から言える日が来るかと思います。


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2015/9/26 「後ろを振り向く暇があったら 前を見る」

誰しもが、過去の出来事で思い出したく事等があるかと思います。30年前のそうした出来事を、今になって唐突に誰かに指摘されると、誰しもが驚きと同時に重い気持ちになりストレスと化してしまうことでしょう。

先日、まさしく私自身にあったことです。正直言いまして、今でも引きずってしまい、時々思い出してしまい少なからずストレスとなっています。

忘れよう、忘れよう、と自身に言い聞かせていますがうまく処理できません。

こうした時に、どのように自分をコントロールするかでストレスの度合いが違ってきます。なかには、トラウマ的に捉え「急性うつ」症状になってしまう人もいることでしょう。性格で大きな差はあるかとは思いますが。

自身を客観的に見ると、たいしたことでは無かもしれませんが、そう簡単には処理できません。自身に向かって「気にするな」と言い聞かせようとしますが、繰り返し、繰り返し思い出してしまうものです。ましてや体調が悪い時などは、大きなストレスとなり心身共に重症になってしまうかもしれません。

思い出したくも無い過去の事がらを、平気で指摘してくる相手のことを客観的に観てみましょう。

人間の弱みを平気で指摘することは、人間として小さく可愛そうな方だと思います。自分の勝手な思いを我慢できず、相手の気持ち立場を考えもせずに指摘することで自己満足するのでしょうか。「いじめ」の世界と似ているように思います。こうした方は、相手を思いやることは出来ないのでしょう。妬み、嫉妬、執念深さ・・が強く、小心者で自己中心的なのでしょう。

それ故に、自分を客観的に捉え「相手は小さく自分勝手で可愛そうな人間だ」だから「気にするな」と、言い聞かせることで、ストレスを出来るだけ小さくすることが大切に思います。

「後ろを振り向く暇があったら 前を見よう」

こうした言葉はよく聞きますが、簡単に出来ることではありません。人間、そんなに強い人は限られているように感じます。しかし、出来るだけ心がけ、少しでもストレスを小さくすることはできるかと思います。

誰しも過去には、人に言いたくない出来事・・・は必ずあります。今さら振り返っても何もプラスになりませんし、かえってストレスを大きくするだけです。誰しも解っていることですが。こうしたところを指摘してくる人は、無視して流してしまいましょう。自分と言う川があるとしたら、小さな船をイメージして作り、このストレスをこの船に乗せて流して忘れてしまいましょう。

自身の嫌な過去を振り返ってはいけないのです。

前を見て、頑張ればいいのです。


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2015/6/16 「 自然の力はすごい 」 

自然の力は地球環境の力そのものです。海、山、自然、恵み、災害、・・と、人間にとっては楽しくも怖くもあります。自然災害の脅威は仕方がないにしても、人間が人工的に作り出したことによる脅威は自業自得で反省しなければなりません。悪い例が、原子力発電事故ではないでしょうか。効率よく考えただけで、将来懸念材料が解決しないまま今まで来てしまいました。使用済み核燃料の処分は、今だに先が見えません、増えるだけです。目に見えない放射能の脅威にさらされるだけでなく、地球環境の秩序を乱したり壊してはいけないのです。

戦争や事故による放射能で、人間をはじめ地球生命の全てを絶滅させてしまう危険性を解消しきれません。

人間は自分たちの存在の在り方を、きちんと生命、人間誕生に向き合って考えなければなりません。人間の勝手な都合や利益を優先するような行いで、地球環境にストレスを与えていけないのです。知能生物であるのなら、逆に地球を少しでも元気で長生きできるようにしたいものです。

身近な環境で考えてみると、例えば食材はどうでしょうか。我々の食している食材は安全でしょうか。なにが悪くて、なにが良いのか、明確に説明できる人はいないかと思います。良い食材だと一つ言えることは、「旬で新鮮で純粋」な食材だと思います。理想は、自給自足に近い食生活をおくることでしょうか。

広告等で、いろいろな食材や、サプリメント等の宣伝を見ますが、どこか疑問に感じてしまうのは私だけでしょうか。農薬、化学肥料、加工、添加物等はまさしく何を信じてよいか全くわかりません。

病気や、気になく体質に・・・が効く、効果がある、と目にしたり聞くと試したくなるのが人間の欲でしょうか。しかしながら体質が皆違うように、万人に効果、いや、一部の方には効果がある程度ではないでしょうか。逆に副作用的に余計に悪くなったり、良いところまでもが悪くなる場合もあります。 まさしく、人の為でなく利益優先です。ワラにでもすがりたい気持ちは解りますが、その前に自分でしっかり考え理解して「やるべきことをする」ことが先ではないでしょうか。

住環境の、家づくりで考えてみると、見た目、快適、便利、経済的、が優先しすぎて、本来の人間の住む暮らす環境に一番良い環境を重要視して「人に優しい家」を建てられる方がどのくらいいるでしょうか。「快適で長生きの家」と言いながら、逆に「不健康で短命な家」に暮らすことになってしまいます。

自然環境で育った木は、言うまでもなく人間にとって間違いなく優しいはずです。それも、家を建てる場所に出来るだけ「近い環境で育った木」こそが、そこで暮らしていくのに適した優しい木であり、優しい家ができあがるかと思います。食材も同じことが言えるかと思います。

家づくりするときは、こうした木を出来るだけ使い、健康でエネルギーある優しい建築材料をお勧めしたいものです。人間が健康で暮らしていく家は、心身共に豊で健康で優しい家であってほしいと願います。

人間社会はとかくストレス社会です。自己中心は相手に必ずストレスを与えます。ストレスを全てなくすことは出来ませんが、出来る限りストレスを軽減したいものです。自分にも他人にもストレスを極力与えてはいけません。 こうしたストレス回避も自然の力と無縁では有りません。

繰り返しますが、人間は生命をはじめ、地球環境にストレスを与えてはいけないのです。いまのまま地球環境にストレスを与え続けていくと、必ず報いが来ます。自分がよければ、人間だけよければ、今がよければ、ではいけないのです。自分を良くしたい、人間を良くしたい、今をよくした・・・と本当に願うのであれば、「素直になって自然の本来の力を認め受け入れ感謝できる人間」にならなければなりません。

自然の恵み、自然の脅威、・・・等をきちんと素直に受け入れられる人間になることが、なにより大切であると思います。こうしたことを自覚するには大自然の中にはいって「自然の力」を学ぶことが一番かと思います。これから夏本番をむかえます。山や森林深くに遊びに出かけ、深呼吸しながら目や耳を澄ましたり、自然の恵みを食したりして、大自然に溶け込んでいるうちに、五感を通じで「なにか」を感じ取れることができるはずです。

なにかを感じ取れた時、我々の暮らす地球や先祖に心から感謝することができるようになることでしょう。その時にはじめて自分自身と素直に向き合うことができ、今まで以上に自分を大切にしていくことができることでしょう。。

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2015/2/12 「 豊かさを求めて 」 

人間の究極の幸せとは、どのようなものでしょうか。人それぞれ違いはあろうかと思いますが、お金や名誉、権力・・・等の豊かさの幸せでなく、「心、精神的な豊か」さがのほうが大切であるかと思います。 「豊か」な人生を送ることが幸せかと思います。

お金持ち、お偉いさん、・・・等、確かに裕福であり、名誉も有るでしょう。でも、そこに心、精神的な豊かさを兼ね備えている人々が、どれほどいるかと思います。なかには自身の立場を利用して、更に利益を確保したり、威圧して服従させて満足しているような方をみかけます。

こうした方々は、他人の痛みや迷いにたいし、心を寄せることができるでしょうか。また、他人の成功や幸福にたしして、素直に一緒になって、心の奥底から喜んで上げられることができるでしょうか。

自分の利益だけを優先している人は、当然に利益になることは積極的に声を出し動き、不利益になることは猛然と反対します。

自身の利益に結びつかないようなことには関心がないのです。それ故に自分を殺して他人や、地域の為に尽くすようなことはしません。これでは、いくらお金や名誉があったっとしても「貧しい」と言われても仕方がないように思います。

しかしながら、自己を押さえて、他人や地域のために尽力している方々もいます。こうした方々こそ、本当の意味で「豊かな」人々かと思います。お金や名誉でなく、自分の正しいと思う心、道を、温もりと情熱をなにげなく持って行動し生きているのでしょう。

とかく人々は、悪いこと昔からの問題や課題に対し、見てみぬふりで「わずらわしい事に関わりたくない」と言う気持ちが本音でしょうか。しかし、心豊かな人は、将来も見据え問題や課題に対して、できる範囲で「逃げずに、向き合う」ことを、なにげなく心がけているかと思います。   利益優先でなくい、「思い(正しいこと)」を優先できる心あたたかい勇気ある人々であると思います。

人の痛みに素直に寄り添える。人の成功や喜びに一緒になって素直に祝福できる。言うは簡単ですが、やはり難しいことでしょう。

例えば、自分の住んでいる集落や地域全体を少しでも良くしていきたい。と、心から思い考えている方がどれ程いるでしょうか。課題を解決し、さらに良くしていく為に、具体的に考え創造して行動を起こしている方がどれほどいるでしょうか。

行政に関わる方々は、こうしたことも大きな仕事であるかと思います。茅野市の将来像は「人も自然も元気で豊か 躍動する高原都市」とあります。この文面の「人も自然も豊かで元気・・」は、私が提唱した文面です。「・・元気で豊か・・」に変えられてしましたが。私としては、自分の心の奥にある気持ちや考えを素直に提唱し、茅野市に提案したものです。

しかしながら、「茅野市の将来像」は、どこまで進んでいるでしょうか。私に言わせれば、「絵にかいた餅」のまま、具体的に進められていない様に思います。きれいごとばかりで、知恵を絞った創造ある具体的な事案は出て来ません。ましてやこちらが具体案を提案しても、真剣に検討する姿勢すらみせてくれません。せめて自助努力が報われるように、行政の支援を考えてほしいものです。

このままでは「人も自然も元気で豊かに・・」どころか「人も自然も病気で貧しい・・」に向かってしまうかもしれません。 本当に残念で心配でなりません。自分たちの暮らしているまちを、皆で真剣に考えて「豊かに暮らせる茅野市」を目指したいものです。「茅野市で暮らしたくなる」そんなまりづくりを進め実現して行きたいものです。今のままでは、自分(地域住人)たちだけで、自分たちの村づくり、まちづくりを進めて行くしかありません。これでは行政の在り方がわかりません。

感謝  温もり 寄り添う 思いやり つなげる 創造 行動 愛(人、地域・・)・・・・このような心、精神を持つことや、心がけ継続して行くことによって、知恵も生まれてくるでしょうし、本当の意味の「豊かさ」が生まれてくるかと思います。 

これからの人生、上記の心、精神を磨きながら本当の意味での「豊か」さを求め、「豊かな人間」となれるよう心がけ、他人や地域に向き合いながら、少しでも貢献できるよう生きて行きたいものです。 



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2014/ 9/17 「 いたずら 」 創造する遊び

子供のころは「いたずら」をたくさんしていたものです。よく怒られもしましたが、懲りずに繰り返していました。おかげで、良かれ、悪かれ、いろいろなことを学ぶことも出来たと思います。実体験から危険予知能力 感覚・・ など、知恵や生き抜く力を少しは培うことが出来たかと思います。 いたずらは、独自で「創造する遊び」ではないかと思います。

危険察知能力は大切な能力です。いろいろな小さな危険なことを経験していく中で「これ以上は本当に危ない」な、と判断できる能力です。小さな怪我をたくさん経験すれば、大きな怪我はしないものです。小さな失敗をたくさん経験すれば、大きな失敗はしないものです。 小さな怪我や失敗を恐れ避けていると、いきなり大きな怪我や失敗を招いてしまうものです。

言い換えれば、いたずらの実体験から、小さな失敗や、小さな興味や成功をたくさん経験すれば、いつか大きな興味となり大きな成功につながるのではないでしょうか。

今の子供たちの環境はどうでしょうか?。昔と違い、親や地域の住人、更には学校や先生方・・・大人達の考え方も変わりつつあります。小さな迷惑程度ないたずらであっても、泥棒や犯罪者あつかいして、こどもたちを叱っているような気がします。これでは、好奇心、冒険心旺盛なこどもたちの、挑戦意欲を殺してしまい「将来の力の芽」を摘み取ってしまっているような気がします。

私の子供のころを少しだけ振り返って見ますと。

夏休みの遊びで、花火の爆竹をつかって、いろいろなことをしました。大きな蟻の巣を爆破させたり、畑にあるかぼちゃ等の野菜を爆竹で爆破させたりと、いろいろものを爆破していました。面白いだけでなく、なんらかの実験「どうなるか」をしていたのでしょう。

また、時限爆弾と称して、渦巻き状の蚊とり線香を使って、友達の家(友達の寝室近く)に仕掛け、寝付いた3時間後くらしに爆竹に点火させるようにして、寝ている友だちを脅かし楽しんでいたこともありました。

こんなことも 畑にあるスイカをスプーンを使って穴を明け、その場所で中身だけくり貫いて食べてしまい、食べた後は穴を開けたところを地面側にして、いかにもモグラが食べたかのようにして元の位置に置いておいたのです.。

これらは、私のいたずらのほんの一部です。今振り返ると「少々やりすぎていたのかな・・」と、思うところもありますが、今の自分を思うと、「よくいたずらさせてもらって良かった」のではないかと思っています。おかげさまで、小さな怪我はたくさんしましたが大きな怪我はしませんでした。いまもそうです。

今、このようなことを子どもたちがしたら、大変なことになるでしょう。親とこどもを呼びつけて、更には学校の先生も呼びつけ、子どもを泥棒扱い、犯罪者あつかいすることでしょう。

子ども達にとって好奇心や冒険心からくるいたずらは、ある意味での価値ある実験(遊び、なによりの勉強)なのです。こうした実体験の中からいろいろなことを学びとりながら、五感や感性を磨きあげ、知恵をつけることが出来るようになっていけると思います。さらには、いたずらの実験や経緯から「何か」に興味を見つけ出して、追求し続けているうちに誰にも真似の出来ない「何か」を成し遂げる力の源にもなることでしょう。

言うまでもなく結果的に、先祖からいただいた潜在能力を上手に引き出し実らせ「生きる力」「生き抜く力」が培われていくかと思います。きっと夢を実現する賢い大人になれることでしょう。 反社会的なことでは困りますが。

こうした力の芽を大人が摘み採ってはいけません。将来を担う今の子ども達のためにも、本来の「成育時のいたずらの大切さ」を理解してあげて、極力大目にみてあげてほしいと願います。こどもらを、おおいに外で自由に遊ばせましょう。大人たちの自分たちを守る都合のよいルールで、子どもたちを縛り付けてはいけません。

大人だって同じことです。「いじわる」なのか「いたずら」、「ユーモアー」なのかの区別がつかない大人が増えているように思います。ユーモアーの通じない人間では、一緒にいて楽しくありませんし、人生の楽しみが少ないようにも感じます。人に迷惑を掛けすぎるいたずらやユーモアーは、よくありませんが、そうでなかったら大目に、楽天的にみてあげられる「余裕 遊び」がほしいものです。

大人は将来の宝である子どもを、大きく見守ってあげましょう。「外で遊ぶこともせず、言うことを何でも聞く良い子」では、逆に心配ですね。いたずらのなかから何かをみつけ、やがて夢や希望となり「がむしゃらに、それに向かう力」が自然とついていくようにおもいます。

     いたずらは、「創造する遊び」なのです。  考え、実践、工夫しなおし、再実践・・・の繰り返しです

     いたずらは、一瞬にして通りすぎてしまう「運」をつかみとろことのできる、大きな「きっかけ」なのです


なにして遊ぼうか、よりも、「工夫して新たな遊びをみつける」、これが「いたずら」の原点のような気がします。良い子よりも、いたずら好き「ゴタッ小僧」の子どもの方が、創造力が豊かになり、将来の期待が持てるのではないでしょうか。 いたずらっ子、万歳。  ゴタッ小僧、万歳。  



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2013/ 12/13 「 超格差社会 」

バブル崩壊後、景気が低迷してからは「格差社会」が進んできました。今後はさらに進み「超格差社会」時代が到来するだろうと言われ始めています。  この一番の要因は、「アベノミクス時代の到来」ともいえるかと思います。

日本経済の現状は、一部の大企業ばかりが優遇され利益を上げているなかでの経済成長の底上げです。地方や中小企業、零細企業(弱者)は、いまだに先の見えない厳しい時代を、「必死になってどうにか生きている」のが実情です。やめるにやめられない現状の中、大手優遇政策のしわ寄せの影響で、さらに厳しい経営となっています。

日本経済の数字が上がるのであれば、弱者は切り捨てでも強引に進めていく姿勢は、安部内閣時代は当然として貫きとうしていくことでしょう。私は、政治経済のことはよくわかりませんが、こうしたことが「中央主導政権」なのでしょうか。増税、TPP対応もまさしくこの流れかと思います。憲法9条の懸念も心配です。 心配を通り越して、怖いくらいです。

まさしく、数の力で強引とも言える権力で押し進めていく手法です。先日の「秘密保護法成立」では顕著にあらわれたと思います。権力者主導で、国民の意見が反映されないようでは困ります。

戦後、自民党政権が主導となり日本の形が作られてきました。バブルがはじけるまでは、経済発展主義でなんでもありのようでした。バブルがはじけた時、国民ははじめて本質(正しさ、美しさ・・)に気づき教訓をたくさん得たことでしょう。原発もその一つであったはずです。

しかし、今は違ってきています。絶対神話として植付けられた「日本では原発事故は絶対に起きない」と、国民に信じ込ませておきながら、東日本大震災で実際に原発事故は発生してしまいました。今まさに放射能という目に見えない怪物が日本に襲い掛かっているというのに、懲りずに今でも政府は原発を推進しているではありませんか。

今は直ぐには結果はでないかもしれないが、原発に変わる日本ならではの「地球環境にやさしいエネルギー開発」を積極的に進めるべきです。表舞台にでていない斬新な優れたアイデアがたくさんありますので、皆で協力してアイデアを育て上げて行けばいいかと思います。これこそ日本の将来の先進的な誇れる、世界をリードしていけ産業となることでしょう。

少々違うかもしれませんが、子どもの教育で言うなれば、優秀な子どもにはどんどん援助して、そうではないと思われる子どもには手を差し伸べてあげない、冷酷な教育と言えるかもしれません。

小子化対策・・とうたいながら、大きな借金と危険なごみ(使用済み核燃料など)は、今の子供らにお任せかのようです。今がよければ、自分らがよければ・・では困ります。日本の理想の将来像を考えてほしいのです。本当に信じられません。

こうした時代に、小手先の数字合わせのような政策を行い続ければ、間違いなく将来的に大きな負担や、格差が大きくなって行くようになり、人情がうすいとも言われるアメリカのような国?になっていくことでしょう。

このままでは、間違いなく数字合わせの為に一部の優良者だけ優遇して、弱者切捨ての時代が続いていってしまいます。「武士道」や「おもてなし」の日本の誇れる精神は、いったいどこに行ってしまうのか心配です。茶道、花道、・・といった日本の誇れる美は守られるのでしょうか。

きれいごとばかり言っていられませんが、多くの日本人は、少々時間が掛かってでも万民が安全で豊かに暮らせる、誇りある日本であってほしいと願っているかと思います。政治も行政も表向き言っていますが。

切捨て社会、格差社会を食い止める為にも、一人でも多くの国民が「誇れる幸せな日本」に向けて真剣に考えていく必要があるかと思います。政権を支持している有権者にも責任があるかと思います。

ましてや舵取りである政治家、官僚、行政の方々には、自身の身に着けている不釣合いな自己満足している飾られたフンドシから目を覚まし、薄汚れてゆるんでいるフンドシをきれいに洗いなおして、「真っ当なフンドシ」に変え引き締めて、日本国民の為に、将来の子供たちの為に尽力していただきたいと願うのみです。今も大切ですが、将来の日本の将来像のほうがもっともっと大切なはずです。今までおいしい思いをしてきた、既得権(国民の税金からの個人的な利益)を固守しているようでは、日本の将来に期待はもてません。

  政治家、官僚、行政の方々には 「誇りある元気で美しい日本」の将来像に向け、万機公論で尽力してほしいです。 

私とて同じです。このままでは同じ流れのなかで切り捨てられてしまいます。自分を信じて、日本人としての誇りを忘れずに自己努力し続けるしかありません。微力ながら、地域や日本に少しでも貢献していけるように、頑張っていかなければと思っております



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2013/ 11/21 「 おもてなし 」

 「おもてなし」、なにげなく使う言葉ですが、よくよく考えると意味深い難しいことばですね。「持て成す」とは、日本の伝統文化で世界に誇れるもの、こと、のようです。

 すこし調べてみますと

  「表裏ない心で、見返りをもとめず対応して、人を喜ばす」

  「三味一体、と同じで、お客さんの五感と心に満足、感動と余韻をあたえる」

  「茶道の、一期一会、にも通じる」

言葉で言うのは簡単だけど、果たして本当に出来るでしょうか。上記のような方は、人間世界の中でも、ほんの一握りくらいしかいないと思います。

「表裏のない心」、一つとっても、簡単に出来ることではありません。素直な心と豊かな心があってでしょう。しかしながら、成人であれば、人柄や性格等は既に出来上がっていますので、改めて変えることはそうとうに困難なことです。

「見返りを求めず対応」、これまた難しいことです。豊かで強い心、美しい心が必要でしょう。ほとんどの人は、少なからず見返りを求めて生きているような気がします。

「人を喜ばす」、人を不快にさせている方は大勢いるかと思いますが、人を喜ばす人はどれ程いるでしょうか。五感をふるに使い、相手に合った対応が求められます。普段の生活習慣で、自身の五感を磨いている人がどれ程いるでしょうか。磨いている人でなければ、相手に対して当然に五感と心に満足、感動と余韻をあたえることなどできないと思います。茶道一つとっても、とても考えさせられます。利休の極めた美を改めて勉強してみる必要がありそうです。

おもてなし

極めることなど、誰一人として出来ないと思いますが、心得て努力し続ければ、いくらかでも、できる様になれるかとも思いますが。心得て努力し続ける方々が増えていければ、すばらしいことかと思います。「おもてなし」は、日本の誇りかと思います。

私もまだ遅くはありませんので、少しでも心がけ努力して、「おもてなし」のできる人間に、近づきたいと思っています。


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2013/ 4/14 「僕の母さん」

 頭が良く 気丈でありながら どこか虚弱っぽい 母でした。

専業農家であったため、母は頑健で行動力ある父に「言われるまま」によく一緒に働き振り回されていました。

母の一番の欠点は料理が苦手でした。僕が小さいころ、父に「こんなものが食えるか・・」と怒鳴られていたことを覚えています。それと、毎日と言っていいほど「あそこが痛い、ここが痛い、風邪かな・・」ときには冗談交じりで「おらあ、いつ死んでもいいで」などと体調不良や弱気な言葉がでていました。父とは正反対でした。

僕は間違いなく母似です。同じように「風邪気味だ・今日は体調が悪い・・・」と言っている日が多いです。おまえは虚弱体質だ、などと言われています。変なところが似るものです。

母に怒られたのは小学校の時の数回だけ、漢字が読めなくてゲンコをもらった記憶があります。そんな母も小学校6年の時、「この子は、好きなことを一生懸命やっているで、勉強はもういいで・・・」と先生に言っていたのを覚えています。それからというもの、完璧な放任主義で育ったように思います。

あるとき、秋の恵みであるキノコを、腰びく4つほど採ってきたときのことです「もういいで、採ってくるな、そろえきれねえで」こんな会話を思い出します。釣りも同じで「もう食べきれねえで、釣ってくるな」それからは、喜んでくれる家に持って行っていました。

母は、芯が強い「気丈」でした。

ある時、険悪な状況になったときのことです。相手が一方的にあまりにも感情的で自己主張ばかり続けていると、見かねて「そんなに言うなら、いいで・・・したらいい」と、予想外の究極の選択を言い出したことがありました。

この時の母の言葉には驚きました。ナヨナヨしているようで芯の強さを感じました。その言葉で、全てが一件落着となったのです。相手も冷静になり何も言えなかったのを覚えています。

父がなくなってからは、家にこもるようになり見る見るうちに衰弱していきました。容態が急変して何時逝ってもおかしくないと言われた夜は、母と同じ部屋で寝ました。

その時の言葉を思い出します。「おめえな、今がある自分を自分ひとりで作ったと思うなよ、親があってこそあると思え・・・」のようなことを言われたのを覚えています。その後、どんどん衰弱していくのがわかりました。

翌朝、潤んでいる目のなか、か細い声で「きよと・・がんばれよ」この言葉が最後となりました。次の日の朝はもう意識はありませんでした。母の呼吸間隔がだんだん遠くなっていき、逝ってしまいました。72歳でした。父の威厳さと違い、にじみ出てくるような笑顔が多い穏やかな母でした。

頭が良く 芯が強い 優しい 温かい 穏やかでかわいい母でした。

僕は、本当に恵まれていると思っています。すばらしい父と母の子供であることを。

これからは、残された人生を大切にして、わが3人の子供たちのためにも頑張らなければと思っています。我が子供たちも、いつかは僕のことを同じように思ってくれるよう望みたいものです。

こんな僕を、どこかで間違いなく見守ってくれていると思っています。少し怠けてアクビしている時に「おめえな、いつまでアクビしているだ、めた集中して仕事しろ・・・あっというまに時間が過ぎ、年とって人生終わってしまうぞ。・・・それと、たまには甘くてうめえものを食わしてくりょう、たのむわ・・・」こんな言葉が聞こえてきます。


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2013/ 4/12 「僕のお父さん」

 仕事熱心 頑健 酒好き 旅行好き 役好き 祭り好き お人よし そんな父でした。 

父はとても怖く、口答え一つ出来ませんでした。小学校ころ、言われたことを聞かずに遊びに行ってしまった時のことです、帰ってきた僕は父に、丸太ん棒で目じりあたりを殴られたことが二度ほどありました。そのときの傷跡が左右の目じりに二箇所に残っています。今では、「子供虐待」で訴えられるところです。

それからと言うもの、二度と怒られないように、父の言動には気をつけるようになりました。昔はこれも、躾の選択肢であったと思います。言って解らなければ、解らせるための少々の体罰もありだと思います。

勉強は本当にしなかったです。小学校のころから父母もあきらめていようでした。「好きなことをさせておけ」と言う感じでした。

父が大好きだったジバチ(すがり追い)や、きのこ採りなどを教えてもらいました。勉強嫌いの僕は、その後一人で夢中になり遊んだものです。そんな僕の姿を、面白そうに見ていたように思います。おやじの変わりに一生懸命に遊んでいたようなものでした。

中学に入ってからは怒られた記憶はありません。農家の手伝いは言われたことはこなしていました。農機具(トラクター・田植え機・稲刈り機・・)にの乗っているのは楽しかったです。バイクやトラックにも乗っていました。もちろん免許証はありませんが、畑仕事で乗ったり、母を畑に送迎・・の範囲でした。

高校になると、兄二人は東京に行ってしまったので、よけいに手伝いをあてにされていました。

卒業後のことを考えはじめたころ「家にいたらいつまでも田畑の手伝いをさせられてしまう。やだな〜」とおもうようになっていました。それゆえに、親に相談もせず勝手に東京にある建築の専門学校「中央工学校」に願書を内緒でだしました。その後父の知らぬ間に合格通知が家に届いてしまったのです。

父には当然のごとく怒られました、が、思いもしない「おまえも東京へ行って来い・・」と、気持ちよく送り出してくれました。

学校を卒業して東京で就職。その年(20歳)に「二級建築士」と「宅地建物取引主任者」の資格を取得することが出来ました。自身も驚くと同時に、父もとても喜んでくれていたのを思い出します。

しかしながら6年間の東京での生活は、健康管理に無頓着すぎて体調不(自律神経失調症)になり、ノイローゼぎみとなってしまい、やむなく故郷に戻ってくることになったのです。

家で体調回復に励んでいたころは、自身としても辛かった時期です。そのころは父母や兄に甘えていました。兄の車を乗り回し、ガソリンは父親の名義で・・・と。父は見て見ぬふりをしていたと思います。そんな父でした。

酒と旅行が好きで、農繁期が終わる時期には、掛け持ちで旅行に行っているほどでした。旅行先では気前がよくて、同行者にはそのつど土産や、おつまみなどを買ってきては、振舞っていたようです。

外の飲み会なども多かった。午前様になっても、夏のセロリー出荷時期などは朝3時には起きて働いていました。親父は頑健で、疲れたとか、具合が悪い・・など聞いたことがありませんでした。二日酔い、かぜをひいた、などと聞いたことも、見たこともありません。

冬のある日、酔って帰ってきた父は、外で飼っていた我が家の愛犬ビーグルのチロと一緒に、朝まで外で寝ていたこともありました。

朝食前(畑仕事後)、昼食前、夕食前とお酒を楽しんでいました。それだけ体を使って汗をかいていました。お酒の飲みすぎが原因かわかりませんが、胃薬は常備薬となっていました。結果的にこの常備薬が命取りにつながったように、今ふりかえると思います。

楽しみにしていた末っ子35歳の僕の結婚一ヶ月前に、末期がん(すい臓)で亡くなってしまいました。最後の心配が無くなったのでしょうか、安心したかのように69歳の誕生日を迎えた翌日でした。 「おまえの事務所くらいは建ててやる」と言ってくれながら早々に逝ってしまったのです。

弱音を吐かない 愚痴も言わない 他人の噂話や悪口を言ったことが無い 役は何でも受けていた・・なによりお祭り好きだった。太く短い人生だったように思います。 

仕事熱心 頑健 気丈 人がいい 役好き 旅行好き 祭り好き、特におんばしら 酒好き の父でした。

今思うと父は僕にああしろ、こうしろ・・など言わなかったけど、間違いなく僕に父の背中を見せてくれていました。父が亡くなってから時が過ぎるほどに、強く温かく見守っていてくれた父であったことに気づかされます。本当に感謝しています。 この思いを我が子供たちにも伝えていきたいと思います。 

父のためにも自分の命を大切にしながら、我が子らにも恥ずかしくない僕の背中を見せながら、迎えが来る日まで頑張りたいと思っています。



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2012/ 8/11 「23年度茅野市PTA連合会長を終えて」

平成23年度の、茅野市13校(小9校、中4校)のPTA連合会長を無事に務め終えることが出来ました。

私には子供が3人いるので、役目を通じて少しは「教育」というものに向き合ってみる良い機会となりました。

一年間はあっという間でしたが、良かれ悪かれ沢山のことを学ぶことができました。今までは教頭先生、校長先生、教育委員会、教育長、教育行政・・の方々と直接に身近な会話などで接する機会はほとんどありませんでしたが、連合会長ともなると、いやでも話をする機会が沢山ありました。はんめん一番の負担は、会長としての「あて職」での会議の出席が幾つもあり大きな負担となりました。

お役目のこの一年間、向き合った私の率直な感想を記します。

先生や学校、教育関係者は、一言で言えば「やはり公務員的だな」と強く感じてしまいました。私から見れば、先生という職業についているのですから「自分の仕事を日々自己研鑽していきながら、誇りと熱意を持って、責任ある仕事(教育者)をしてもらいたい」と思っていました。が、ドラマのように熱血で情熱をもって生徒らに接っしてるような姿は、残念ながら感じとれませんでした。少数ですが熱血教師はいましたが。

どちらかといえば「仕事として割り切り、無難にこなし給料をもらい定年退職したい」と言う感じで「自分達の居場所(職業)を守ることが優先で、子供達には最低限の仕事「教師」をこなしている」という感じでした。全てがそうであるとは思いませんが、ほとんどはそうであると実感しました。特に「名誉職とでも言っていい、校長・・」の立場の方々。

学校は、一年の予定が最初にほぼ決まっていますので、そこに新たな仕事「子供にとって大切な行事、教育の場」などの話を持ちかけても、いやがります。最初のころはそう思っていなかったのですが、違っていました。

こうした事例があります。茅野市の姉妹都市である「千葉県旭市」より、子供達との交流「山と海との絆プロジェクト」の参加依頼の話が来ました。旭市は大震災で津波被災され死者も出ていますし、原発事故による、風評被害も問題となっていました。旭市の復興を一緒に祈念すると同時に、子供達に現状を見ておいていただき、将来に伝えていてほしい、というものでした。

この話が、最初に茅野市に来たのですが、窓口がたらい回しのようでした。そのうちにPTA連合会会長の私のところ話がきました。この話が来て、実施日まで後2ヶ月しかありませんでした。たしかに急な話ですが私としては出来るだけの協力してあげたいと思い動き始めたのです。行政といい、学校といい、急なはなしで困ったのか、「学校としては動けない(責任回避)」「行政は私任せ」・・のようでした。

私は仕方なく、PTAとして私を含め個人的な責任において参加を募り、プロジェクトに参加してきました。茅野市で4名、PTA連合会の有志3名、参加子供は16名でした。旭市では、市長や教育長はじめ大勢でお迎えしてくれました。またPTA(千葉県、旭市)を初め沢山の団体やお母さんたちに迎えられ、この上ないおもてなしをしてくれました。

私としては、こうした交流が本当の意味で「姉妹都市としての絆」であり、子供にとっては「この上ない貴重な体験(教育)」であった、と思っています。

昨今では、毎日にのように「いじめ」「教育者の不祥事」がメディアを賑やかしております。

教育関係者に一言、自身を守る(報酬、名誉)でなく、将来を担う子供達に(生き抜く力)をつける教育を、教育者としての責務を感じ、誇りと熱意を持った教育者であってほしいと願います。


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2012/ 3/24 「健康=自律神経を整える」

子供の頃は勉強こそしなかったけど、健康優良児で小・中学校の9年間は一日も休まずに皆勤賞でした。

東京での生活で、徹夜が当たり前のような職場環境下で仕事をしていた時があります。更には4日間つづけて貫徹してしまい、この間は一睡もしていませんでした。この4日間、体調の変化には気がついていたのですが、任された仕事とを何が何でもこなしたかったのです。私のほかは皆さん高学歴で、少し劣等感がありました。よって、健康管理には全く無頓着でした。

貫徹してどうにか任された仕事はこなしたものの、その後、体調の変化に悩まされ続け「重度の自律神経失調症」と診断されてしまいました。 それで田舎故郷に帰って来たのです。

帰ってきて、自信を持って仕事が出来るまでには6年ほど掛かりました。この間は、人生の中で最もつらい時期でした。最初のころは極度のノイローゼで、不体調の自分がいやでいやで、本当に死にたい気持ちでした。具体的に自殺の方法を描いていたほどです。

不健康になったのは、都会の環境と、言うまでもなく睡眠不足が一番の要因で「自律神経失調症」になってしまいました。今現在でも70パーセントくらいの回復状態でしょうか。 細かい症状を上げだしたらきりがありません。

今では、健康の元と言われている、自律神経を出来るだけ整えるよう心がけております。特に副交感神経の機能を高めるよう心がけています。

規則正しい生活、睡眠時間確保(熟睡)、飲食、運動、ヨガ、深呼吸、体を冷さない、・・等に気を配りで健康で元気な体。

精神面では、感謝の心、笑顔、余裕、何事もゆっくりと、前向きな考え、ストレス解消・・等で、ゆとりある豊かで強い精神状態。

こうして心掛けて努力していると、健康意識だけでなく「ゾーン・集中力」、極限近くまで高められる状態「研ぎ澄まされた感覚」を、作ることが出来るようにも、なって来たように感じます。

これからは何事にも余裕をもって、愚痴も言わず、弱音を吐かず、いつも笑顔で精一杯の努力を心がけ、自律神経を整えながら自身の免疫力治癒力を高めていき健康に生きていくとともに、「ゾーン」の状態を、少しでも増やして行きたいと思っております。

残された自分の人生を、健康で悔いないように、ゆっくり余裕を持って、精一杯頑張って生きて行きたいと思っております。


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2011/ 11/22 子育と教育「生き抜く力」をつけさせる

少子化が進む中で、これからの子育て教育というものを真剣に考えなければなりません。

言うまでも無く大人になった将来、その時代環境の中で「生き抜ける力」を、つけさせることが一番大切なことではないでしょうか。

礎となる健康(心身)は言うまでもありません。規則正しい生活習慣において、バランスの取れた食生活、早寝、早起き、朝ごはんを基本に、部活や自然の恵みの中でいっぱい動き遊び体力をつけさせましょう。部屋に閉じこもり、外に出ないでファミコンなどに夢中になっているようではいけません。

また、社会の中で生きていくには、コミュニケーション力は避けられません。自分一人で生きていくには、やはり限界があります。人間関係を支障なく接していく力も欠かせられません。

それには、相手の話をしっかり聞く姿勢、思いやる心、感謝の心、最低限のモラルを身に着けておく必要があるかと思います。それ故に自身が心豊かであり、また少々のストレスに負けない前向きな心と強い精神力も欠かせません。

生き抜くということは、知識と直観力や創造力などを働かせ、考え抜く力をつけることが大切かと思います。

知識、学力は、出来るだけ高上させ身につけさせるに越したことはありません。 しかし絶対的な必要性は個人差があります。

直観力をつけさせるには、いろいろな体験や自然の環境などで五感をフルに使い感性を培うしかありません。

また、創造力は、知識と直観力をもって、集中力を発揮し考え抜いて生まれるものかと思います。

集中力は、何事にも欠かせませんが簡単にはつきません。夢中になれる趣味などのように、時間も忘れるほど夢中になっていることから力がついてくるかと思います。

考え抜く力も、容易につくものではありません。粘り強く、我慢強く、信念をもって簡単にはあきらめないで考える力でしょうか。

こうしたことを、子どもとどのように向き合い関わり、躾、教育していくかが課題であります。親、学校、教師、行政、地域・・とそれぞれの役割があると同時に、それぞれが連携していく必要があります。

今の子どもたちに、将来においてその時代環境に柔軟に対応して生き抜ける力を付けさせることが、少子高齢化の未来の為に、一番大切なことであり、なにより今の親、教師、大人の大切な役割ではないでしょうか。

こどもを育てるということは自分たちの将来を託すためにも、真剣に考えて出来ることを真摯に行動していく責務が大人にはあります.


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2011/ 6/20 「子供と向き合う」

私の子供は、高一の娘、中二の娘、小六の息子の三人です。子供の躾、教育は難しいものです。

たまたま、今年度(23年)の、茅野市PTA連合会の会長を務めることとなりました。小学校9校、中学校4校の13校の連合会となります。子供が3人いる以上、そのうち何かのお役目をやる覚悟はありましたが、この大役を受けたときは、めぐり合わせというか、もう、しょうがないかなと、くじ引きの直前で覚悟をしお受けしました。

7年前でしょうか、茅野市17保育園の保護者会連合会の会長を経験させていただきました。この会長は、最初は不安でしたが意外と楽しかったです。仲間とともに有意義な活動が出来たと同時に、事業や懇親会などもとても楽しく仲間も増えました、「やってよかった」と思いました。終わるころには、少し寂しさも感じたものです。

この時の経験もあり、私自身を後押しされたと思います。PTA連合会長は保護者連合会長とちがい大変ではあるが、やるからには前向きにとらえ、一年間自分自身も親として、地域社会人として「教育」というものに出来るだけ向き合って勉強していき、それぞれの単Pの役員さんたちと共に、有意義で楽しいPTAにして行けたらいいな、と思っております。

子供は素直で純粋です。それ故に良かれ悪かれ吸収が早いものです。比べて大人は、今までの経験上での雑念や、偏見などを持っている為、心の奥底に響くものがないと、なかなか心が動きません。また、変わろうとしてもなかなか変われません。

人間は、生まれながらにしてそれぞれにすばらしい潜在能力を持っています。子供のうちにこの「潜在能力をいかに自覚させる」ことができるか、が 一番の課題かと思います。

自身も勉強しながら、子供にとって良きお手本となり、しっかり向き合っていき、いろいろな体験をさせて、自分の得意・好きなこと・・を見つけてもらいたいと願います。

子供が安心して、勉強・夢や希望・・を見つけ、目標に勇気を持って挑戦できる、環境づくりを育んでいくことが大切であると感じております。



以下は、私が茅野市連合会としての「テーマ」を考えた時の文章です

23年度茅野市PTA連合会 会長 太田 清人

  テーマ  「 絆 」 

    豊かな愛情で、簡単に壊れない強い親子・人間関係を作りましょう

  サブテーマ「 真っすぐに 子供と向き合おう 」 

     大人、親が良きお手本となり、真っ直ぐに子供たちと向き合っていきましょう

人生は、生まれてから死ぬまで勉強であり、成長であるように思います。子供は、大人に向かっての成長と自立の大切な時期であり、希望と不安とが交錯しながら成長していきます。

大切なことは、不安や疑問から目を背けない姿勢で、子供と一緒に、親や教師、大人たちがお手本となり、子供と「真っ直ぐに向き合って」安心して学び成長できる環境づくりを、育んでいくことでしょうか。

希望と勇気と笑顔をもって、子供という宝の原石を、まぶしいほどに温かく輝くおひさまのように、一緒に磨き育てていきましょう。


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2011/ 5/2 「絆 きずな」


自分だけの力で人生を生き抜けることの出来る人は、ごく少数であると思います。ましてや、家族や地域社会で見れば、不可能に近いことでしょう。

家族でみれば、一番大切なことは「絆」が強いことかと思います。

この「きずな」が大切だと聞きますが、言葉では簡単ですが、どのようにして絆を作りあげていけばよいのか、皆さん苦労しているのでしょう。

言い換えれば、簡単には壊れない信頼関係を築くことでしょうか。また、この信頼関係を作るかとも難しいことです。

時間を掛けながら、不安や疑問に背を向けない姿勢で、時には喜びを共有しながら、お互いにしっかりと逃げずに向き合って行くことにより、作られていくのでしょうか。

私自身がきちんと向き合って、人と接しているか自問してみますと、自信がありません。しかし、意識して努力はしているつもりではあります。子供に、家族、地域社会・・、仕事・・。

当然に大人にとって大切なことですが、子供も同じことです。

親や、教師、地域住人の方々の、暖かい愛情のもと、「安心できる環境のもとで」不安や疑問や壁などにぶつかった時に、乗り越えようとする勇気がもてるのでしょう。更には、夢に向かって、間単にあきらめず挑戦し続けることが出来る、安心できる環境が大切なのでしょう。

お互いに、逃げずに向き合い、時にはぶつかり、時には悲しみや喜びを分かち合うなど、相手を本気で思いやることでしょうか。

自分一人で抱え込まず、何でも話し相談できる人間関係を築くことで、きずな、が出来上がるのでしょうか。

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2010/ 12/2 「血縁者でなく喪主」


先日、80歳で亡くなられたお爺さんの喪主を務め、遺体の引き取りから、火葬、葬儀・・と全てを段取り、無事に終了することが出来ました。

私とおじいさんとの関係は、血縁者でなく友人です。実の子供2人や、実の兄弟が4人もいるのですが、血縁者の皆さんと仲が悪くていました。詳しく言えないそれぞれの事情があるようです。

亡くなる一ヶ月ほど前に入院していましたが、実の子供すら病院にきて「最後通告」してしまうほどでした。他者の方々を、見舞いにはくるものの、万が一「死亡時の面倒はみたくない・・」の時は、知りません、と主治医や相談員の前で言ったそです。

私とおじいさんは、友達というよりも、お父さん息子に近い気持ち関係でした。私の父は17年前に亡くなっておりますし、母も追いかけるように4年後に亡くなってしまいました。

こうしたこともあり、私はお爺さんの話し相手でいました。毎月一度は、私の事務所に来ては、3時間ほどたわいもない、話をしていくことが、楽しみだったように思います。

私には、気兼ねなくなんでも話が出来ていたようです。やはり、どこか寂しかったと思います。たわいもない話でも、私としてもけっこう面白かったです。

こんな関係でしたので、何かあった時は、私として出来るだけのことは、してあげていと思いながら接してきました。

入院していることを知った日から、毎日顔を出し様子をうかがいながら、いろいろな話しをしていました。

主治医からは「何時亡くなってもおかしくない状態です」とつげられていましたので。万が一のことも考え、お墓のこと、葬儀のこと、アパートや他の処理、最後の遺言書の作成・・などをお聞きしながらお爺さんの考えを確認していきました。

遺言書の内容は、確認していましたので、公証人に病室に来ていただき、作成する準備はしていたのですが、間に合わず突然亡くなってしまったのです。

容態が悪化した夜、主治医と相談員かたが、親族の誰かを呼びますか、と聞いたところ、首を振り「いいです」と返事をしたそうです。「太田さんを呼んでほしい・・後は太田さんに任せたい・・」このような言い方をして、亡くなっていったそうです。

翌朝、病院から、昨夜亡くなったことを知らされました。

慌てて、病院に駆けつけました。すると主治医や相談員の方から、死亡時にいたる経緯や、最後に「太田さんに・・・」と頼まれましたのでご、連絡させて頂きました。と言われました。

そこまで言われれば、私としても覚悟していましたので、「後のことは、私が責任を持って進めます」といって、お寺の住職さんや、葬儀屋と打ち合せをしながら、遺体の引き取りから、納棺、火葬、葬儀、・・と段取りをして、進めていきました。

葬儀が無事終わり、生家檀家の永代墓地に位牌と共に納骨ができました。後は49日の法要を済ませて、私のお役目は全て終わるものと思います。

私は、今回の経験で不思議なくらいに、気持ちが清々しくなったように感じております。

血縁者を責めるようなこともしたくはありませんし、かといって、自分を自慢するようなことでもありません。

なにより、友人のために自分として出来るだけのことを、してあげられたことに、満足しております。


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2010/ 7/27 「ポケットに穴」


林中を歩き回った後、ズボンのポケットに入れたはずの財布が無くなってしまった。ポケットには、空いたばかりの穴が開いていたのです。 もう 真っ青  財布の中には現金・運転免許証・銀行、他カード合わせ10枚ほど・・・他にも大切なものばかりです。

「ジバチ追いの準備中に、林の中で落としてしまったのです」 
梅雨も明け、ジバチ追い(すがり)時期になりました。仲間とジバチ会議を開催し、今年のジバチ追いの準備などの打ち合わせを。時期が時期ですのでビールを飲みながら(飲み過ぎて、次の日は二日酔い)少しの予定がしっかり飲んでしまったのです。翌朝6時二日酔いの中、ジバチの餌となる鳥のささ身を、打ち合わせした場所の林の中の15ヶ所に仕掛けました。林の中を歩き回り、一番よさそうな場所に仕掛けるのです。後は、仕掛けに蜂が来るのを待って、来たところで蜂を追いかけ、巣を探すのです。


失くしたことに気がついた瞬間 頭の中は蜂追いどころではありません。「蜂の巣探し」から「財布探し」モード一色になってしまいました。この日のうちに、林の中15ヶ所に仕掛けた林を、2回探しましたが、見つかりません。草の深い所も多く、「これは駄目かな」と覚悟しました。

翌朝5時に起きて、林の中を再度探しましたが、やはり見つかりません。最後のチャンスと考え、子供たちにもお願いして「見つかったら焼肉と小遣いをあげる」と言って一緒に探しました。

15ヶ所の林の、4ヶ所目の林を探していた時、「やった 見つけたぞ」と歓喜のおたけびが自然と出たのです。諦めかけた最後のチャンスで自分がみつけました。きっと子供らも一緒に探してくれていたこともあったと思います。重い思い気持ちから、やっと開放されました。

今回の教訓として、「飲みすぎ二日酔い、古着ズボンのポケット、林に財布は持っていかない、財布に大切なものを入れ過ぎない、間単に諦めない、大勢で探す・・・」。

開放され、やっと平常心を取り戻した時に、ふと 目を閉じてみました。

なんだか、「今の自分自身の気の緩み」の教訓のように思えてきました。最近、仕事にプライベート・・とストレスが積み重なって、少し疲れて来ていたのです。

今の自分自身のどこかのポケットに穴が開いていて、「大切ななにか」を、こぼし続けているか、落としてしまったのか、いずれではないかと。 きっとなにか大切なものを失いかけているように思います。

   「目を閉じて冷静になり、素直な気持ちになって、今の自分自身を見つめなおしてみます」


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2010/ 4/20 「坂本龍馬 」


明治の新しい時代の流れを作った、英雄とまでいわれている坂本龍馬のような人物が出てきて、今の迷走している日本を変えられないものでしょうか。今の政治家たちには、あまり期待はもてません。日本のどこかに必ずいるとおもいます。

私から見た、竜馬像を記します。

なに事にもとらわれることなく、世界感覚の視野で、人、国、世界のあるべき姿を見据えている。

知りたいこと聞きたいことなどは、場所や相手の地位などに関係なく、早々に出かけ確かめに行く。

見たこと、聞いたこと・・・・正しいと思ったことなどは、素直に受け入れ自分のものにしている。

自分の思想が、並外れた好奇心で自然とん成長し、そこから自由な発想を生み出している。 

今やらなければならないこと、したいこと等、思い立ったら直ぐに行動している。 

成し遂げなければならない、と思ったことは、とことん人力尽くして成し遂げようとする。

どんな局面でも、けっして諦めず、今ある知恵を搾り出し最善を尽くす。 


初対面でも、相手に受けいれられる不思議な人間味を持っている。 

無愛想者といはれているが、愛嬌ある子供のように純粋で素朴な人間である。

人に慕われる魅力を持っている。男にも女にも好かれる、英雄的な人物である。 

名誉や権力・・金銭などの欲、自己チュウ的なとこるが無く、逆に相手に「おいしいところ」を譲っている。

身だしなみなど自身の見た目の良さなどには、まったく無頓着である。 好きな女性の前では少々のおしゃれ。

強い志を持って駆け回っている激動中でも、遊び心をいつでも持ち合わせている。

命を重んじるなかで、自身の命は天命に任せている。


 「柔軟で自由な発想」「志と行動力」「誰からも愛される人間」・・こうしたことが超越していた人物であった。


龍馬は本当の意味で、天から与えられた「本物の自由人」だったのではないでしょうか。 ことをほぼ成し遂げた、誕生日である11月15日に暗殺されたのは、ただの偶然か、それとも天命っだったのでしょうか。 私も少しは龍馬を見習い、生きて行きたい思います。

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2010/ 3/23 「 考え抜いて 突き抜けろ 」 

自分は何のために生きてるのだろうか 自分 家族 先祖 神様・・?

私とは、何者で、何ができるのか・・・?

何のために働くのか お金 家族 精神 人生 使命・・?

愛とはどのよものか・・・?「お互いの問いに答えていく意欲」・・?

自由とは・・・?  「自己チュー」でなく 「自我」で判断できるか

信仰とは・・・?  絶対的宗教  自分を信じる「一人一人宗教・自分が教祖」

青春とはなにか 青年 精神的若さ 怖いもの知らず・・・?

老いや、死に、どう向き合って行けばいいのか・・? 「素直に受け入れる」・・?


 真面目に考えて 考えて 自分なりの考え方、生き方を見つけましょう

 考え抜いた先には、本当の自分が見えてくることでしょう。

 考え抜いて、人事を尽くせば、天命が見えるかもしれません

 一度の人生、惰性に流されず、真面目に考えながら自分探しをして行きましょう

 ※ 「後悔ごとや、答えの出せない悩みごとは、神経衰弱からうつ病になってしまいます。」

 ※ 「心身共に疲れているときは、考える前に自身のエネルギーを回復につとめましょう。」

      「悩み考え抜いて 突き抜けて 本当の自分をみつけ出しましょう」

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2009/ 12/7 「 きれいより、美しさを追求 」 

「綺麗」と「美しい」では、全然意味合いが違いますね。

部屋を綺麗にする、身だしなみを綺麗にする、文章を綺麗にする、家を綺麗に作る、化粧で綺麗にする・・。このように綺麗にすることは出来ても、これらを「美しくする」ことは、なかなか難しいかと思います。ましてや心を美しくすることが出来るのでしょうか。

人間には「悪」「善」・・「醜」「美」・・「欲」「無欲」・・など、少なからず必ず両方を持ち合わせています。

見かけで作れるものが「綺麗さ」であるなら、美しさはどのようにして作られ生まれるのでしょうか。

私には、よくわかりません。

 「きれい」は、人為的つくられ  「美しい」は、自然界の汚れの無い秩序正しさの中からから生まれるのでしょうか。

無能な私が解釈をするならば、美しさは、作ろうと思って作くれるのでなく、自然の力にまかせ、正しいことを、追求し続けて継続していくうちに、「自然に生まれてきたも」のが「美しい」かたちとなって、生まれ出来上がってくるように思います。

美しさや、他美しいと思えるものは、自然界のように純粋にして生まれて来ているのではないでしょうか。

人の心は、神様以外には、この域には到達できないでしょう。何事も心がけて、近づくことは可能かもしれませんが。

「綺麗な人」はいても、「美しい人」はなかなかいない。

「綺麗な心」と思われる人はいるかもしれませんが、「美しい心」と思われる人間が、この世の中にいるのでしょうか。

「綺麗な家」はあっても、「美しい家」も同様に、なかなかお目にかかれません。

私が求めて行きたいこは、「綺麗」でなく、「美しさ」を心がけ、少しでも「感じる」ことが出来、少しでも「実現」出来るようるように、自身を磨き上げて生きて行きたいものです。

「心を尽くし 己を尽くして行かなければなりません」


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 2009/ 8/13  「 私の存在 」                             

私は、今現在において、皆さんと共に奇跡的にこの世に存在し生きています。私が生まれ存在しているのに、いったどれだけのご先祖様が引き継いできてくれているのでしょうか?。

人間が存在して270万年程といわれています。一代の循環年数が27年とみると、父母・祖父母・・と10万代もの父母(20万人)により命が継がれて、こうして私が存在しているのです。

人間という動物を誰が誕生さてたのかは解りませんが、間違いなく今こうして、能力の優れた動物として、今この地球上に生きているのです。

   「人間の脳みその能力は、最大容量の3パーセントしか使っていない」

   「個人的には、潜在能力の17パーセント程しか使わず、死んでしまう」

   このように言われています。

と言うことは、健常者であれば、全ての人間は能力を平等に持ち合わせている。と言う事になります。

違いが出てくるのは、言うまでも無く「与えられた脳みそ・潜在能力を使い、引き出す努力を、する人、しない人」で個人差が出てしまうことでしょう。

何度も言いますが、「誰しもが先祖から平等に与えられた能力です」生かすも殺すも自分の普段の行い、努力次第で、どうにでもなれるのです。

先祖に感謝しながら、与えられた自分の力を磨き上げる努力をして、健康であり続け、眠っている潜在能力を引き出して、更なる力をつけなければなりません。 更には、また我々の命も引き継がせなければなりません。

   「生きるということは、義務であり、最低限の責務でもあります」

今日からお盆です。 よい機会ですので、自身の存在と、役割はなんであるのかを、ご先祖様に手を合わせながら、問い考えてみましょう。

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2009/ 6/9  「 人生の春夏秋冬 」

地球にはなぜ生物などが存在できるのでしょうか。この広い宇宙のどこかにも地球以上の生物や人間以上の知的な動物がいる星が存在することでしょう。

また、日本の季節をみると、南と北側で違うものの、四季である春夏秋冬がうまく循環しています。この循環もなんらかの意味があるものと感じます。

季節のおかげで、うまく環境は秩序正しくまわっているのでしょう。最近では温暖化のせいで多少狂い始めている、とも言われていますが。

人間を重ねてみてみると、同じようではないかなと思います。自然界に生かされている人間自身も、季節と同じで、人生においての波やサイクルが必ずあります。

体調、心理の喜怒哀楽、人生の中での出来事・・・・このように必ず、誰しもが避けることの出来ない、状況などが訪れます。

大小はありますが、状況の違いにどのように、対処するかが難しいところです。全てが順調な時もあります。しかし、たいがいは、何かで困り事が発生したり、ツマズイタリしてしまいます。

こうしたときに、なかなか変えられない時、どうにもならない時・・と、どのようにして、解決して乗り切るかが、難しいものです。

個人差もありますが、ほとんどの人間は弱いものです。自身のみで乗り越えられる人は強い人間です。が、やはり難しいものです。子供は特にそうです。

やはり、誰かが支えとなってくれないと、超えられないものです。それと、自然界の四季のように、時期が解決することもあるでしょう。これには、待つ忍耐強さが求められますが。これもまた、難しいですね。

人生における出来事を、四季のようにうまく対応できるようにしたいものです。いつまでも冬であることはありません。必ず春が訪れます。更には血が騒ぐような夏がきます。いつまでも元気のよい夏でもいられません。必ずつぎの実り多き季節が訪れ、子孫を残すための秋が訪れます。そして、一休みと言うか、次の準備期間である冬がやってきます。

人生における冬は辛いものが多くあります、ここをうまく乗り越えて、耐え忍び我慢もして春が来るのを待つことが求めれれます。自力で努力して迎えなければならない時もあります。

人生において、与えられた出来事や試練から逃げることは出来ません。人生を四季としてとらえて考えれば、そこから何らかのヒントを得て、何かあった時に、必ず乗り越えられると信じています。

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2009/ 3/8  「 危機は 基礎体力を厳しく試す 」

今は、抜け出す窓口の見えない不況下です。ここ10年の建設業での仕事は半分に減るなかで、その仕事に携わっている人たちは、85%(15パーセント減)にしか減っていません。

仕事が半分といっても、利益率は更に低いのです。利益率まで計算した仕事量は、4割を下ることでしょう。

ということは、倍以上もの就業者が多いことになってしまいます。今は、こうした厳しい中を、分け合っているというよりは皆で取り合っているのです。

住宅産業で言えば、2割ほど工事が減ってきています。大手ハウスメーカーはやはり力があります。研究力・コマーシャル・広告宣伝・・と、総合力があります。 その点、地元の工務店などは、その分も加わり大きくこの影響を受けています。

景気は、当分よくなるとは予測できません。今のままでは、地元の就業者は半分ちかく淘汰されることになってしまいます。

かといって、厳しい時代の中、簡単に転職など出来ません。全ての職種において同じ傾向にあるからです。

こうした激動の中を、生き残り、更には業績を伸ばすには、相当の知恵とエネルギーが試されることでしょう。厳しいのですが、避けられません

   「危機は基礎体力を試される」と聞きます。

今の政権も同じようです。

誰しもが、今(21年3月8日 時点)の麻生内閣では自民党は次期政権は取れないだろう「次期政権は民主党主動型の政権」になる、と思っていることでしょう。

そんなさなか、民主党の党首「小沢一郎」の献金疑惑にて、大きく揺れ動きだしてしまいました。

こうした時こそ、民主党は基礎体力を試されるのではないでしょうか。「本当に民主党で大丈夫か」?

疑惑をもたれている人を「党首」として、擁護し続ければ、国民は「やはり民主党でも駄目か」となってしまい。古い体制ではあるが、基礎体力のある自民党でしょうがないか。となってしまうかもしれません。

民主党の基礎体力・総合力が今、試されようとしています。

仕事につけ、政治につけ、なににつけ、・・危機に及んだときは、危機(風)に臨機応変に柔軟に対応できる力「基礎体力・総合力」が試されることでしょう。

その為にも、常 日頃「基礎体力・総合力」を磨き続けていなければなりません。

油断していると、「いざ」というときに適正な対応ができず、大変なことになります。

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2009/ 1/21  「人間は、自分で自分をいかようにも出来る」 

   「人間は自分を知らないから、心を尽くし、己を尽くさない」

   「人間は命を知らないから、一生を台無しにする」

天から与えられた使命を知り(知命)、自己の運命を確立する(立命)-----。 人間革命、自己維新の原理について、安岡正篤氏が解り易く説いた本「知命と立命」から学んだことを記します。

人は、生まれながらにして他人にはない性質と能力を必ず持っている。それをうまく引き出し磨けば、誰でも発揮することが出来るといいます。

人として生まれた以上、本当に自分を究め尽し、修練すれば自分をいかようにでもできると説いています。

こうして、自主性を深めていくと、創造性に到達し、自分で自分の命を生み、運を運ぶことが出来るようになる。つまり、自分で自分の運命を創造できるというのです。

本来人間は自己の自主性、自立性を練磨することによって発達する自己を通じて、世のため人のために尽くさなければならない。

立身出世のためにだけに生きるのではなく、「人間の本質的完成のために日々、鍛錬して生きていく」と説いています。

また、世の中のことを内外ともに解かろうと思うなら、「自分で自分に反える」ことが大切であると言っています。 現代人の最も深刻な問題の一つは、外ばかりに目と心を奪われてしまって、自分というもの、内面生活というものを見失いがちであると、指摘しています。

人は「たびたび自分を省みる」必要があると言われますが、「省」の字はもう一つ大切な意味「はぶく」という意味があります。

人間は放っておくと、色々のことを考え、色々なことをする。それは結局、精神を衰えさせることになるというのです。

そこで、良心・理性に沿って、こういうことを考えたり、したりしてはいけない、と反省、省みる。  言い換えれば、省くことだと言っています。

      「人間は、自分で自分をいかようにもできる」

      「自分で自分の運命を創造できる」

      全ては自分自身の日ごろのおこないの結果の現れのようです。

  少し難しいところもありますが、出来るだけ意識して生きて行くことにします。

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2009/ 1/12  「 力をつける 」  

世界的経済恐慌や自然環境の危機。 このした環境変化の今 自分のなすべきことは、いったい何なんでしょうか。

一番のかじ取り役の今の国会は、江戸時代末期の混乱とまで言われている状況です。明治維新のような大きな改革が近い内に起こるかと思います。その役割をはたすキーマンは誰なのでしょうか? 坂本竜馬のような風雲児がいないものでしょうか。

日本はあまりにも他人や外国、特にアメリカに振り回されているように感じます。昔から日本はこんなに弱かったのでしょうか、そんなはずはありません。 侍や勤勉などの精神の、真っ直ぐで熱い血が受け継がれてきいるはずです。

間違いなく日本の文化は優れています。それゆえに日本人は優れているはずです。 もっと自信を持たなければなりません。

今の情勢や自分を受けとめ見直し、本来の日本人固有の良さを取り戻すことが必要かと思います。個人や企業の個性や能力もさまざま、地域のや国の特性もさまざまです。

良いところを悪いところを自覚して、しっかりと省みて、今の時代にあった力を磨き上げる努力が必要です。

  「」  今の激動の時代を生き残るキーワードは、力、と考えています。

 他人にない独自の個性や能力を伸ばす「力」  先祖からいただいた潜在能力を取り戻す「力」

人間力・社会力・地域力・・・力。 とそれぞれの力を伸ばしていくことが大切だと思います。

原点に返り、命の恵みに感謝しながら、豊かな自然を取り戻す中で、日本人本来の底力を発揮しましょう。

正しいことに「力」をつけていければ、この環境変化の時代に適応して、生き残れることでしょう。

継続し続ければ、新たな発見もでき 独自の個性を伸ばし、更に元気になっていけることでしょう。

 「力」 本来の自分の底力をつける(取り戻す)ことが出来れば、この激動の時代を乗り切れると信じています。

        

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2008/ 11/5  「 生きる力 」 

   人生をあまり意識しないで、駆け抜けている人。   地道な努力を意識して貫いている人。

   自欲のままなにげなく生きている人。    生ていることに、なんの意味も感じていない人。

人間は宇宙、地球での生命の一つでしかありません。この私も、先祖から受け継がれて、今を生きているのです。たまたま 偶然 奇跡的 ・・・ どのようにとらえればよいのでしょうか。

こうして、せっかく生きているのですから、自身に潜在的に備わっている能力を出来るだけ発揮してみたいものです。また人生を出来る限り充実させてみたいとも思っています。

しかし 言うは安しで、なかなか実行出来ないのが現実です。人間は生まれながらにして、平等に能力は持っているはずですが、上手に引き出し、活かせている人は限られているような気がします。

上手に潜在能力を引き出し生きている人をみると、二通りのタイプがあるように思います。

意識しないで、好きなことや、やりたい・・と思ったことを、無心に無我夢中でやっているうちに、誰もかなわない結果をだしている人。

地道な勉強を積んで、さらに地道な努力を積んで、目標を定め日々継続した努力して結果をだしている人。

私がもし出来るとしたら、前者のタイプだと感じています。「自身がこれをやりたい」と思ったことを、無心にやり遂げる。ことかげ出来ればと思います。

しかしながら、私自身は精神的に、肉体的に「元気」「弱気」とむらがあります。

「弱気」の様な時には、何事にも消極的になり、マイナス思考になってしまいます。何か エネルギーがほしいと、いつも思ってしまいます。いまのところ、特効薬はありません。

「手紙」の詩では、「自分を信じて歩けば・・」とありますが、これがまた難しいのです。簡単に出来れば、すべての人が救われるのですが。

「生きている」、というだけでなく、「生きる力を」つけることが大切に思います。

良い流れに乗っている方は、走り続けていけばよいのでしょう。

そうでない方は、今の自分を自覚し受け入れて、生きる力を見つけだすことが大切なのでしょうか。

     「生きる力」=「気力」?

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2008/ 6/20  「親父と一緒に植林して育てた木でつくる我が家」 

僕が9歳のころ、親父と一緒に大泉山の実家の林を間伐整備して、唐松を植林しました。今でもよく覚えています。

それから40年が経過しましたが、親父は専業農家で忙しく、山の手入れはほとんどしていませんでした。親父もなくなって15年がたちましたが、その後も間伐も全々してなく、荒れた山となっています。

根元で30センチを超える唐松は25本ほどしかありません。手入れをしていないため、赤松やナラの木が唐松の生長より強く大きく育っている状態です。その分、植林された唐松はやせ細り、枯れてしまった木が多いです。

南西側の日当たりの良い斜面では、唐松に変わってナラ林に変わってしまいました。最初は不思議に思ったものです。唐松を植樹したのに、なぜナラ林に変わったのだろうかと。

専門家に現場に来てもらい聞いたところ、「唐松を植樹するときは、ナラの木などの雑木を全て伐採整備して植樹したのだが、その後間伐など手入れをしなかったため、伐採れたナラ木のカブの周りから、新たな芽が出てそのまま成長してしまい、植樹された唐松より生命力、成長力が強いため、自然と元の自生していたナラ林になったのだと」。

  そう言われてよく見ると、ナラの木は根元で、二股や三股に分かれて育っている木が多くありました。

話は少しそれましたが、根元で30センチを超える唐松23本程と、赤松数本と太いサワラ木を昨年の2月に伐採しました。

今建設中の自宅に使いたかったのです。40年程の唐松では、良材とはならないとは思いましたが、親父と一緒に植樹して育った木です、親父も喜んでくれるかもしれませんし、思い入れの木として私自身が使いたかったのです。

伐採は昨年19年2月に私も一緒に行いました。その後丸太から太鼓落としにして1年3ヶ月間自然乾燥をさせました。木材の使用箇所は、桁や梁材を最初に製材し、残った木は垂木に、さらに残った木は野地板に、さらに、さらに残った端材は、焚き付けようの材となり、全てが有効に使われました。サワラの木は、板材にして壁の仕上げ材として使用します。

木材費用はよけいに掛かります。40万円の県産材使用の補助金をいただいても、伐採や搬出費用はよけいに掛かります。良材でもないけれど、構造的には何の問題も有りません、少しねじれたり、ヤニが出てしまうのは仕方がありません。

自分の家です、構造的に問題なければ多少の不具合はいいのです。

家庭菜園で作った、有機野菜づくりと同じで、「親父と自分で植えて育てた木を使った家」となり、安心感と温もりがもてる家となるのではないでしょうか。他の仕上げ材も自然素材を使用しています。

   こうした家づくりが、本来の環境や家族に優しく、寿命の長い健康な家となると感じています。

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2008/ 6/4  「山の手入れ間伐で薪材を確保」 

6月1日に家族皆でお昼ご飯を持って、実家の山の手入れを兼ね、薪ストーブ用の薪材を調達しに行って来ました。

今建設中の我が家の暖房は、補助暖房なしの薪ストーブしか考えていません。出来るだけ工夫して各部屋に熱が伝わるようには考えてあります。が、正直言って心配しています。「本当に大丈夫かなと」 ある知人の専門家は「それは無謀だ」などと言っています。

自称、縄文人と称している以上は、自ら模範生として環境にやさしい健康な生活をしていかねばと考えています。少し寒いくらいの時は、一枚よけいに着ていればと考えています。

薪ストーブを暖房と考えている以上は、薪材も出来るだけ購入などせず、自身の手において環境整備しながらの調達を考えて、実家の山の整備を兼ね調達することにしました。

チェンソー、ナタ、ノコギリを用意し子供たちと朝から実家の山(大泉山)に入りました。

まずは、ナラや他の雑木の間伐から始めました。伐採時は危ないので子供たちや我が家の愛犬は遠くへ避難。直径30センチ〜15センチ程の木をチェンソーにて伐採。倒れる時のバリバリという音に皆(特に犬)はビックリ。その後は枝払い。ここからは、皆にも手伝っていただきました。枝の片付け、小枝との仕分け。

私は、倒した木を50センチ程の長さで、玉切りです。玉切りといってもけっこう重いです。中学に上がった娘は、驚いたことにどんどん運んでくれました。細い丸太は2・3本を抱えて。  この姿には、感心以上に驚き物でした。小3年の息子は、真似をするのですが・・?

新緑の里山の森林でのお昼ご飯は、やはり美味しかったです。そのご暗くなる寸前まで、作業をつづけました。子供たちはぼちぼちと、私は夢中で作業をしていたので、体はクタクタ・ガタガタになってしまいました。翌日は筋肉痛で大変でした。

今回の自らの間伐による薪材確保経験の率直感想は「大変」の一言です。

しかし、「自然と向き合って生きていくということは、こうしたことを言うのかな」とも感じます。あまり無理しない中で、また許す時間と体力で子供たちと共に続けて行きたいと思っています。 

まだまだ薪割り作業もあります。これも機械を使わず出来るだけ薪割り斧にて頑張るつもりです。 いずれは、頼もしい?息子に頑張ってもらうつもりなのですが。    大変ではありますが、来る冬の暖房エネルギー確保の為に頑張ります。

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2008/ 5/8  「食べすぎは病気のもと」 食べない健康法?

縄文人は言うまでもなく近くで取れる食材で自給自足でした。いまほどいろいろなものは食べられなかったことでしょう。しかし、限られた食材で健康でいられたのです。今ほど長生きも出来なかったことは確かです。

現代人は、美味しい・安い・・となんでも食べています。中には、遺伝子改良・農薬漬け・加工食材・・輸入食材・・と、不透明な食材は限りがありません。

間違いなく、身体に悪影響を与えている食材を皆さん、少なからず食しているが現状です。20年前に比べれと、お医者さんの数は3割も増えたそうです。高齢化ということもあるかとは思いますが。

お医者さん達が、「健康」について、いろいろな本を出し情報を出しています。私も一度、健康を大きく害してしまったこともあり、こうしたたぐいの本を読んでいます。

基本的に、食べすぎ・揚げ物・・は控えるように、とは同じですが、著者それぞれ考え方が違っています。 ある先生は、「健康の為に一日2リットルは水を飲みなさい・・」。

ある先生「食べない健康法・著者は石原結寛」は、必要以上水分は取らない方がよい「のどが渇いたときや、朝起きたときなどは水分を補給するていど」。水分の取り過ぎは、体を冷やしてしまうから、返ってよくない。

体温が一度下がると、免疫力は30パーセント以上減少し、体温が1度上がると免疫力は5〜6倍増える言っています。10時や3時などに、生姜と黒糖やハチミツを入れた紅茶や、入浴をすすめています。

また、この先生は、「一日一食で十分」と言っています。

その理由は「そもそも、体の免疫力高める、白血球は、お腹が満腹の時には、増殖しない仕組みになっており、お腹がすいたときに、増殖する。

また風邪などひいて熱が出る時などは、ウイルスなどをやっつける為に、熱を出し白血球を増やし自然治癒力を高め、でウイルスをやっつけて健康な体に戻すのだ言われています。

熱が出たとに、安易に西洋医学の薬で熱を強引に熱を下げ過ぎると、ウイルスが残り脳に障害がでてしまうことがある、というお話はよく聞きます。 納得できます。 一時的に体温が40度になっても、大丈夫だそうです。

要するに、観葉植物と同じで、肥料や水をやりすぎると、根が張らずに、かえって枯れてしまうことと、同じ理屈のように感じます。

お腹が空いたときに、白血球が増殖する。と聞くと、なんとなく解かるようで、本当に?と思ってしまいます。 それなら、栄養のバランスはどうなのかな?・・と疑問も出てきます。

よく解からないのですが、私し流で食事方法や健康を考えようと思っています。

朝は食欲も無いのに(昨夜の食べたものが残っている場合は特に)、無理して食べない、野菜ジュース(にんじん・りんご・・)などで水分補給ていど。

お昼は、そば(健康食)程度の軽い食事か、朝と同じで野菜ジュース

夜ご飯は何でも、腹八分目(出来るだけバランスよく何でも食べる)、もちろんお酒も

  健康の秘訣   「食べ過ぎない」 ・・食生活の習慣づくり

             「体を冷やさない」 「運動」 「ストレス解消」

             「仕事・趣味を夢中で楽しむ」

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2008/ 2/ 27  「僕の前には道は無い 僕の後ろに道は出来る

    縄文人の知恵を入れた、理想の田舎暮らしの里村を作る

夢、理想を追求することは、大変難しい。ましてや前例が無いことをしようとする時は壮大なエネルギーが必要となってしまいます。

私は今、自分の生まれ育った環境の地に、「縄文人の里村づくり(上の原)」の計画をして、実現して行こうと進めています。

八ヶ岳山ろくの豊かな自然に恵まれた、衰退化しつつあるのどかな田舎集落に、「田舎暮らしをしたい」と希望している方々に、来ていただけるよう整備し、景観や環境保全を協定を定めて、元気で持続可能できる文化集落をつくり、後世に引き継いでいけるように計画し進めています。

35件ほどの集落ですが、少子高齢化が急速で進み衰退化していおり、田畑の担い手もほとんどありません。農地の半分以上が遊休田畑となって荒れています。 数年後には更に進んでしまいます。

行政では、「戦後からの農地を、いまだに守り活性化させてください」と、言い続けています。戦後からの農業者(労働力)は1/5以下です。 労働者は1/10といわれています。 ここ10年をみても3割減っています。

80歳を超えた老人が、耕作できない農地土手の草刈を、真夏に腰を曲げながらやっているのが現状です。この姿をみてどのように思うのでしょうか。

行政として、現状をよく把握していただき、今の時代にあったもので、人口増加、環境保全、景観形成、荒れた農地を検証し活性化・・と具体策を考え対策を講じなければなりません。 日本の自供自足率が4割以下をどうにか高めたいのと最近よく話題になっていますが、荒れた農地の抜本的な対応とはなりません。

「補助金政策」「営農組織」「農業(株)の設立」「貸地で管理」・・・・とありますが、どれも長期定期視野で考えると難しい。

農地法の問題もあり、荒れた農地の環境整備が簡単に出来ません。わたしは、この耕作できない荒れた土地を整備して「集落の活性化」「環境保全」「荒れた農地の耕作」ができるように、また、田舎暮らしを是非したいと希望している方々の為に、なにより八ヶ岳山ろくの恵まれた自然を守るために、里村計画をどうにか実現させたいと頑張っています。

計画についての詳細は、私のHPの「縄文人の里村づくり」をご覧頂きたいと思います。 行政は、原則では問題がある  前例が無い、・・・と私の計画を、真剣に検討しようともしてくれません。

正直いって「頭にきてしまいます」。原則論でなく、本則論、憲法の一条に、「国民の生命財産を守る」とあります。今の行政指導では、時代遅れで現況に即していません、このままでは、「担い手がなくなり農地は荒れ放題」「集落は衰退化促進」「残された林が伐採されスプロール的な住宅建設化」「のどかな田舎集落としての景観や、田園、里山や八ヶ岳山ろくの恵まれた環境の崩壊」・・・このように、いいことは一つもありません。 もしこのようになった時にも、行政としては責任はとってくれません。

この私の計画は、集落の区会や住人には、説明し理解を得られてきています。もちろんまだまだ意見をお聞きして、よりよい村づくりが形成されるよう詰めて行かなければなりません。

誰もやらないことではありますが、私はこの計画が、今の「地域の問題解決」を全て満たしていると考え、くじけず頑張ろうと思っています。 

私は、生まれ育った集落の環境を守り活性化させるために、一大決心して、事務所兼自宅をこの計画地に建設を進めています。私の残りの人生の集大成として、悔いのないように、くじけず頑張ってみます。

  揺るがぬ強い志で、あきらめず信念を貫きとうすことが出来れば計画は実現するでしょう。

   「僕の前には道は無い 僕の後ろに道は出来るこの格言を信じて頑張ってみたいです

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2007/ 12/ 15  「子供はなによりの宝

人間は生まれて、死を迎えるまでの約80年の間にどんなことが出来るのでしょうか。普段の行いや考え方次第で大きく違ってしまうことでしょう。

潜在能力を平等に与えられ生まれてきた子供らは、育つ環境で大きく影響して、良くも悪くも育ち大人になってしまいます

宝石でたとえるなら、子供らはまだ「磨がかれていない宝石の原石」といって間違いないでしょう。

自身で磨き上げることができる子供は限られています。やはり親や先生、接する身近な大人が協力して、原石を磨き上げられる努力する必要があります。こうしたことが親、大人の役割であると感じています。

解かっているのですが、どうやって磨けばよいのかが難しいのです。

勉強しろ・これしなさい・・・などと口うるさく言っても・・・・・?

子供はそれぞれ違った形で、必ず持っている(宝石の原石)潜在能力を、いかに引き出してやり自覚させてやるかだと思います。

「なにかのきっかけ」で、興味を持って自主的に追求し始めることが出来れば、理想的かと思います。

「なにかのきっかけ」ここがポイントのようです。

柔軟で素直な子供たちに「偏見」や「食わず嫌い的な固定観念」をもたせず、いろいろなことを、体験、経験などをさせて、「これ面白い」「もっとやってみたい」・・という気持ちを自主的に感じてもらうことが大切です。こうした思いや興味の「芽」が生まれて、続けることで更に「成長」して大きくなり「自身の得意分野」が築きあるのではないでしょう。

自身の得意分野は自信となり、さらに未知なる自己の潜在能力を引き出し、自信を限りなく高めて行けることでしょう。

子供「宝石の原石」を、親・先生・身近な大人たちが、一緒に磨き上げてあげましょう。

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2007/ 11/ 2 「人間の使命は地球を守ること

人間の母なる大地(地球)を病気にしてはなりません。本来の人間の役割は、地球をいつまでも健康で元気で長生きさせる為に有るのではないでしょうか。それ故に我々人間も健康で元気でいられるのです。

今年のきのこの出来ぐあいは、9月の猛暑もあり全体に不作でした。特に松茸は不作で、私は親指ほどの松茸を5本程しか採れませんでした。後半にできるクリタケは平年並みに取れましたが、ジコボウも不作年でした。きのこの出来具合は気象や天候で決まってしまいます。

昨今は温暖化が進み自然界のあらゆる所で、異常な現象が発生しています。地球環境にとって大きな影響を受けています。温暖化をはじめとする異常気象が多発し、平年に比べ温度が上昇してきています。気温の上昇にともない、海水面の温度が上昇、台風の発生・豪雨・・・とうの異常さで自然災害の多発で人命をも奪っています。その他自然界の恵みである魚や野菜への影響も出ています。

茸は、当たり前ではありますが、平年どうりの気象条件で、当たり前のように出るのです。自然界の生命は全て秩序どうりのサイクルで今まで受け継がれてきているはずです。自然界は正直ものです。人間はその点どうでしょうか?

自然の秩序を壊しているのが、人間です。生命を作ってくれた(神様)に、なんと申し訳をすればよいのでしょうか。人間は、自分たちの快楽など自分勝手の為に、環境破壊の要因を限りなく作り出しているのです。

自然災害の異常さなどは、地球が人間に、危機感を教えているのでしょう。間違いなく警告です。

人間も、病気になります。特に風邪は誰しも経験がるとおもいますが、こうした病気は身体へのなんらかの信号であるはずです。自然災害などもおなじで、地球が人間に信号(警告)を出しているのでしょう。災害に嘆くだけでなく、警告ととらえ原因を真摯に考えなければなりません。

これ以上人間が自分勝手で、地球の病気を悪化させてしまったら、我々の存在はいつしか無くなってしまうでしょう。我々のみならず、他の生命も奪うことになっていまいます。神様は地球を崩壊させる為に、人間を作り出したはずがありません。本来の与えられた役割があるはずです。

私は、神様が人間に与えた役割は、地球がより健康で元気で長生させる為に作り出していただいたように思います。

今の生存に感謝・先祖に感謝・そして子孫に、少しでも健康で元気な地球をバトンタッチさせるのが我々人間の役割であるはずです。それ故に他の生命以上に(?)能力があるのではないでしょうか。与えられた能力を悪いほうに使ってはいけないのです。

  我々の母である「大地」地球を健康にして行くことが、人間の健康でもあり、役割のように感じています。

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2007/ 8/ 11 「カブトムシ捕りのついでに松茸二本

子供たちは今夏休み。勉強もせず毎日家でごろごろしているようです。真夏ではありますが出来るだけ外で、それも自然の中で遊んでもらいたいと思っています。が、なかなか子供たちだけでは、出来ないようです。日曜日には出来るだけ自然の恵みの中で一緒に遊ぶようにしています。

7月は近くの川で魚釣り、まずは隣の畑で餌になるミミズ捕りからです。息子は平気ですが4,6年の娘は嫌がっていました。さあ出発。6年生の娘は、もう少しというところでアマゴを釣り落としてしまいました。私はアマゴを3匹ゲット。息子はぜんぜんです。これから興味を持ってくれれば思っています。

8月近くになって、カブトムシ(クワガタも含め)捕りです。日中はコクワガタくらいしか捕れません。夕方から夜に掛けて活発に活動しているので、この時間帯を狙って、樹液を出している木も見つけておいて、様子を見に行くのです。

最初はコクワガタばっかり、次にカブトムシ、そしてミヤマクワガタさらにはノコギリクワガタを捕えることができました。カブトムシが一度に3匹とれたこともありました。家の3つある虫かごには、もう入りきれません。これで捕りにいくのはやめています。

今年は8月の初めまでまとまった雨が降っていました。なが梅雨のときには、松茸が出るときがあります。「土用松茸」といっています。気になっていましたので、カブトムシ捕りのついでに、子供もつれて様子を見に行ってみました。

すると、落ち葉に隠された表土が、モッコリと上がっているところを発見しました。少しドキドキしながら、子供と一緒に「これは松茸でありますように」と手を合わせ祈りました。そして、そーっと、盛り上がっている表土を取ってみました。

すると「やったー 松茸だー」、と喜びながら慎重に掘り出しました。立派な松茸を収穫できました。その後、もう一本採れました。松茸ご飯とお吸い物で美味しくいただきました。 8月15日に行われる、諏訪湖花火大会の観賞時ように、松茸酒も作りました。

カブトムシたちは、盆過ぎにはまた山に返してあげます。今は夏真っ盛り、もうじきに秋の風が吹き始めます。いよいよ実り本番の季節となります。自然の恵みに感謝しながら実りの季節を楽しんで行きたいと思っています。

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2007/ 7/ 9 趣味は健康のバロメーターの鍵」

「趣味(好きで打ち込めること)は、精神的疲労(ストレス)回復の特効薬です」

私の子供のころは、プロフィールにもありますように勉強こそしなかったけれど、自然の恵みのなかでの遊びは、半端でないほど徹底して遊んでいました。朝は誰よりも早く、夕方は暗くなるまで。カブト虫捕り(木登りは誰にも負けなかった)、山菜採り、キノコとり、ジバチ捕り、魚釣り、・・・上げ切れないほどです。

今でも、カブト虫捕り以外は、時間の許す中で少々ですが、趣味として行っております。ゴルフも一時はのめりこみましたが、最近では年に1回ほどしかコースに出ていません。しかし、毎日あたまのどこかにゴルフがいます。毎日の中で、時々気分転換に姿見などに向かって、素振りなどでフォームチェックはしています。

仕事やお付き合いなどで精神的に疲れたときなどは、こうしたことを思い出したり、思い切って出かけて上記のことをしています。あまり時間はとれませんが。

体調が悪い、弱ったときは、体のどこかに隙間が出来てしまい、そこから「邪気」が入り込んでいる感じです。元気が出なく、精神的に不安で弱気になってしまいます。我慢してズルズル仕事していても、いい仕事になりません。

私は、今の仕事も好きでやっているつもりですが、きれい事だけでも仕事は出来ません。やはり人間として、人間関係やいろいろなお役目もあったりするなかで、疲れるときは、ヘトヘトになるときがあります。疲れたときに、考え事をしているとよけいに、不安や迷いが増して、気落ちしてどんどん消極的になってしまいます。よってろくな結果を出すことは出来ません。よけいにひどくなっていきます。かといって、少し目を閉じて休んでいるくらいでは回復もできません。 

かといって、こうした精神状態のときに、渡辺淳一、著者の「鈍感力」を読んでも回復しません。 こうした本は、元気なときに読むほうが、説得力を感じます。この本はとてもいいことを書いてありますが、実践はやはり個々の問題、心がけのように思います。

やはり、精神的な疲れなどを上手に取り去り、少しでも早く元気に復活させてくれるのが、好きなことである「趣味」です。好きなことに気分を切り替え、気持ちをうちこみ「集中」して趣味を行っていると、不安や邪気などが、少しづつ何処かに行ってしまう感じです。

人生は長いです、元気なとき、そうでないときがあります。でも限られた人生ですので、出来るだけ心身ともに元気で、意欲てきに頑張りたいものです。

 趣味は、人生の健康のバロメ-ターの鍵なのではないでしょうか。

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2007/ 5/ 11 エネルギーある生きた食材で健康」

生命は、全て何かを食べて生きています。生きていくということは、そのためのエネルギーが必要だということになります。しかし、食べられる物はなんでも良いとは限りません。生物はそれなりの秩序ある必要な栄養を頂きながら皆生きてきています。動物、人間は生きている食材を食べて、生きていけるのです。

人間はその秩序ある生命を経済発展や自己都合で壊してしまい、貴重な生物を沢山絶滅させてしまいました。今後もつづいて行くことでしょう。我々人間をみても同じようなことが、起きている現実に今の人間は気がついていないように思います。

怖いのは、中国です、貧富の差が激しい中で、「なんでもあり」で急成長していきます。農薬ずけ、汚染、CO2拡大・・環境破壊をはじめ、こうしたことを誰が止められるのでしょうか。地球破壊にブレーキが掛けられません。

すき嫌いが多い上に、農薬漬けの食べ物、添加物をふんだんに使った食べ物。またスナック菓しなどの食べ過ぎ、・・・・こうした食生活では、健康に生きられないように思います。手軽な食材、特にレトルト食品などを、常時子供に食べさせていたのでは、心配であります。

人間が元気で健康に生きて行くには、言うまでもなく「良質でエネルギーある生きた食材を食べる」ことかと思います。
例えば、果樹100%濃縮還元ジュースがあります。果樹100%ときくととても身体に良いようにとれますが、濃縮還元ジュースとは、一度熱を加え濃縮します。熱を加えることに、栄養(エネルギー)として一番大切な「酵素」が、皆分解してしまい無くなっているのです。出来るだけ新鮮なものを、酸化するまえに食すことが大切なはずです。

ましてや、農薬漬けの食べ物や、添加物の多い食材、また今問題となっているひき肉などの、加工食材は信用できません、安心して食べられないのが現状です。間違いなく身体に少しづづ悪影響を与えているはずです。出来るだけ避けたいものですが、かといって全てこうした心配の無い食材を探すことも、たしかに大変なことです。というより無理に近いですが、気をつけることは出来ます。

私が言いたいことは、健康に生きたいのであれば、「生きた良質のエネルギーを食べる」こうした考え方をもっと真剣に考えて少しでも実践していくことかと思います。もちろん私とて同じことです。

生きているのですから、悪い間違った食生活で病気などにならず、食事にもっと気をつけると同時に、ストレスなどにも気を付け「出来るだけ健康」で与えれた人生を元気で楽しく生きたいですね。 もちろん、美味しいものを安心して食べたいものです。



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2007/ 3/ 12 大自然のなかで生かされている私達」

地球が誕生して約42億年、生命が誕生して約35億年、人間が誕生して270万年と言われています。

では、私が今生きているのに両親、祖父母またその親と270万年の間を計算すると、約10万の代の父母があり、受け継がれた命ということになります。父と母を合わせて20万人の先祖があり、いまこうして人生として生きているのです。

想像するだけでも、気の遠くなる数字であると同時に、この20万人の先祖に感謝しなければなりません。

一人でも欠けていたら、私は今ここにはいないのです。

先祖に感謝するとどうじに、更にはその先の自然界などの生命に、更には地球に感謝ということでしょうか。

改めて考えさせられること

・ 自分に与えられた人生を、きちんとまっとうすること。

・ 私は地球の自然から与えられたもの(酸素・水・食べ物・・)で生かされている。

・ 先祖や、自然、地球に感謝 本当にありがとう。

・ 自身の利益優先でなく、我々の先祖である地球自然環境を破壊することなく守ること。

・ 子孫への担い手として、しなければならないことをする。

他にもいろいろあるかと思いますが、こうしたことを意識しながら、私に与えれられた役割をきちんと果して人生を送り、未来の子供達の為にも自然環境を破壊することなく、バトンタッチして行かなければと改めて感じております。

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2006/ 1/ 7 「情緒」「心」を大切に

日本は島国であり、外国からの強い影響も少なく、独自の文化が育まれて来ました。衣・食・住でみると特に解りやすいと思います。

忘れてはいけないものは、こうした見えるものだけでなく「日本人の心」の豊かさが特に、優れているように思います。良くも悪くも「情緒」と言う、日本人特有のものがあります。情緒とは、とてもあいまいな言葉であり、上手く説明はできませんが、私は大切に考え大事にして行きたいと思っています。

欧米社会では、何事も論理的で、合理的な考えで物事が決められています。それ故に、自己主張も強くトラブル等は、すぐに弁護士に依頼して解決しています。人口の割合で計算すると、日本の20倍の弁護士がいます。

論理的な解決だけでは、必ずしも正しい結果は出せないと思います。例えば、手づくりの美味しい料理を、どの様に論理的に表現出来るでしょうか。10人10色で、明確な説明など出来ないと思います。美しいもの、感動したこと・・こうしたことなどは、よけいにうまく説明出来ないかと思います。

心のなかで「う〜ん、おいしい」とか「なんとなく心が温まる」とか「生きていて本当によかった」・・等、心の内で「いいと思える感動」で感じとれるのではないでしょうか。

日本では、生け花、お茶、にしても「その道」を美的に作り上げています。こうしたことは、世界中をみても珍しいと思います。

こうしたなかに、「日本人の心・情緒」の根源があるように思います。

「お人よし」「優柔不断」・・と悪い様にも言われますが、その奥には、大切な意味があることを感じます。

これからは、お金も大切ではありますが、それ以上に「心の豊かさ」が問われる時代に、なっていくものだと考えます。

他人の痛み・喜びを素直に解り、認められる自分でありたいと思います。その上で、自分の先祖から授かった命を大切に考える事により、秘められた自分の能力を発見して、頑張らなければならない、と思っています。

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2005/ 11/22  「家づくりは、住む人の生き方の現れ」

建てられた家で家族は育つ

そこに新しく建てられた家には、どの様な家族が暮らしているのだろうか・・。? 怖いもので、「建てられた家は、そこで暮らす、家族、人々の考え方、人柄や生き方などが写し出されている」といわれています。それ故に、家族が暮らしていく大切な城として、できるだけ考えて下さい。安全性もちろんのこと「自然環境、周囲との調和」「魅力ある室内空間」「使用建材の自然素材化」「外観の形や色」・・。 こうしたことを出来るだけ考えられた家は、家族、子供が豊かで元気に育つと言われています。また近所の方からも、そのように見られていると思います。勉強不足の自分勝手な家づくりは、その逆で危険でもあります。

私は家づくりの最初の相談窓口

では実際に、「家族が育つような魅力ある家づくり」をどのようにして、実現させればよいのか?。「住宅展示場の家」のどこがいいのか、「建築会社」はどうか、「建築家による」誰にお願いすればいいのか。それぞれに、正しい判断で選ぶのは難しいと思います。そこで私は、自身も設計士でもありますが「家づくりの最初の相談窓口が是非とも必要だ」と考え、「住環境コンサルティング」として最初の相談窓口をつくりました。専門家として、「夢であり、大金をつかい、家族を守り育てられる」家づくりを、どのように、どのような仕組みで、誰にお願いすれば良いのか、をお施主さんに、最もふさわしいと考えられる、家づくりの進め方を提案しています。

例えば、建築家に設計をお願いするとき、技術も能力もあり、そのうえ相性の合いそうな建築家探すのは大変なことです。こうしたとき、仕事に対しても誇りと熱意をも持った信頼できる建築家を紹介して、一緒に進めて行きます。

その道の信頼出来る専門家を探す

なにごともそうでしょうが、専門的な事を判断して決める時、自分で勉強するには限度があります。一番ほしいものは、本当に信頼出来る窓口ではないでしょうか。そこに行けば、自分らの考え、夢を安心して実現してくれる。こんな窓口が是非ほしいものです。私は「家づくりで本当に信頼して相談できる窓口」を目指しています。それ故に私自身が信頼していただける人、立場でなければなりません。

「宅地探し」..専門家として徹底した調査をしながら一緒に探してます。「設計士の紹介」・「施工者の選定・特に信頼出来る大工さん」..信頼で来る「家づくりネットワーク」を、日々築き磨き上げています。「適性な工事費用の算出」「工事管理」・・。こうしたことを個々に、またトータルでコーディネイトして、思い描いている家づくりを、専門家としてアドバイスしながら安心して実現できるようにお手伝いしています。

私の役割は、大変重要であります。一緒になって、時には家づくりの代理人役となります。それだけに責任が思いです。そこには夢、多額の財産、家族の成長を守る、責務があるからです。

100年もつ家づくりで先祖に感謝

大金を掛け、家族が育つ家づくりであれば、100年は充分に暮らせます。今でも、3代、4代と手を加えながら受け継がれ住みつづけている家が沢山あります。御先祖様が、丈夫でしっかりと考えられた家であったからです。木材は、地元の環境で育った木を使い、大工さんにしても皆、仕事に熱意と誇りをもっていたはずです。家は商品のよに、消耗品ではありません。建てられた後も、育て引き継いでいくべきだと考えます。日本の伝統木造住宅は世界的に見ても最も優れていると言われています。「じいちゃん、ばあちゃんはいい家を造ってくれた、だからこの家を少し修繕(民家再生)しながら大切に住みつづけよう」こんな会話が増える事を望みたいです。

行き付けのお医者さんと同じで、建てられた家を一緒に育て、時には(治療)修繕しながら一生のお付き合いさせていただきたいと思っています。世界に誇れる、伝統ある日本の木造在来工法で、理想の家づくりを実現していただき、子供、孫の代まで大切に住み続けられような家づくりを考えてほしいと願います。

最後にひとこと

自身や子供のために、地域環境のために、なにより我々が暮らしている地球環境のためにも、全てに優しく、安全で豊に暮らせる家づくりを、実現して下さい。共に生きていることを忘れないで下さい。

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2005/ 9/28  「あけび採り」

秋は、まさに自然の恵み最盛期です。あけび・栗・きのこ・ジバチ・山葡萄・・と秋の恵みは沢山あります。私が子供のころは、勉強もせずにこうした自然の恵みの内で毎日遊んでいました。

あけびは、つる状の枝が高い木などに絡み付きながらぶら下がっています。手の届くところにもありますが、大きく形も色も良くバナナの様にふさ状になっている良質のあけびは、なかなか採りにくいところにあります。私は木登りは得意でしたので、いつも木登り役で、高い木に登って、細い枝の先にぶらさがっているのを苦労して採っていました。まるで猿のようであったと想います。高い木の登るだけでも危険なのにそこから枝伝いに、自分の体重で枝が折れないギリギリのところまで枝の先に行き、そこからさらに身を出来るだけ伸ばし手を伸ばし、採るのです。

誰も採ることの出来ないところですので、いいあけびが一杯とれるのです。

でも、今考えると、一歩間違えたら、大ケガをする危険のある行動ですね。今の子どもらには、なかなか真似ができないかもしれません。クワガタ・カブトムシ捕りの時も、同じように木登り役に徹していました。 木登りが大好きだったことは間違いありませんが。

先日、実家に行った時に、兄の子どもらと我が家族であけび採りをしてきました。我が子どもたちは、あけびを知りません。なにげなく見た事はあるのですが、自分の手で採って、食べた事が無かったのです。実家の周りは、まだまだ自然が残されています。探してみると、あけびの林と言っていいほどの場所を探しました。皆で頭上を見上げると、一杯のあけびがぶらさがっているではありませんか。やはり木の高い所に、いいあけびがあります。手の届くところにもありましたが、まだ小さく青くてまだ開いていません。では・・とばかりに、私が率先して木に上り始め、自慢げに「こうして採るんだよ」とこどもらに教えて上げようとしました。

良質のあけびを、いっぱい採ることが出来ました。とりたてのあけびを皆で口に含み、甘い果肉だけを上手く吸いとるのです。しかしこれも子ども達には難しいようです。「んん・・おいしい・・」とよろこんでいました。後は誰が一番遠くまで、口の中に残った実を飛ばすことができるかの競争です。これも私が一番上手でした。飛ばすにもコツがあるのです。 これも一つの遊びだと私は思います。こうした遊びの中から、沢山のことを学べるのではないでしょうか。

こうした大自然の恵みのなかで遊んでいるのが、私にとっても楽しいものです。子どもらには、自発的にこうした遊びを沢山してもらいたいと願います。

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2005/ 7/4  「岩魚の塩焼き、山菜料理に乾杯」

今日は(6月19日)、家族でお弁当を作って山菜取りと魚釣りにでかけてきました。

今朝はいつもと違い、子ども達が嬉しそうにそわそわしています。そうです、お弁当を作って、山菜を取りながら山でお昼ご飯です。

お母さんがお弁当を作っている間に、子ども達と私は出掛ける準備です。まずは外に出て小さな庭にある、桑の木に実っている桑の実を沢山とり、その場でいただきました。沢山有りすぎて取りきれません。みな口の周りが紫色になっていました。桑の木近くには、いま小4年になる娘が入学時にいただいた、ビックリグミの記念樹が、今年やっと赤い実を沢山付けてくれました。ウズラの卵よりひと周り小ぶりな赤く熟した実は、少し渋みがあるのが特徴です。でも皆おいしそうに食べていました。

私は、魚釣りの準備です。今年初めてのため、仕掛けなどは新たに作り直しました。子ども達が興味ぶかそうに、見ていました。

皆準備も出来、いよいよ出かけます。まずは、山菜取りです。この時期ですので、標高の高い八ケ岳方面です。

さあ目的地に到着。いよいよワラビと山うど採りです。やはり少し遅いようでしたが、スーパーの買い物袋2つ分ほど採れました。子ども達は、まだあまり興味をしめさず、お昼のお弁当が待ちどうしい様子でした。

さあ、子ども達のお待ちかねのお昼です。山で食べるお弁当は格別に美味しい様におもいます。

次は、いよいよ私が楽しみにしていた、魚釣りです。1時間ほど、私だけの時間をいただいて、楽しませていただきました。場所は滝の湯川の上流です。成果はあまり期待してはいませんでした。しかし、はじめてまもなく、15センチほどのヤマメが釣れました。久々の感触です、掛かった瞬間は、胸がドキドキしていました。釣り上げられたのは嬉しかったのですが、まだ小さいため、川に戻して上げました。場所変えたその直後、今度は、手応え充分です。バレないように、慎重に釣り上げました。やったあ・・23センチほどの、良形のヤマメです。

この時の快感はやはり、釣りの醍醐味ですね。さらに上流に移動、こんどは、今までと違う手応えです。ドキドキしながら慎重に取りこみしますが、なかなか思うように行きません、けっこう大きいようです、無理して川上に強引に釣り上げてしまうと、糸が切れてしまいます。時間をかけ慎重に慎重に・・・と、やっとの思いで釣り上げました。この時の瞬間と思いは、やはり嬉しいものです。それもそのはず、26センチほどの立派な岩魚でした。私は、もう大満足。その後ヤマメをもう一匹釣り上げました。 私の1時間での成果は3匹でした。予想外でした。

子ども達と合流した時には、雨が降り出してしまいました。私の釣り成果みた、奥方や子どもらも「釣りさせてよ」、ということで、雨降りの中ではありましたが、挑戦してみました。が、成果は0でした。簡単そうで簡単ではないのです。これから、少しずつ教えて上げよう思っています。

今日の夜ご飯の食卓には、早速に、とりたての「ワラビのおひたし」「山うどの酢味噌あえ」「やまうどのてんぷら」そして「岩魚、やまめの塩焼き」です。家族みなで自然の恵みに感謝しながらいただきました。

私は、今日いちにちがとても充実した日になった、と、感じました。また美味しい恵みの料理を食べていると、「疲れもとれ、これでまた少し長生きが出来そうだ」というように、気持ちが豊かになれます。

ほろよくお酒にも酔い、だい満足です。

 「自然の恵みに感謝します。本当にありがとう・・。」

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2005/ 5/17  「責任あるお役目」

 新緑の季節を迎え,とても気持ちはさわやかです。しかしながら、ことしの杉花粉症は、今までになく重症です、例年だと連休が過ぎるとなくなってしまう症状が、いまだに続いています。

また、さわやかな季節を迎えたというのに、これから重い役目を担うことになってしまいました。というのは、私は建築士なので、(社)長野県建築士会に入会しております。私が諏訪支部の理事になってから、12年間ものあいだ、なんだかんだで役員につかまり関ってきました。今期は、役員改正にともない、私は人選する側になって、諏訪支部の支部長候補を選出して、上げられた候補者には、お願いをして来ました。

しかしながら、不景気の御時世か、候補者に上がっている方々が、なかなか受けていただけないまま、選考の期日がせまってきてしまいました。
そうしたなかで、私を支部長に・・・と言う話しが出てきてしまいました。その場にいた役委員選考委員のメンバーは、私とともに一瞬驚きの渦に巻き込まれました。私としては、いずれそうした時期がきて、お受けできる状態であれば務めさせていただいてもいいのかな、とは思っていましたが、・・・。  正直に言ってまだまだ早すぎます。

 経緯はいろいろありましたが、今期より長野県建築士会 諏訪支部長を務めることになってしまったのです。

建築業界の不景気ということもあり、会員数は急激に減少しています。バブルのころは諏訪支部会員450名ほどいましたが、現在では330名ほどです。この会は個人団体です。業界団体と違い、有資格者が個人の判断で入会しています。
会社で入会している方も、けっこういますが、リストラ・・・で会社側で負担していた会費などを、負担しなくなってきています。そうした方々が自然と退会になってしまっています。
私は、務め人であれ自営であれ有資格者として、自己研鑚していくことで、自己のためであり、その結果務めている方であれば、会社の利益につながっていけるものだと思います。

しかしながら、士会に入会するメリットがなければ、意味がありません。支部長として会員の意見をくみ上げながら、出来るだけ有意義な会にして行きたいと考えています。有資格者また会員にとって「有益な情報を提供」して行くことでしょうか。

私も同じ事ですが、役員にあまり負担はかけたくありません。お役目が終わる時に「少し苦労もあったけど、楽しかった、有意義であった」と言っていただけるように、私なりに、支部長を務めさせていただきたいと思っています。

支部長として、有資格者や会員にため、更には地域社会の為にどれだけお役になれるかは、私自身の「住まいづくり」などの考え方を、どれだけ真剣に考えたか、と同じように答えが出るものと思います。

 それゆえに、無理ない範囲で私に出来ることは、して行きたいと思っています。

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2005/ 2/22  「今年の冬の遊びと春をむかえるにあたって」

もうじき春がやってきます。しかしながら、ゆううつです。というのは私は花粉症がひどいのです。今年の飛散量は平年の2倍ほど多いと聞くと、よけいです。 よく言われるのですが「山の自然の中で育った方がなぜ、花粉症になるのですか」と。最初は私も言われるように、首をよこにしながら考えてみたものです。私なりに考えた結論は、昔はこんなに、空気も自然も汚染されずにあったのが、環境汚染されてきてしまい、からだがアレルギー体質になってしまったのだと。よって環境汚染による、いろいろな要因の重なりからくる、現代病ではないかと思っています。

今年の冬もあと少し、暖冬と言われていたけれど、1月は寒かったですね。でも大雪は一度だけで1月15日の朝方までふった、重い湿った雪の30センチくらいでしょうか。 ちょうど日曜日だったので、近所の家族と我が家族と一緒にかまくらづくりをしました。

子ども達はすぐあきてしまい、かまくらづくりの戦力にはなりません。しかし周りでおおはしゃぎで遊んでいました。苦労しましたが1日がかりで大きなかまくらをつくることができました。こどもなら6人くらいは、ゆっくりとはいれるくらいです。私も一緒にはいらせていただき、おしるこや、ラーメンを作って食べたり、おもちを焼いて食べたり、と楽しまさせていただきました。このかまくらは、少しとけはじめていますがいまでも(2月22日)残っています。というのも、できるだけ長持ちするように、時々わたしが補修してきました。うちの奥方は、そうしている私を見て「あなたも、好きだね」とにがわらいしておりました。私自身も子どもの為にやっているのか、自分が好きでやっているのかよくわかりません。

2月13日に、子どもらを連れ蓼科ピラタスのスキー場に行って来ました。5才の息子はおかあさんとそりあそび。小学一年の次女は、スキー場所でのスキーははじめてでしたが、時間と共に少しづつ上達していきました。小3の長女は、どうにか雪にはなれて、けっして上手とはいえませんが一人でも滑っていました。その姿をみていたおかあさんは「あぶなくて見ていられない」といいながら、指差して心配そうにみていました。技術的にまだ無理そうな急斜面を、転びながら降りてくる姿は、イノシシ年の生まれのせいか、そのようにおもえてしまい、ついつい我が娘の姿に笑ってしまいました。

私も少し自分だけの時間をいただいて、楽しませていただきました。ロープウェイに乗って八ケ岳の上までいき、4キロのコースを3回、満喫しながら滑り降りました。山頂の標高は2240m、気温を見てみると−13度、顔に風が当たると耳が凍りそうに痛かったです。しかしながら天気もよく最高の眺望をたのしめました。

1回目の滑りは、すばらしい景色を楽しみながら、また霧氷や樹氷の間に立ち止まりながらゆっくりと。2回は同じように景色を楽しみながら、違うコースで。3回目は、気に入ったコースを、止まることなく、いっきに4キロコースを滑り降りました。

気持ち良かったなー。 極端な表現ですが「生きていてよかった」と思ったほどです。

あらためて、季節や自然に感謝しなければなりません。子ども達も喜んでいました。しかしながら私は、そのご数日間からだのあちこちが痛くて大変でした。運動不足のせいです。こうした季節を通して、体力づくりがうまくできればよいのですが。

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2005/ 1/10  「信頼できるものは ありますか」

今日は、各地で成人式が開催されています。年々少子化で成人者も減少でしょう。これからは、大人としての自覚をして人生を自己責任において、しっかりと歩んで行ってほしいと願います。自由を求めるのはけっこうですが、「大切な心」を忘れないでほしいです。私自身も同じことですが。

 「大切な心」とは、「礼儀」「道徳」「感謝する心」「辛抱の心」「耐える心」でしょうか。

私は人生において、一番難しいのは、人を信じることの、「信頼関係」をどのようにつくれるか、だと思います。裏返せば、正しい判断による自己責任なのでしょうか。

信頼と一言でいっても、大変難しく、また、人それぞれの価値観のように違いがあると考えます。人に対しての信頼も、人柄、知性、学歴、職業、お金持ち・・・他、なにを重視するかは、その人の人生における価値観によるものでしょうか。 私自身をみても、100%信用できる人が、この世のなかに本当にいるのかな?と思います。親、兄弟、友人、では伴侶である奥方やこどもはどうでしょうか? 完璧という言葉がありますが、これに似ているように思います。完璧とは、理想を極められたものと考えますが、私は完璧を望むのは不可能と思います。 大切な事は、完璧、極められたものに近ずく努力をし続けることかと考えます。

商品的なものはある程度,本などで調べたり勉強して、自分だけの判断において買う事も可能ですが、手作りてきなものや人間関係は、自分の努力で築き上げるしかありません。

私の業務の宣伝をするつもりで問うわけではありませんが、住まいづくりにおいて、土地探し、家づくり、ましてや土地勘のないところでの田舎暮らしを、理想で安心して実現出来る、信頼しておまかせできる窓口を、どのように探せばいいのでしょうか。 住まいづくりを考えている方々は、皆さん同じ気持ちでいることでしょう。 簡単に考えるのでしたら、テレビおなじみの業者、展示場の中から選ぶ、ある程度大きな会社、知人の工務店、別荘地の管理会社・・・・等の中から探すのが、無難と考えるでしょうか。

私は、専門以外のことは、当然の事ですがよくわかりません。おすすめです?、新しサービですので変えませんか?とか、いろいろ営業に来ますが、正直なところ、メリット、デメリットがあり正しい判断を求められても即答できません。いままでに、忙しい中で衝動的な契約で後悔したケースがいくつかあります。かといって、私にとって専門外でのことで、本当にメリットになるかの調査や勉強をしている時間もあまりありません。

私がほしいのは、「キーパーソン」です。その道(専門家)で、本当に信頼して相談に乗ってくれる人「私にとって一番適切であり安心出来る答えを出してくれる人、こうした窓口」がほしいのです。

私は、個人の人間として、少しでも人に信頼される人間になりたいと願っていますが、まだまだ未熟な人間ではあります。日々、少しづつでもいいから人間形成のために自己研鑚していきたいと考え、生きているつもりではあります。

個人の信用を築き上げながら、住まいづくりされる方々の「キーパーソン」として、本当に信頼される相談窓口になれるよう頑張りたいです。住まいづくりの専門家として、住まいづくりされる方の代理人的な立場になって、夢見る住まい、高額な財産を、安心して理想の住まいづくりを実現出来るように、私の信念を貫き通しながら、これからも頑張って行きたいと考えています。本当の意味で、住まいづくりされる方の、夢、生命、財産、を守れるようになりたいです。

自然界は、けっしてうそをつきません。地球誕生40億年。さらに35億年以上も生命の秩序をたもち続けてきています。残念ながら最近では、人間の自己中心的な考えで、35億年続く生命、大自然を破壊しつつあります。現代人は反省しなければなりません。信頼をはきちがえてきてしまい、結果的に環境破壊をしているのです。我々の先祖をたどると人類は270万年といわれています。・・・祖父母、父母、と引き継がれ今の自分が存在しています。よく考えると、奇跡的な存在のように思いす。

信頼の源は、自然界にヒントがありそうです。 人間は自分の力だけで生きているのではなく、自然から生かされているのではないでしょうか。大地、空気、水、食料、・・があるからです。それゆえに大自然に感謝しなければなりません。この感謝の気持ちが、本来の人間形成の源となって、「信頼」を築きあげていけるのかもしれません。自分自信の存在、人間社会のなかでの役割り・・・を根本から見なおして、自分にできること、しなければならないことを追求し続けることで「信頼」が生まれてくるのでしょうか。

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2004/11/2  「自然災害と生活場所の関係」 台風 大地震 火山 ・・

今年は、久しぶりに浅間山が噴火。台風は、記録に無く当たり年。その直後に恐怖の大災害を引き起こした「新潟県中越地震」。今年は、まさしく災害国の日本列島を象徴し、大きな災害を引き起こしてしまいました。 こうした災害にみまわれた方々の、心身、財産、不便さ、どれだけの損害や苦痛をもたらしたのか私には想像もできません。 かといって、ボランティア活動で役に立てるようなことをするのがよいのか、 また仕事がら、今回の大地震において、地震直後の建物を安全であるか調査し、各家々に危険度の張り紙をして、安全であるか、どれくらい危険であるか、を現地調査する役割があります。 これは、「震災建物 応急危険度判定士」というものです。私もこの判定士です 今回の地震で要請がありましたが、その日は都合がつかず、応援に行くことができませんでした。 私が今出来る事は、気持ちばかりの義援金を送るくらいでしょうか。1日も早く、心身ともに安心した暮らしを取り戻せる様に、と願っています。

いままでのこうした災害の都度考えるのですが。 どうにかこうした自然災害から、もっと被害や損害を小さく出来ないものか。 出来る事なら、少しでもお役に立てるような、提案ができればいいなと思って、考えています。

島国である日本は、いろいろと特性があります。 火山国でもあります。噴火での災害は、いきなり噴火するので無く、歴史的にくり返し発生しています。台風はとうり道 台風の水害での一番大きな災害場所は、昔は人の住めない海岸や川であったところです。 なんといっても地震国。今回の地震での大きな災害は、活断層の真上で、しかも土砂崩れの一番の危険地帯でした          こうしてみると、昔は危険な場所で人が住んでいなかったところ、と言うより「住めなかったところ」ではないでしょうか。

近年の人間がこうした危険地帯の、山を削り谷を埋め、また川を狭めて土手、堤を高くつくって、橋や道路、ダム・・などを、経済発展のため?お金を稼ぐため?また、市民の大切な税金などで惜しみもなく、どんどん使って、住宅地など、少し無理がある造成や開発をしてきました。 たしかに、日本は便の良い住宅地が広くはないかもしれません。やむなくこうした場所に先祖が住み始め、それを引継ぎ大切に考え暮らして気持ちは良くわかります。 

スイスなどでは、活断層の上や近くに、建物を許可しないそうです。また危険と考えられる河川の周りや、急斜面地近くにも、家などを建てさせないそうです。日本でもそうしていくべきのようにおもいます。

災害防止の点から、日本も、災害危険地帯を明確にして、そうした所には、家をはじめ、建物、道路、構造物、また自然破壊させるような開発はさせないように、法律などで適性に厳しく規制して行くべきだと思います。今すぐにでも、検討すべきです。日本の諸事情はあるにしても20年、50年、100年後を見据えて、時間を掛けて具現化させていけばいいかと思います。

そうすることで、災害による尊い人命や財産を守ることが出来、また無理な工事(無駄な工事)などの公共事業も削減できていけるのではないでしょうか。 もっと本当に人命尊重に必要なことを議論し考えて、また大切なお金をそうしたことに使って行くべきではないでしょうか。

これから家を建てようとしている方々も、こうしたことをきちんと認識して、命の土台となる家づくりの土地に付いては、場所、地盤・・など出来るだけ考えていただきたいと願います。家族の命を守っていることを忘れないでいてほしいのです。 大切なこどもや子孫につなげるためにも。

今回の「新潟県中越地震」が、この諏訪地方だったら、トンデモナク恐ろしい被害であったことでしょう。諏訪湖の周りの軟弱地盤は、大きく揺れ、地盤は液状化して、道路や建物は壊滅状態になるでしょう。また活断層の周辺や急斜面地、特に大きく造成された山間部の住宅地なども、そうとうな被害が予想されます。

暮らしている住人は、身近で発生した大地震や、過去に発生している地震などを教訓に、自分らの住んでいる土地の特性をしっかりと認識して、身の安全、家族の安全のためにも、もっと、もっと防災意識と危機感をもっていただきたいと思います。 明日にでも来るかもしれない「東海地震」のためにも、しっかりとした、災害に対する、備えが必要だと思います。

こうしたことからみれば、縄文人の遺跡がある所というのは、3000年〜・・と、自然災害の起きていない場所ということになります。 昔の人々は危険と思われる場所には、出来るだけ避け住まなかっはずです。  多少不便さがあっても、縄文人の知恵を生かして、暮らしの中で安心出来る場所や、地盤のしっかりしている所を探して、暮らしていたものと思います。

火山 地震 台風・・は確かに大きな災害を引き起こしますが、今までの秩序ある地球環境づくりのバランスを保つ役割でもあるのかもしれません。人間にとって大きな災害となることは、一種のなにか人間に対して「警告」のようにも思えます。

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2004/10/14  「今年の秋と自然の恵み・・温暖化で異変・?」

今年も昨年と同じで、天候不順でした。8月15日の諏訪湖花火大会では、昨年続き大変でしたがマス席に60人を招待(会費制で)し、鑑賞会を行いましたが、涼しいをとうりこして寒かったです。この頃より雨の日が多く、今まで似た様に不順な天候が続いています。

 キノコのでき具合も異常です。標高の高いところでは、早くから出来始めました、サマツなどは例年になくできたそうです。私も一度に沢山のサマツを採ったのは、今年が初めてでした。しかし、里山の方では、不作でボツボツとあるくらいで、ほとんど採れません。ジコボウや松茸も例年の2割ほどでしょうか。それでもクリタケ茸は、いつものように出来始めています。これから遅れがちに少しできるかもしれません。茸のでき具合は地温と雨の微妙な関係で良し、悪しがきまってしまいます。 

 地バチにしても、同じで里山には少なかったようです。雨のせいではなく、今年は早くに温かく春になってしまいました。桜の開花も早かったですね。同じように里のハチが早くに冬眠からさめてしまいました。その後寒い日が少し続いてしまったために、でてきたハチは冷害で死んでしまったようです。標高の高いハチは、その後に冬眠からさめたため、難をのがれたのです。しかし、私は久しぶりに自宅の庭にかけてみました。8月14日に蓼科でみつけた蜂の巣を取ってきて、庭にかけて巣が大きくなるのを待っています。予想いじょうに、みつばちの巣のようにかよっています。10月の終わり頃には掘り出します。3〜4kgにはなるでしょうか、いまからとても楽しみにしています  

 雨が多くて水量がいつもより多く、餌も豊富にあったようで、魚が例年なく多く、かつ皆大きいのです。実家の前に小さな川(用水)があるのですが、この川に30センチ近いヤマメ(アマゴ)が、産卵を前にしてか、警戒心も無く群れになって、あちこちで泳いでいるのです。私は小さい頃からこの川でも魚とりをしていましたが、今年のような光景は見たことがありません。 実家の小学校6年になるおいっこは、毎日の様に網を持って捕りに行っているようです。網で捕まえるのもいいですが、魚釣りの醍醐味を覚えてほしいと願います。昨年、どうしても釣りにつれて行ってほしい、とせがまれ、蓼科の奥地の川につれて行ったのですが、川を上手く歩けずに、いきなり転んでしまい、危なかったところです。釣りどころではなくなってしまいました。子どもでも大丈夫だと思っていたのですが?。餌のつけかたや釣りを教える前に、川を知ってもらう方(経験)が先だと感じました。  私の3人の子供たちには、出来るだけこうした魚釣り、キノコとり、ジバチとり?、・・・と、自然環境の恵みの中で楽しく、できれば上手に遊べる様になってもらいたい、と願っています。きのことりなどは、出来るだけつれて行くようにしています。

 話しは突然かわってしまいますが、今年はおんばしら年で、各地区で小宮祭が行われています。私に似たのか、3人のこどもらはメドデコに乗ったら、以外と楽しいようで、降りたがらないのです。この時改めて、こどもには何事もできるだけ体験、経験できる機会をいっぱいつくってあげようとおもいました。食わず嫌い、やらず嫌い・・では、こどもも、大人もせっくもっている、御先祖様からいただいた潜在的な能力を引き出せずに、いろいろな可能性があるのに発揮できずに終わってしまいます。  

 話しはもどして、いずれにしても、近年は季節どうりでなくなっているのを、正直である自然環境の恵みをとうして感じています。温暖化だけのせいではないと、私は思っています。どこか人間のエゴにより、地球全体の今まで守り継がれてきた、バランスや秩序が壊され、生態系が崩されていると思います。お金や便利さ・・・などが優先しすぎているようです。今、我々の時代は一時的に快楽、快適さを満足できるかもしれませんが、長い視野でみれば我々の住みつづけている、この地球、及び地球上の生命を短くしてしまうはずです。私は、家づくりにしても同じようだと思っています。見栄えや快適性を重視し過ぎる傾向にあると思います。多少は不便さがあったにしても、安全、健康,快適、さらに豊かさ・・と本当に考えられた手作りの家は、ビニールハウスの温室育ちよりの家(病院のICU重症者の集中治療室のような)より、子どもは元気で豊かに育てることが出来るのではないでしょうか。人間の成長や暮らしは野菜、花づくりとはちがいます。

こうした環境問題を、真剣に考え、次世代のためにも、いまからできることを、していかなければと思います。これは現代人、大人、親としての責務ではないでしょうか。現代人はやりたい放題好きな事をやって、環境破壊を進めてしまえば、次世代に大きなツケを残してしまいます。 こうして指摘している私自身にしても、恥ずかしながら同じことですが。小さなことでも良いから、なにか、環境にやさしいことをしなければなりません。家の周りには、一本でも多く木を植えるとか・・。 そのまえに、少しでも環境破壊するようなことを、しないことでしょうか。

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2004/09/07  「信じられない不動産取引」

地主と共に関係親族の方が、私のところに相談に来ました。話しを聞くと、地主側が知らないうちに、「自分の土地に家が建っている。驚くことにそこで生活している」というのです。そんな話し聞いたことがありません。

話しを詳しく聞いてみると、ある不動産屋が関わっていたのですが、自分の土地ではないのにも関らず、買主を見つけ自分が売主となり、買主と売買契約を締結して、その後農地転用許可を地主の知らないまま、三文判を使ってとってしまいましたのです。

買主はどこまで土地について知っていたのかは解りませんが、所有権を移転しないまま、住宅建設を着工したそうです。 こうした経緯の中で、地主の知らないうちに住宅が完成して暮らし始めていたのです。 

地主、買主(家を建て暮らしている方)の双方で、弁護士をとうして問題を追及しています。多少複雑な経緯があるにしても、このようなことが出来るということは、「全然関係の無い他人の土地を、売ったり、買わされたりできる」と言うことになります。 

こうしたケースは珍しいとしても、やはり、不動産を自分自身の判断で探し取得するのは、難しいと、改めて感じました。また、土地探し、家づくりにしても、専門的な知識が無い方がほとんどだと思います。ご自身だけで判断するのは、やはり難しく危険でもあります。 

そうした時こそ、お客さん寄りの立場になって一緒に考えお手伝いしてくれる窓口が本当に必要だと、改めておもいました。 

嘘のような、本当の実話でした。  皆さんも、知識の少ない事には慎重に考えて下さい。特に、しょうどう的な判断はとかく後悔やトラブルにつながるケースがみられます。

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2004/08/02 「民家再生リフォーム」

50年、100年を過す昔ながらの立派な家がまだまだ沢山あります。特に、集落の中には、太い柱や梁を使ってある家に住み続けている方を多く見かけます。

手入れのされた生垣、なん代も受け継がれて来た土蔵。こうした家を取り壊すのは簡単ではありますが、同じよ うな家を建てようとしても、そうとう高額な家になってしまいます。

先祖の建ててくれた貴重な家であったらなおさら是非とも、住み続けられるよう に大切に考えていただきたいと願います。 不具合は必ず有ります。基礎や構造の補強、断熱、設備機器の取り替え、外装改修・・・・等の工事を出来るだけ工夫して、新たに暮らしが出来るものと思います。

 御先祖様に感謝しながら生きつづけて行くことが大切だと思います。


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2004/07/04 「私とおんばしら」

御柱祭は、6年に一度行われる諏訪最大のお祭りです。上社、下社4つの社殿に計16本の御柱を建て替える行事です。私は茅野ですので、上社になります。諏訪湖の南側を境に、上社側と下社側に分かれます。今亡き父も、大変この祭りが好きでした。
私が3才の頃でしょうか。子供そっちのけで楽しんでいて、私は置き去りにされてしまい、やっとの思いで親戚の家に行き、泊めてもらった想い出があります。今でも笑い話に出てきます。

平成16年、今回のおんばしら

私の担当した柱は、上社側の「前宮ニノ柱」でした。4月2日は、山だしの初日でいよいよ本番です。あいにくの雨模様でしたが、熱気におびたお祭り(神事)がはじまりました。  私はいつも、柱の先頭にいました。御幣を持って柱の先頭に乗っている方を守るお役目をしていたのです。このお役目は、決まっているわけでは有りません。たまには私も御幣を持たせていただきました。午後には天気も回復して、残雪のこす八ヶ岳を望みながら曳こうをしました                                                      

2日目はよいよ木落坂です。

やはり一番の見せ場ですので若者を乗せたメドデコは、7m程長く片側だけで12人乗っています。その一番高い先に乗る人を「とんぼ」と言って、若者で一番の名誉となり、各地区で、駆け引きがあり競い合います。また同じように、おんばしらの先頭で御幣を持つのは、これこそ一番の名誉です。 私は今までに二回この木落でメドに乗っていますが「とんぼ」には残念ながら乗っていません。落ちる前の前座では乗っていますが。  今回は、元綱にいました。 木落は一番の見せ場ですので、時間を掛け余興などを行います。が、今回は 柱を少しづつせりださせているうちに,柱の後方で柱を引っ張る綱が上手く、止めるところに掛からない状態で、いきなりどんどん前に出てきてしまい、そのままおんばしらが横に傾きながら、威勢良く落ちて来てしまいました。 メドデコに乗っている若者はほとんど振り落とされてしまいました。私は真下にいましたので、危険を感じ上をみると、振り落とされてきた若者が何人かが私の頭の方に降り落ちて来たのです。メドの上からは7mはあります。私の後ろにいた氏子の上に落ちたのです。 また、御幣の廻りに乗っていた方達も皆振り落とされてしまいました。 この木落で幾人ものケガ人がでてしまいました。3人ほどは骨折しています。 私も危ないところでした。 この祭りは、いつ何が起こるかわかりません。けがは自己責任です。自分で守るしかありません。身近な方でも2人亡くなっています。私も冗談ぬきで気をつけないといけません、いつも一番危ないおんばしらの元にいるのですから。

3日目は、川越です。

この日も冷たい雨降りの中となりました。私は、木落では柱には乗らなかったのですが、この川越では、乗るつもりでした。ちゃんと着替えも用意してありました。 いままでにメドデコには、3回のって川を越えています。 気温は低く川の水温は6度ほどです。川の深いところでは水深3mあります。  御柱が川に入りまもなくすると、一番深いところに来たとたん、柱の元にいた人達は皆、頭まで川の中へ沈み込んでしまいました。必死で泳いでまた柱に乗るのですが、たいへんです。 びしょぬれになりながら、どうにか川を渡ることが出来ました。 ここからが大変です、川の堤(土手)を引き上げて最後になる、おんばしら屋敷まで引きつけなければなりません。 私はいつのまにか、御幣を持つ人の支えとなり、おんばしらの先頭に乗り、なかなか動かないおんばしらの音頭取りになっていました。柱に乗っているのは、私と御幣を持っている方と2人だけです。 とてもめだっていたようです。しかし私は、冷たい川でずぶぬれとなり、ゆいきれないほどの寒さで、からだが震えつづけていました。先頭に乗っているのは、気持ちもよかったですが、体は冷えつづけ、そのうち心臓が止まってしまうのでは、と感じたほどでした。無事に引きつけ場所までお役目をはたすことができました。最後のお役目として、御幣を預かり大総代さんに届けました。 私が持っていた榊は、記念に譲り受け持ちかえりました。 冷たい川ではあいりましたが、私にはいいおきよめができたかとおもいます。 これで山だしは終わり、5月2日からはじまる、里曳祭を待ちます。手にしている榊は震えていました、このとき空をみ上げると、雨がみぞれに変わっていました。  みるみるうちに、おおつぶの雪に変わりました。   私達の後には、まだ4本のはしらが川越をしなければならないことを、おもうと少しきのどくに感じました。 観光客の方でこの悪天候なかを、一緒におんばしらをひいてくれているかたは、さすがに少なかったです。 私は、おんばしら、を単なるお祭りだとは考えていません。諏訪大社の大切な一つの神事です。 私は、その氏子としてのお役目を果しているのだと、考えています。

5月2日からの曳き祭でも、相変わらず私は柱の元にいました。 最後の建て御柱では、安全に建てるお役目で、見守る側でした。 無事におんばしらが建ち終わると、フィナーレで全てが終わりました。 次は6年後となります。 私は、おんばしらに関ることで、氏子として、また人生の節目というものを感じます。 私は3才からはじまり、6年、また6年と、歳を重ねて来ました。今45歳になります。3才,9,15,21,27,33,39,45歳と、人生で8回目となりました。次のおんばしらを迎えると51歳になっています。私はどのように変わっているのでしょうか。何も変わっていないかもしれません                              


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2004/05/08 「八ヶ岳縄文人の会では」

この会では、大人も子供も一緒になって、自然界の恵みの中で、いろいろなふれあいや遊びを通じて身・心の五感をしっかり使い、自ら体験をしながら、今見失いつつある大自然の恵みの尊さや人間本来の生き方などを、縄文人の気持ちになって学んで行きたいと考えています。

私たちの住んでいる諏訪の平は、諏訪湖を取り囲むように、岡谷市、下諏訪町、諏訪市があり、広大な八ヶ岳山麓に茅野市、原村、富士見町となっております。伝統文化、自然等の環境全てにおいて恵まれた地域です。また、私の生まれ育った茅野市、豊平、泉野の地は、蓼科や八ヶ岳山麓の中にあり、尖石縄文遺跡があり、伝統行事である御柱祭の街道筋でもあります。それ故に、はるか昔の縄文人から先祖を通じて引き継がれた伝統文化の地です。しかしながら近年では、この素晴らしい環境が少しづつ失われつつあります。経済優先、自己中心的な現代人の勝手さが昔から引き継がれ、守られてきた自然界の秩序を崩壊しているからではないでしょうか。

私の子供の頃は、家が専業農家であったため、田畑の手伝いをよくやらされていました。また、勉強そっちのけで時間さえあればカブトムシ、魚釣り、きのこ、すがり・・・他、自然の恵みの中で夢中になって遊んでいたものです。今思えば、自然と共に育ったように思います。勉強こそしなかったけれども、大自然の恵みと沢山遊んだおかげで、学校では学ぶことが出来ない大切なことを学び培うことが出来たと思います。

残念なことに、昔こうして遊んだ場所は殆どなくなってしまいました。一番残念に思ったことは、近くの川には天然のヤマメ(アマゴ)が沢山いました。私の小さい頃、プール変わりに遊んだり、手づかみで魚採りによく来たものです。子供らの一番の遊び場でした。しかし10年程前に、田畑の構造改善の工事で、山は削られ、昔からの川がコンクリートの川に変わってしまい、沢山いたいろいろな虫も魚も住めなくなってしまったことです。ホタルも同様です。自然破壊するような土木工事、特に改修工事などはもっと見直してもらいたいと思っています。

今の子供たちは、外で遊ぶことが少なくなり、家の中に閉じこもりファミコンなどに夢中になっています。大勢の友人と一緒に遊ぶこと、大自然の恵みと遊ぶことの大切さが見失われているように思います。

勉強にしても、受験や資格試験のためだけのもので、社会人として本当に役に立つ勉強は出来ていないように思います。現代社会の問題発生の最大要因ではないかと指摘されています。

縄文人から受け継がれた知恵や技術を学びとりながら、大人も子供も一緒になってしていきたいものです。

今見失われつつある人間社会の大切なこと、また、身近な大自然の恵みの尊さ・・・、これらをどうにか取り戻すためにも自分たちの住んでいる地域の環境を見直してゆき、家族の絆を深めると同時に、魅力ある町づくりに一歩でも前進し貢献することが出来てゆければ幸いだと思います。

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2004/04/03 「保護者連合会長を終えて」

 下記は、平成15年度 茅野市17保育園の保護者会連合会長時の挨拶文です。私はこのお役目を楽しく務めさせていただいたことに、評議員の皆さんをはじめ、関係者の皆さんに感謝しております。おかげで、親として、保護者として、一社会人として、少し成長させていただいたように思います。子どもも成長していきます、大人だって同じように成長して行かなければと改めて感じました。お役目は大変では有りますが、自分を成長させる良い機会だと私は考えています。

 
        八ヶ岳山ろくの恵まれた大自然の中で楽しく遊ぼう

平成15年度茅野市保育所保護者会連合会      会長 太田清人 

 今年は梅雨明けが遅く、また8月に入っても雨の日が多く、いつになく涼しかった。農作物などには、影響が出たかと思います。

しかし私は、例年になくこの時期に、沢山のキノコを採ることが出来ました。これも自然の恵みと思い感謝しています。

9月には入り、やっと夏らしい日々が続きました。庭先で飼っていた、カブトムシの幼虫がやっと成虫となり、土の中から出てきました。しかしもう夏の終わりは近くに来ています。かわいそうに思いすぐに山に返してあげました。

さて、四月よりスタートした連合会活動も、半年を経過しました。最初のころは、三役をはじめ評議員の皆さんも、いったい何をしていけばいいのか、よく解らなかったのが、正直なところです。

しかし会を重ねるごとに、自分たちの、お役目が理解できて行ったと思います。各園の保護者の代表としての意見交換の場であり、またイベントなどでは、交流の場であったり、園視察では各自が、自分らの園を見直す、良い機会でもあったと思います。

特にこども祭りでは、連合会としてスライムづくりで参加しました。2000人分以上をこなしました。評議員の皆さん全員でご苦労していただきました。大変有意義なイベントとなり、結果として結束の出来た場であったと思います。来てくれた子供達も満足してくれていましたが、それ以上に評議員の皆さんが、楽しんでいたように思えました。

昨今は、時代の流れと共に保育園のあり方、保護者としてのあり方が、昔と比べ少し違って来ていると言われています。私は、基本的に何も変わっていないように思います。私が一番気になっている点は、「こどもの遊び方」についてです。一人でファミコンのゲームなどをして、家の中でしか遊べない子供が増えている様に思います。これは、大人や、保護者にも原因があるのではと思います。例えば、この恵まれた、八ヶ岳山ろくの自然の中で、季節を通して楽しんで遊べる大人の方が、どのくらいいるでしょうか。ものづくりにしても、どんなに大切に、どんなに楽しく、つくる事が出来る大人の方が、どのくらいいるでしょうか。

私は、季節を通じて出来るだけこどもらと一緒に遊んであげようと思っています。冬の大雪は、大人にとって大変迷惑なことです。家の前の雪かきをするのも大変です。しかし私は、この雪でカマクラを造ったり、ソリ場を造ったりしています。こどもらと一緒にやるのですが、いつのまにか私のほうが夢中になっています。こどもらは、周りで寒さも忘れ大はしゃぎです。

こども達の一番のお手本は、言うまでも無く、近くで接する大人です。その姿を観ながら自然と、そのように身に付いてしまうといいます。子供の柔軟な感性や五感を、良くも、悪くもしてしまいます。遊びやいろいろの体験を通して、大人が楽しいと思い、また一生懸命な姿で、こどもと接っすることにより、そのうち自発的に、いろいろなことに興味を持ち始め、おもしろいこと、楽しいこと、悪いこと、良いこと、我慢しなければいけない事・・と自然と覚えて行くのではないでしょうか。

その為にも、こどもに対し保護者として、大人として、各自がそれぞれの立場を自覚して、責任ある行動を示して行かなければならないと思います。

連合会は、保護者皆さんの意見の集約の場であり、さらに反映の場でも有ります。我々と共に、少しでもこども達の為に役立つ事を、みんなで本気で力を合わせ、一緒に考えて行きたいと思います。

今後とも連合会活動に、ご理解と協力をお願い申し上げると共に、園児の健やかな発育と、保護者の皆様方のご健勝をお祈り申し上げます。

 

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2004/02/05 「人の育つ-寿命の長い家とは」

・家族が育つ

親も子供も魅力ある住空間や自然素材を使用した家で、健康で豊かに暮らす中で、本物の良さを感じながら、何かを学びながら、秘められた能力や可能性を引き出し続けてくれる。

・来客者が育つ

本物の魅力ある家づくりに気づき、今まで以上にコミュニケーションやいろいろな方との付き合いが幅広く広がってゆく。

・職人が育つ

設計者も含め、家づくりに携わる、それぞれの職人さん「大工、左官、建具・・・」がいい家づくりをするという熱意を持ち続けることにより、技術を益々磨くことが出来るでしょう。こうしたことを繰り返すことにより、伝統ある職人の技術を後継者に伝え残すことが出来るようになります。

いい家づくり、豊かな家づくりとは、上記のように家づくりを通じて、関わる全ての人々が成長できるようになれるのではないでしょうか。

「人の育つ家」これこそが、飽きの来ない本当に寿命の長い“本物の家づくり”が実現できるのではないでしょうか。


 私は伝統、文化、特に自然環境に恵まれた諏訪の地に生まれ育つことが出来たことを本当に感謝しております。小さな頃は勉強こそしなかったけれど、毎日野、山、川、湖で徹底して遊び続けていました。今にして思えば、学校では学べない貴重なことを、自然界の中でたくさん学びとることが出来たと思います。

時代の激変の今こそ、ないがしろにされてきた大自然の恵みの大切さを見直す時が来たのではないでしょうか。人間にとって一番安全で豊かな食べ物は、自分の住んでいる自然環境の近くで採れたものを、あまり手を加えないで食べることだそうです。

私は家づくりも同様だと思います。「地域や自然環境との共生」、「家族にとって本当に安全で絆の深まるような豊かな空間の家づくり」・・・など、十分に考えられたプランにおいて、建てられる場所の環境で生まれ育った木や土・・・などの材料を出来る限りこだわり、家に使うことにより、湿度や温度を調節できる生き物のように“呼吸する家”が、本当の意味で自然環境と共生できるのではないでしょうか。また家づくりの工法においても、世界的に最も優れていると言われている、日本住宅の文化である木造在来(軸組)工法で、熟練した地域の熱意ある職人(先代から継がれてきた技術や姿勢を守り、伝統の中に新たな工夫を加える)の手で、少し時間をかけ、自然環境に馴染ませながらつくることが大切ではないでしょうか。

「地酒造り」の話を聞くと、水は地元山の綺麗な伏流水を使い、米は契約農家でつくられる、大半が無化学肥料栽培だそうです。酒の味を左右する麹づくりはすべて手作業。蔵元や職人の「いい酒をつくりたい」という熱意から、人にぬくもりを届けることが出来る酒が出来上がるのだと言います。

このような考え方で出来上がった家は、「人が育つ家」となり安全性や環境にも適合して、寿命の長い家となり、家族に心の豊かさや健康を作ってくれると思います。こうした人々、家々が集まって良いコミュニティーが生まれ、良きまちづくりとなり、さらに良い地域社会へと発展してゆくのではないでしょうか。

私はこうした考え方で、一軒でも多く家づくりに関わり、大切な地域の特性や自然環境に合った、「人間も家も自然の中で共に生きている」ことを忘れない本当に安全で豊かな家づくりを実現させてゆくためにも、「家づくりトータルコーディネート」の仕組みを確立させ、“家づくりの代理人”となって後世に継え残してゆきたいと考えております。

最後に・・・

私も家づくりの一職人として、「いい家づくりをしたい」という熱意を持ち続け、人々にぬくもりを届けることが出来る「家づくり」を実現していきたいと考えております。




八ヶ岳縄文人のコラム 終わり


八ヶ岳山ろく茅野市の、大自然に恵まれた環境の中で、縄文人より引き継がれ生まれ育った 太田清人(縄文人)の、なんでもコラムでした。


オータ住環境(株) 代表取締役 太田清人


 
思う事   時世について  想いで  お役目  父、母   趣味・・・・・他





オータ住環境株式会社

長野県茅野市豊平21187-1
TEL0266-71-1722
FAX0266-71-1723
代表 太田清人
E-mail: ohta1@rose.ocn.ne.jp

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