大日影史と道祖神 石碑 茅野市泉野大日影集落-(長野県)

大日影史と道祖神


道祖神 地蔵堂 道しるべ 三山大権現 大六天魔王 馬頭観音 十五社
 

大日影集落にある石造物 他・・・


長野県 茅野市 泉野 大日影区 集落内 大泉山 石碑


三山様

三山大権現他 ほ場整備により石造物が現在地に移転

この道(主要県道17号線-茅野市、北杜市、韮崎線)は、当時この地域唯一の横断道路であり、善光寺道や甲州道としてにぎわったそうです。

ほか、天神様、秋葉様、金比羅大権現、津島様・・・・。



道祖神

大日影集落の「どんどん焼き」や、「事八日」の伝統行事を行う場所となっている。

                 写真館管理責任者  太田清人





大日影史 

大日影新田村の開発   (茅野市泉野大日影)

大日影集落は、大泉山(1115メートル)の北側に位置し、大門道(善光寺道)が南北に通じている。「諏訪史」によれば、開発年代は慶安元年(1648年)、親村は古田村、草分け人は柳沢藤右衛門とあり、「諏訪郡諸村旧蹟年代記」には「開発年代正保四年柳沢藤右衛門開発草分能登国之者来ル」とあって、開発年代正保4年(1647年)から慶安元年の間と推定できる。

亨保18年(1733)の諏訪藩一村限村地図(長野県庁蔵)には「家数十九軒 高54石1汁3升5合」とあり、天保5年(1834)の信濃国郷帳には高141.270石とあって、開発当初の5倍余に発展している。



お礼

この大日影史、十五社、道祖神等の石造物の調査、及び資料提供に、柳澤常二氏をはじめ、岩波吉春氏には、特にご尽力いただいたことに感謝しております。出きるだけ後世に伝えて行きたいと思います。



大日影集落の世帯数

平成30年(2018)4月現在、55世帯  (55世帯内、2000年より新居住世帯24軒増)

  55戸の内訳  区登録(入区)軒数49戸  無登録軒1戸  二地域居住軒5戸 (空家戸2)

子ども人数  

  小学生6年生〜0歳まで20人。(内、19人は新居住世帯) 男10名、女10名。



集落名

 大日影の「日影」は、「日の光」「日ざし」「太陽の光」と言う意味です。

 大日影=大きな光、日ざし  光り輝く (光り輝く集落であり、光り輝く住人なのです)






三山様の石造物たち     県道17号線沿いに移転された

近くの田畑の圃場整備で、近くにあった石造物(三山大権現、大六天魔王、善光寺道しるべ、馬頭観音)などが集められ、平成6年(1990年)してここに移転された。



三山様

三山様の移転経緯

古田地区県営ほ場整備事業が平成5年より始まり、大日影の農地が大きく姿を変えることになった。集落の南の通称「下の沢」の一角にその歴史を残す三山様も、この地域が平成6年に工事が施工され、新地に移転することになった。平成6年12月24日 区長、区会議員、ほ場整備三役、工事委員長立会いの下に、移転の位置及び配置計画を検討・確認。平成6年12月29日〜30日 東城組により移転工事実施。

三山様周辺の状況

この場所は、子どものころ、前を流れる下の沢川(普通河川大日影川)は、大きな石橋が架かっており、水浴びをしたりして遊んだ。また、ここから30m程南の崖からは常時水が出ており「カニとり」「ホタルとり」もして楽しい思い出のある地域である。現在県道(横道)は、南北に真っ直ぐに通っている(戦時中に改良工事)が旧県道は東に大きく湾曲し当時の姿を見ることが出来たが、今はほ場整備によりその面影を見ることは出来ない。この道は、武田信玄が川中島合戦のときの重要な役割をはたした軍用道路(中の棒道)でもあった。また、当時はこの地域の唯一の横断道路で善光寺・甲州道として賑わった。県道から東へ40メートル程急坂を下ると石橋を渡るが、左に東へ上る山道と用水の右側の用水の落ち尻との間に三山大権現が祀られており、同じ場所に大六天魔王、馬頭観世音など全部で15基の石造物が並んでいた。







三山大権現(三山様) 高さ1.72m 最大幅95センチ 寛政12年庚申 講中 (1800年) 

出羽三山は、山形県の月山、羽黒山、湯殿山を言うが、地形的には一つの山である。崇竣(6世紀末)の第一皇子 峰子皇子によって開山されたという修験道の道場で、時代が経るに従って仏教的色が強まり、神仏混鮫の羽黒修験の本拠となった。初めは真言宗であったが、寛永年間に天台宗系に変わり、明治維新の神仏分離で仏教色は一掃されている。大日影新田の開発が正保4年(1647年)とすると、約150年経過した時の建立となる。当区には山の神境内にも三山大権現の石碑が一基あるが、これは公民館敷地にあったものを移転したものである。



大六天魔王  1.32m 最大幅62センチ 安政五年 午年九月吉日   (1856年)

三界のうち欲界の最高所 大六天に住む天魔で修験道の山伏、特に本山京都聖護院(天台宗)を中心とする人々の天部である。身の丈2里、人間の1600歳を一日として16000歳の寿命を持ち男女自由に交配して受胎させる魔力を持つといい「他化自在天」と呼ばれるように、他人の楽しみを自分の楽しみにしてします法力を持つと言う大変な天部である。こんなとほうもない魔力を持っているから、それを信仰して余沢に預かろうと祈寿の本尊にしたのである。岡谷市の小井川では、当区と同じ安政5年、村にコレラが流行した時に建てたと伝えられている。安政の時代には当諏訪地域にも地震やコレラが流行しており、大日影の大六天魔王もこの為に建てられたものと思われる。





道しるべ   左の石碑には「左善光寺道」と記されています。

中の棒道

大日影の村の中を南北に貫き、御作田から上場沢に通じる道がここである。八ヶ岳山ろくを横に繋ぐ重要な道路で県道(主要地方道)になっている。今では、上部にエコーラインが開通して、バスなど観光の車は少なくなった。

この道筋は戦国時代には信玄の「中の棒道」であった。江戸時代にはこれが中馬道筋となって、大門峠から山麓の村々を経て甲州大井ヶ森に抜けたのである。宝暦13年の中馬道筋の書上げに「小県郡大門村より甲州江通り道筋」として記されている。この道は小県・善光寺に通ずるので、相当の人馬の往来があったものと想像できる。最近まで大日影の南の沢(下の沢)に、当時の道筋と道しるべが刻まれた石造物あり当時を偲ぶことができたが、戦時中に行われた道路改良工事や、平成6年施工の県営圃場整備によりその姿をみることはできない。          






馬頭観音を兼ねた道しるべ
こちらの道しるべには、 左善光寺道 右山道 と掘られていま。(1800年よりだいぶ古いもの)








双体馬頭観音(文政6年 1823年)と刻されている。  12基の馬頭観音がある

馬頭観世音

馬頭観音は、宝冠に馬首をつけているので一見してよくわかる。観音像は一般的に優しいが馬頭観音だけは例外であって、激しい性格を丸出しにしているのが本来の姿である。しかし、個々の馬の飼い主たちが死んだ愛馬ために建てた碑は、姿も愛馬というにふさわしい菩薩形に馬頭に冠むらせただけの可愛らしいものが多かった。当区の三山様の場所には、全部で12基の馬頭観音があり、このうち最も大きい石碑は道しるべを兼ねたものであり、左善光寺・右山道と刻されている。他に観音像が刻されたもの五基、字のみのものが六基である。双体の馬頭観音には、文政六年(1823)と刻まれている。馬頭観音は、馬の安全を願って急坂の上り口等の難所に置かれているところが多い。   




三山様の、昔あった場所

移転後は、県道の右上に移されました。








移転前の、三山様の石造物







三山様の石造物の名称






道祖神


道祖神
ここは、1月14日、どんど焼きを行う場所です。写真奥に「のぼり」旗を立てる為の、石造の柱が2本づつ立っている。のぼり旗は、1月14日前後と2月8日「事八日」に立てられます。こちらから見て左側に「十五社」、右側に「大明神」の旗です。





2月8日には、「事八日(ことようか)」の伝統行事が行われます。  区民の無病息災の祈願。

おはぎやお餅を供えて、子どもの成長や良縁を祈願。また、唐辛子やもみ殻を燃やして疫病神などの魔よけとする。 一番乗りがいいといわれることもあって、早朝にでかける人もいる。

「言い伝え」によると、津島神社の神様(津島様)は毎年、事八日の日に出雲の国に年取りに出掛けるとされる。神様が不在だと村内に疫病神が入り込んでしまう為、津島様は、神様の留守を黙っているよう道祖神に言いつけ、留守を任せるのだという。津島様が戻ってくるまでの間、道祖神が話をしないようにと道祖神の口に餅を塗りつけた。各家庭でも家内安全のため、木戸口で疫病神が嫌うトウガラシを交ぜたもみ殻をいぶすのが習わしだった。昔は多くの家庭で行われていた風習だが、近年では続ける家は少なくなった。





古田山用水せぎ


裏側には、八ヶ岳の伏流水を集めてきている、きれいな水の川(古田用水せぎの用水路)があります。
用水路の役割は、田んぼ、池、生活、火災時の防火・・・・なによりも、きれいな水を流し「集落を清めている」かんじがします。 きれいな水もあり、現在でも魚(アマゴ)がいます。



古田用水せぎ

ゴーロ坂下(八ヶ岳山ろくの夏沢鉱泉の下側)から取り入れ溜池をつくって引いてくる大久保の沢と、古田井出の日影からげる水を途中鳴岩川をサイホン(昭和34災で木製の樋が流失しサイホンに改修)で渡り、約2里の水路をつくって持ち下して用水としている。途中が長い為漏水も多く、その苦労は並大抵ではなかった。旱(ひでり)の年等は大変で、長い水路を抱くようにして運んでくるのである。明治になってからは鉄管を埋めて通水しているところもある。この用水は上古田・大日影等の集落の水田及び生活用水としてきちょうな役割を果たしています。古田用水組合が組織され管理されている。






庚申碑
60年に一回の庚申の年に無病息災を祈って建立した。



当区の道祖神は、菊華紋入りの道祖神として珍しいものです。明治初年16弁の菊華紋の使用は皇室・神社以外は禁じられ、道祖神などの石造物に彫られているものなどは、明治政府の布告で削り取るよう下達されましたが、この道祖神はそのまま残っている。きっと山村まで周知されなかったためと思われる。


疫病神を追い払い、無病息災を祈願しながら男女仲良くして子孫繁栄を願ってきたのでしょう。おかげさまで、私たちは今ここに存在しているのです。  命のつながりを考えると、とても神秘的です。と同時にご先祖様に感謝したいです。また我々もこの大切な命を、繋げていかなければなりません。







地蔵堂

古くは抜苦授楽堂、今では地蔵堂と言っている。

明治初期に路座の地蔵様であったが、明治26年に堂が建立され、その当時は堂主として「尼様」が居たことがあったそうです。

昭和41年バス停留所がこの地に作られたため、地蔵堂は取り壊され、現在の集落の共同墓地に移転された。3月には大般若を行い、彼岸・お盆には縁日として祭りが行われていた。大般若祭は区民の憩いの祭りとして、公民館で現在も毎年行われています。





写真は、明治26年に堂が建立された地蔵堂。  昭和41年に現在の共同墓地に移転した。

右側に並んでいる石造物は、今は十五社社に移転しています。






地蔵様   大日影むかし話 働き地蔵

一般的に「お地蔵さん」や「お地蔵様」とよばれる石像ですが、正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」といい、仏教の信仰対象である「菩薩」の一尊だそうです。

「菩薩」とは仏教において、成仏を求める修行者の事を言います。修行者ではありますが、人々と共に歩み、教えに導くという事で庶民の信仰の対象となっていったそうです。

また、「大地の母胎」を意味しています。大地がすべての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を無限の大慈悲の心で包み込み、救うところから「地蔵」と名づけられたとも言われています。











ほうそう避けの神と言われています。





昭和41年に移築した現在の共同墓地にある地蔵堂









秋葉神社

大泉山の中腹にある、「秋葉様」  火伏の神

秋葉神社 の鳥居  上に伸びるように、と、上がありません。





秋葉様





秋葉様(秋葉神社の神様)  祠が3っつありますが、他の神様もいるらしいです。

秋葉様は火災除けの神様。 火とぼしが毎年6月の18日の夕暮れ(午後8時ころ)に行われますが、昔はここの「秋葉様」に、最初にお祈りに来ていたようです。現在では、ここまでこなくて、頂上からこちらを向いて祈願するだけとなりました。






天神様 板宮  菅原道真を祭っている。  大泉山の、道中にあります。

左側に、金毘羅様があります。真ん中の道を上がっていくと、高尾社があります。右側下の道をあがると大泉山の山頂に向かいます。






金毘羅様。「金比羅大権現」が左。  右側の祠は津島様(津島神社の神様)。




金毘羅大権現




金比羅大権現






もぶつ堂?   念仏様

上場沢寄りの街道沿い(県道17号線)に、このような石碑があります。 この畑の地主に聞いたところ、主要街道であったため、旅の途中で亡くなった方の「念仏様」らしい、とのことですが、正確にはわかりません。 それと、ここらあたりを「もぶっと」と呼ばれています。それは、昔、ここに「もぶつ堂」と呼ばれていたものがあったそうです。これまた詳しくはわかりません。 調べてみます。






三山様の石造物

初夏の大泉山と石造物たち




秋の大泉山と三山様たち  季節でこんなに景色が違うのです。

昔ながらの、繋がれてきたものは、なんともいえない、想いがします。

昔の人々の、思いや祈りが、伝わってきます。

大日影史と道祖神


道祖神 地蔵堂 観音様 道しるべ 三山大権現 大六天魔王 馬頭観音・・・石碑たち
 

大日影集落にある石造物、道祖神 他・・・



長野県、茅野市 泉野 大日影集落 縄文の里村「大泉の里」 八ヶ岳山ろく 蓼科高原



  
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