太田清人の母(すみ子) おふくろの思い出 (長野県、茅野市 )



● 母親の姿                   オータ住環境」 代表 太田清人
      

               「僕の母さん」


 頭が良く 気丈でありながら 面倒くさがりで、どこか虚弱っぽい 母でした。

専業農家であったため、母は頑健で行動力ある父に「言われるまま」によく一緒に働き、振り回されていました。

頑健な父とは違い「高血圧」「心臓疾患」「肺炎系の血縁」・・の持病もあり、疲れやすい体質で、年に「数回は、終日、寝込んでいました」。

母の一番の欠点は料理が苦手でした。僕が小さいころ、父に「こんなものが食えるか・・」と怒鳴られていたことを覚えています。

魚を焼けば「こがすか」「半生」が多かったです。本当にテレビドラマのようでした。

それと、毎日と言っていいほど「あそこが痛い、ここが痛い、風邪かな・・」ときには冗談交じりで「おらあ、いつ死んでもいいで」などと体調不良や弱気な言葉が、日常的に言葉としてでていました。 父とは正反対でした。 夫婦とは、こんなバランスがいいのでしょうか。

「疲れやすい体質」ゆえに=「めんどうくさい」「づくなし」・・だったと思います。料理に関しては、また違いますが。 単なる「欠点」のように思います。 よくしたもんで、我が娘の二女の「のどか」が、母によく似ています。血液型(AB)まで同じなのです。生き写しのようです。おまけに「屁理屈」の天才です。 どう見ても「私の母、私自身」に似ています。

父は酒好きでしたので「つまみ類は、全て自分で作っていました」。

僕は間違いなく母似です。同じように「風邪気味だ・今日は体調が悪い・・・」と言っている日が多いです。おまえは虚弱体質だ、などと言われています。変なところが似るものです。

同じく「体調不良」「面倒くさい」「愚痴っぽい」・・・。 本当に母そっくりです。

母に怒られたのは小学校の時の数回だけ、漢字が読めなくてゲンコをもらった記憶があります。そんな母も小学校6年の時、「この子は、好きなことを一生懸命やっているで、勉強はもういいで・・・」と先生に言っていたのを覚えています。それからというもの、完璧な放任主義で育ったように思います。

小学生の時、秋の恵みであるキノコを、腰びく4つほど、一度に採ってきたときのことです「もういいで、採ってくるな、そろえきれねえで」、こんな会話を思い出します。釣りも同じで「もう食べきれねえで、釣ってくるな」、それからは、喜んでくれる家に持って行っていは、喜んでいただき、うれしかったことを、覚えています。

母は、虚弱体質の反面、「芯が強い気丈」でした。

ある時、険悪な状況になったときのことです。相手が一方的にあまりにも感情的で自己主張ばかり続けていると、見かねて「そんなに言うなら、いいで・・・したらいい」と、予想外の究極の選択を言い出したことがありました。

この時の母の言葉には驚きました。ナヨナヨしているようで芯の強さを感じました。その言葉で、全てが一件落着となったのです。相手も冷静になり何も言えなかったのを覚えています。

父がなくなってからは、家にこもるようになり、畑仕事もしなくなり、見る見るうちに衰弱していきました。畑仕事、動くこと・・・が、極端に減っていき、日に日に体力が消耗していったように見えました。犬の散歩で、転んだくらいしです。

父が亡くなって5年後には、体力的にどんどん衰弱していき、限界に近づいてきました。

その後、容態が急変して、何時逝ってもおかしくないと言われた夜は、母と同じ部屋で寝ました。

その時の言葉を、今でも思い出します。「おめえ(清人)な、今がある自分を自分ひとりで作ったと思うなよ、親があってこそあると思え・・・」、のようなことを言われたのを覚えています。その後、どんどん衰弱していくのがわかりました。

翌朝、潤んでいる目のなか、か細い声で「きよと・・がんばれよ」この言葉が最後となりました。次の日の朝はもう意識はありませんでした。母の呼吸間隔がだんだん遠くなっていき、逝ってしまいました。72歳でした。

父の威厳さと違い、にじみ出てくるような、無邪気で、笑顔が多い穏やかな母でした。

頭が良く 芯が強い 優しい 温かい 穏やかでかわいい母でした。

僕は、本当に恵まれていると思っています。すばらしい父と母の子供であることを。

これからは、残された人生を大切にして、わが3人の子供たちのためにも頑張らなければと思っています。我が子供たちも、いつかは僕のことを同じように思ってくれるよう望みたいものです。

こんな僕を、どこかで間違いなく見守ってくれていると思っています。少し怠けてアクビしている時に「おめえな、いつまでアクビしているだ、めた集中して仕事しろ・・・あっというまに時間が過ぎ、年とって人生終わってしまうぞ。・・・それと、たまには甘くてうめえものを食わしてくりょう、たのむわ・・・」こんな言葉が聞こえてきます。


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