● 昔話は、先祖を偲び、心の豊かさをもとめられる。 「オータ住環境」 代表 太田清人 |
働き地蔵 「諏訪のむかし話」 茅野市泉野大日影 この昔話は、竹村良信氏が「諏訪のむかし話」著者として、信濃教育会出版部より出版された本の中に掲載されているものです。
現在の大日影集落の地蔵堂 お地蔵様 守矢さのええ(家)じゃあ、大日影村の地蔵堂のそばに、でっけえ林(へえし)を持っていただって。 ほこを、ほりおこして畑にしらっと思って、家中(ええじゅう)ででかけたと。 木を切っぱらって、土を掘り起こすだが、とおてもごしてえ仕事だ。木のとっこ(根っこ)や、茅のかぶつが深くへえってるもんで、いっこうらち(はかどらない)があかなんだと。 「こりゃ、ごしてえ仕事だ。いくんちもかかるわなあえ。」 ほんなことをいいしな、ごしてえのを、がまんして毎日(めえんち)ほり続けたと。 長(なげ)えことかかって、半分ぐれえほりおこしたと。 ほんのある日、家中(ええじゅう)できて、びっくらこいたって。ほり残した木のとっこうや、茅のかぶつが、みんなほりだされて、ちっくい山みてえに、畔(くろ)につくねてあったって。 ほいで、黒い土がまっ平(てえら)に、ならされていただと。 「あーれ。だれえやっつら。」 一晩のまに、五人や十人じゃあ、とうていできっこねえ。守矢さの家(ええ)のしょうは、きつねにばかされたような気がしたと。 「ほんでもまあ、こりゃあいってえ、どういうことずらか。」 「だれがやっただなあえ。」 「おらたちゃあ、きつねにばかされただかや。」 眉毛へツバをベチョ、ベチョつけたり、ほっぺたをキュッとつめくりあったが、ふんとのことだったと。 ほの次の日、うね立てにいって、また、びっくらこいたと。おしゃにさくって、そろったうねがいっぺえと並んでたっちゅう。 「こりゃ、またどういうことずら。」 みんなは、ただ、首をひねるだけだったって。 次の日、こんだソバの種(たにょう)をまかっともっていったら、 「ヘエー。ほいでも・・・・。」 みんなは、顔をみあわせたって、そばの種はめえて(まいて)あったと。 「へんだなあえ。」 「おーら、あきれちゃったぞやあ。」 守矢さのしょうは、おどろくより、なんだか気味が悪くなってきただって。ほのとき、あれっ、こりゃなんだやあ。」 畑の中に人の足あとみてえなものがあるのを、めっけただと。ほのあとが、てん、てん、てんと、まっすぐに長く続いていたもんで、ついていってみたら、村のはずれの地蔵堂のところで消えてたと。お地蔵様を、みりゃあ、 「あっ。」 って、いったきり声もでなんだって。お地蔵様は泥だらけで、ひてえ(おでこは)ぐちゃあ、汗をかいてるし、よだれかけにゃあ、ソバの種がついているし、足もとにゃあ、木のとっこうがちらかっていたっちゅう。 お地蔵様が、木のとっこうや、茅のかぶつを、ほりだしておくんなしただと。守矢のしょうは、 「お地蔵様、ありがとさまえ、ふんとうにうれしくて、なんちゅうってお礼をいやあいいか、わからねわい。」って、何回(なんけえ)もいったと。 夏が来て、ソバの花がいっぺえ咲(せ)えたって。ほして、秋にゃあ、まわりの畑の何倍(なんべえ)ものソバがとれたっちゅう。 守矢さの家(ええ)じゃあ、お礼にソバだんごをたんとこせえて、お地蔵様にあげたと。 いまでも、毎年(めえとし)ソバを取ると、ソバだんごをあげると、ごりやくがあるっちゅう評判がたって、お地蔵様の前には、いつもソバだんごが、たんとあげてあるって。 おしまい。 お話し 茅野市豊平上古田 守矢繁治さん 「諏訪のむかし話」の著者、竹村良信氏の「あとがき」結び 「諏訪のむかし話にでできた人よ。神よ。仏よ。動物。そして、木よ。石よ。いつまでも、いつまでも生きてくれ。」 昭和52年9月 竹村良信
![]() 古くは抜苦授楽堂、今では地蔵堂と言っている。 明治初期に路座の地蔵様であったが、明治26年に堂が建立され、その当時は堂主として「尼様」が居たことがあったそうです。 昭和41年バス停留所がこの地に作られたため、地蔵堂は取り壊され、現在の集落の共同墓地に移転された。3月には大般若を行い、彼岸・お盆には縁日として祭りが行われていた。大般若祭は区民の憩いの祭りとして、公民館で現在も毎年行われています。 昭和41年にバス停になったため、現在の共同墓地に移転した。右側に並んでいる石造物は、今は十五社に移転しています。 一般的に「お地蔵さん」や「お地蔵様」とよばれる石像ですが、正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」といい、仏教の信仰対象である「菩薩」の一尊だそうです。 「菩薩」とは仏教において、成仏を求める修行者の事を言います。修行者ではありますが、人々と共に歩み、教えに導くという事で庶民の信仰の対象となっていったそうです。 また、「大地の母胎」を意味しています。大地がすべての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を無限の大慈悲の心で包み込み、救うところから「地蔵」と名づけられたとも言われています。
このむかし話は、私たちのご先祖の素朴さや、善意、神様、仏様を強く信じて、厳しい風土に生きぬいてきた姿などが、現在無くなりつつある方言などもとり入れて、生き生き描かれています。 心のふる里であり、文化の時代を背負う子どもたちの育成のうえで、とても大切であると思います。
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